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■ 人と労働のマネジメント ■~世界は、大人だけで成りたっていない~

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自己実現の第一歩は、仕事を生産的なものにすることである。 ドラッカーは、そのためには、成果すなわち仕事からの アウトプットを中心に考えなければならないとした。 次にドラッカーは、働く人と労働のマネジメントについて触れる。 まづ、定番マグレガーのX理論とY理論をとりあげる。 X理論は、人を未熟で、怠惰で仕事を嫌い、強制しなければならず、 自ら責任を負うことができない存在。 一方のY理論は、人は欲求を待ち、仕事を通じて自己実現と責任を欲するとする。 ドラッカーは、人はいかに強くとも、性格や状況によってその強さは変化し、 誰かの牽引や後押しが必要になる時があるものである。 なので、Y理論だけで労働のマネジメントは解決しないとする。 「強い者さえ、命令と指揮を必要とする。 弱い者はなおのこと、責任という重荷に対して保護を必要とする。 世界は、大人だけから成っているのではない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第3章 仕事と人間)

■成果を中心に考える。■~インプットではなくアウトプットから~

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労働は、人にとって自己実現の重要な手段であり、 その第一歩は、仕事を生産的なものにすることにある。 ドラッカーは、そして、まづ考えなければならないことは、 ”仕事から生み出す成果”(アウトプット)を中心に 据えることであるとする。 仕事に使用する技術や知識は仕事の道具(インプット)にすぎない。 ここから生産性を考えてはならない。 成果を生み出すためには、どんな道具(ツール)を、どのタイミングで、 何のために使うかから考え始めなければならない。 これは、製造工場などの肉体労働に対するアプローチと同じである。 そして、さらにこのアプローチは既存の知識の習得と応用という仕事にも 適用できる。 ドラッカーは、その例として、エジソンの発明の活動をあげる。 まづ、製品を定義し、発明のプロセスを分解し、相互関係と順序を明らかにし、 プロセスのなかのキー・ポイントに管理手段を設定しその基準を定める。 というものである。 「発明家エジソンは、体系的な方法によって、発明という仕事の生産性をあげた。 彼は常に、欲する製品を定義することから始めた。 次に発明のプロセスをいくつかに分解し、相互関係と順序を明らかにした。 プロセスのなかのキー・ポイントごとに管理手段を設定した。 そして基準を定めた。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第3章 仕事と人間)

■働くことは自己実現の手段■~仕事を生産的なものにする。~

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ドラッカーは労働には、生理的、心理的、社会的、経済的、政治的の 5つの次元がありそのすべての問題を解決することは困難とした。 そして、労働つまり働くことは人にとって自己実現の重要な手段であり、 その自己実現の第一歩は、仕事を生産的なものにすることにあるとする。 そのためには、仕事を人の働きに即したものにしなければならない。 ドラッカーは、仕事を生産的なものにするには、分析、総合、管理、道具の 四っつの観点が必要と続ける。 ▽分析:仕事に必要な作業と手順と道具を知る。 ▽総合:作業を集めプロセスとして編成する。 ▽管理:仕事のプロセスのなかに、方向づけ、質と量、基準と例外についての管理手段を組み込む。 ▽道具:仕事の為の具体的な道具を明らかにする。 「科学的管理法すなわち仕事の客観的な組み立ては、  自己実現に矛盾しない。  別のものであっても、補い合うものである。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第3章 仕事と人間)

■ 5つの次元のマネジメント ■~手だけを雇うことはできない。~

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仕事と労働(働くこと)とは根本的に異なり、 その労働は、生理的、心理的、社会的、経済的、政治的の 5つの次元から見なければならない。 この労働について、マルクスは、経済的次元を重視し、疎外も解決するとし、 エルンスト・メイヨーは、「手だけを雇うことはできない。人がついてくる。」 とし、心理的次元が重要とした。 しかし、ドラッカーはこれらの5つの次元はまったく別種のもので、 ひとつの次元のみでなく、全てを考慮しなければならないとする。 しかし、これらの5つの次元の取り扱いは難しく、 不可能とさえ思われるかもしれないとしたうえで、 次のとおり指摘する。 「不可能とさえ思われるかもしれない。  だがわれわれは、今日マネジメントしなければならない。  仕事の生産性をあげ、働く者に成果をあげさせるために、  何らかの解決策を、あるいは少なくとも調整策を  見出さなければならない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第3章 仕事と人間)

■政治的な次元■~誰かが権力を行使する。~

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仕事と労働(働くこと)とは根本的に違う。 ドラッカーはその労働には次の五つの次元があるとする。 五つ目の次元●政治的な次元 人が働くということは、誰かが設計し指示した仕事を遂行するということである。 そして、その仕事は様々な職務で構成されており、人はその組織の枠組みの中で働く。 その中で、人は様々な立場を割り当てられる。 昇進とか降格などの人事的処遇もその一環として行われる。 割り当てる立場と、割り当てられる立場が存在する。 ここに、”権力”が発生し、その権力は働く一人ひとりに 様々な影響を与えることになる。 「集団内、特に組織内で働くことには、権力関係が伴う。 組織では、誰かが職務を設計し、組み立て、割り当てる。 労働は、順序に従って遂行される。 組織のなかで、人は昇進したりしなかったりする。 こうして誰かが権力を行使する。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第3章 仕事と人間)

■経済的な次元■~労働は生計の資であり、経済活動のための資本~

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仕事と労働(働くこと)とは根本的に違う。 ドラッカーはその労働には次の五つの次元があるとする。 ●経済的な次元 労働を経済面から見る。 労働は働く人の生活の拠り所であり、経済的な基盤である。 同時にそれは、組織の経済活動の基盤でもある。 組織が将来にわたって活動できるための資本である。 そしてその活動に必要な、働く人たちの労働の場を継続して作り出すことである。 つまり、組織の行う活動は、組織の将来を生み出す基盤であると共に、 働く人の明日の労働に必要な生活費を生み出すものである。 「労働は、経済活動が永続するための基盤をもたらし、  リスクに対して備え、明日の職場をつくりだし、  明日の労働に必要な生計の資を生み出す。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第3章 仕事と人間)

■労働は組織社会との絆■~人は社会的動物~

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仕事と労働(働くこと)とは根本的に違う。 ドラッカーはその労働には次の五つの次元があるとする。 No3●社会的な次元 組織は、社会にある不満や障害をその機能として解決し、満足を創造する。 組織は、その活動により何らかの形で社会に貢献している。 そして、人はその組織に働く。 組織社会である。 人は、家族や、町内会などの地域コミュニティを持っているが、 職場は社会との結びつきを可能とする。 組織がその活動により社会とつながっていることにより、 そこに働く人も社会とつながる。 人は職場を通じて社会に関わり、社会における自らの立ち位置を 決めていくことになるんですね。 「アリストテレスが、人は社会的動物であると言ったのは、 人は社会との絆のために働くことを必要とすると言ったのである。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第3章 仕事と人間)

■心理的な次元■~呪いであり祝福である。~

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仕事と労働(働くこと)とは根本的に違う。 ドラッカーはその労働には次の五つの次元があるとする。 その2●心理的な次元 労働とは働く人にとって、生活の糧として必要であり、 また、人が社会人として存在するという意味でも必要である。 これは、否応なく課せられるものである。 しかし人は、働くことを通してこそ、社会や組織の中での 自らの能力や価値を知り、人間性を知ることができる。  そのなかから、自己実現を目指し人格を確立していけるんですね。 「人にとって、働くことは重荷であるとともに本性である。  呪いであるとともに祝福である。  それは人格の延長である。自己実現である。」 (第3章 仕事と人間)

■労働における生理的な次元■~働くことには多様性が必要~

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仕事と労働(働くこと)とは根本的に違う。 ドラッカーはその労働には次の五つの次元があるとする。 ●生理的な次元 人は言うまでもなく、機械のように働くことはできない。 機械のように一つの動作しかさせられないと、 心理的に退屈するだけでなく、肉体的に疲労する。 筋肉が疲労し、視力が落ち、反応が遅くなり動きにムラができる。 人は、その生理として、同じスピードとリズムで働くことに 適していない。 スピードとリズムが変化すると人はよく働ける。 しかし、そのスピード、リズム、持続力は、指紋のように人によって違う。 仕事は効果的であるように均一に設計しなければならないが、 労働には、このような人の生理を考慮して、 多様性を持たせなければならない。 労働の設計には、スピード、リズム、持続時間を変える余地を 残しておかなければならないのだ。 ドラッカーは、このような人の生理を考慮せずに、効率にのみ主眼をおいて 仕事の仕組みを作ってしまうと、働きずらい仕組みとなってしまうとする。 「仕事にとって優れたインダストリアル・エンジニアリングであっても、  人にとっては最悪のヒューマン・エンジニアリングとなる。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第3章 仕事と人間)

■労働における五つの次元■~働くことは人間の本性である。~

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仕事と労働(働くこと)とは根本的に違う。 ドラッカーは、仕事とは、テレビや豆腐などと具体的なモノと同様に、 客観的に存在し、具体的に分析、総合、管理が可能であるとした。 では”労働(働くこと)”とは何か。 まづ、それは、テレビや豆腐などのモノとは異なることである。 人間は誰しも、肉体と感情を持ち、その人間の活動が ”働くこと”である。 そして、これは人間の本性であり、人としての動きつまり ”論理ではなく力学”である。 ドラッカーはその労働には次の五つの次元があるとする。 ●生理的な次元 ●心理的な次元 ●社会的な次元 ●経済的な次元 ●政治的な次元 各次元について、明日以降紹介します。 「これに対して、働くことすなわち労働は人の活動である。  人間の本性でもある。論理ではない。力学である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第3章 仕事と人間)

■では仕事とは何か。■~それは課題であり、存在するものである。~

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ドラッカーは、仕事と労働(働くこと)とは根本的に違うとする。 では仕事とは何か。 仕事とは、テレビや豆腐などと具体的なモノと同様に、 客観的に存在するものである。 なので、そこにはロジックがあり、具体的に”分析”と”総合”と”管理”が可能である。 では”仕事の分析”とは。 まづ、仕事のプロセスである基本的な作業を洗い出す。 そして、その作業を組み立てて仕事として成立するように論理的に順序立てする。 次に必要なことは、”総合”つまり他の要素と統合すること。 個人の作業を一人の仕事に組み立て、そして一人ひとりの仕事を組織の仕事のプロセスに組み立てること。 そして”管理”。 仕事に管理のための手段を組み込むこと。 仕事とは、作業を組み立てた一連のプロセスである。 目標との差異を感知し、プロセス変更を検討し、フィードバックの仕組みを組み込むことである。 「仕事とは、一般的かつ客観的な存在である。それは課題である。  存在するものである。  したがって仕事には、ものに対するアプローチをそのまま適用できる。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」(第3章 仕事と人間)

■人が生き生きと働けなければ失敗■~仕事と労働とは違う。~

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ドラッカーは、知識労働者を定義すことの困難さを指摘する。 しかし、マネジメントはその責任として、生産的な仕事を通じて、 働く人たちに成果をあげさせなければならない。 そもそも、仕事と労働(働くこと)とは根本的に違う。 仕事は人が行い、仕事は人が働くことによって行われることは まちがいない。 しかし、仕事の生産性をあげるうえで必要なものと、 人が生き生きと働くうえで必要になるものとは違う。 なので、仕事と労働の理論の両方をベースにしてマネジメント しなければならないとする。 「働く者が満足しても、仕事が生産的に行われなければ失敗である。 逆に仕事が生産的に行われても、人が生き生きと働けなければ失敗である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」(第3章 仕事と人間 10 仕事と労働 57P)

■仕事と人のマネジメント■~新しい挑戦~

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「第3章 仕事と人間」でドラッカーは、知識労働者に関わる問題について指摘する。 現在、知識労働は複雑で大規模な組織で行われている。 なので、組織の外で働く知識専門家ではなく、組織で働く熟練した労働者と同種と言える。 そして、その組織に働く知識労働者に関する定義は不明確で、 仕事と人のマネジメントに関して、次の三つの挑戦に直面しているとする。 ◎被用者社会の到来 ◎肉体労働者の心理的、社会的地位の変化 ◎脱工業化社会における経済的、社会的センターとしての知識労働と知識労働者の台頭 「組織における知識労働者の地位、仕事、貢献は、いまだ明らかでない。  知識労働のほとんどは、その生産性を測定することはもちろん、  定義することさえできない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」

■肉体労働者から知識労働者へ■~知識、理論、コンセプトを使って働く。~

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本日から「第3章 仕事と人間」に入ります。 現在の労働環境から見ると、ほとんどの人が組織で働き、家の外で働く被用者社会と言える。 同時にその労働の中心は肉体労働から知識労働へと移った。 手を使うことにより、直立歩行を始めた人類であるが、手だけを使って働くことをやめ、 知識、理論、コンセプトを使って働くようになった。 しかし、必ずしも高学歴は必要ない。 あらゆる労働のプロセスに知識、理論、コンセプトを必要とする。 例えば、伝票類に内容を転記し、その種類によってキャビネットに分別してファイリングするには、 高度の知的能力や高等教育は必要ない。 しかしその作業に必要となる道具は、ノミやかんなではなく、文字であり書式であり、ルールなどのツールである。 ”物”ではなく知恵の結集である”記号”である。 「文書のファイリングには、高度の知的能力や高等教育は必要ない。  しかしその道具は、ハンマーや鎌ではなく、アルファペットという  高度に抽象化した道具である。  物ではなく記号である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」

■目的と手段の健全さ■~あらゆる行政組織は恒久たりえない~

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公的機関が成果をあげる上で必要な”仕組み”の適用には、 公的機関を三種類に分けて考える必要があるとする。 種類3【行政組織】 政府機関をはじめとする行政組織のほとんどがこの種類に含まれる。 これらの組織が提供するものは、サービスではなく”統治”である。 社会の統治という性格上、これらの組織は個別ではなく、政府が直接 マネジメントしなければならない。 しかし、これらの組織は国民の税金によって賄われる、高コストの存在 である。 したがって、この組織とは独立した機関での監査が必要である。 そして、この組織の持つ目的の現実性、達成可能性、ニーズ適応性、 目標の正当性・優先順位、成果の公約・期待の合致性等が、現状にとって 有効な場合のみ、その継続を認めるという考え方が大事。 「あらゆる行政組織とあらゆる立法行為が恒久たりえないことを 前提としなければならない。 新しい活動、機関、計画は、期間をかぎり、その間の成果によって 目的と手段の健全さが証明された場合にのみ、延長を認めるように しなければならない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」

”さよなら原発”代々木公園に17万人結集しましたね。

”さよなら原発”代々木公園に17万人結集しましたね。 過激派とか思想集団などの一部の動きと揶揄する評論家もいるが、 福島からの親子連れや、年配の方などこれまでデモなどにかかわり のない人達などが多い。 菅前首相をはじめとして、民主党には市民運動家も多いと思うが、 今回の動きは、60年70年の学生運動とは異なる。市民が主体と なっている。よもや市民をなめてはいないか。 なめたらいかんゼヨ!

■欲求ではなく必要の充足■~公的サービスの顧客とは~

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公的機関が成果をあげる上で必要なものは、”仕組み”であり、 その適用には、公的機関を次の三種類に分けて考える必要がある。 種類2【予算から支払いを受ける公的機関】 典型として公立の学校や病院がある。 組織は公的機関が所有して、運営は競争状態に置くというサービス機関だ。 これらの公的機関の収入は、予算として、国を通して国民から支払われるが、 国民は公的機関にとって本当の意味での顧客ではない。 国民は望むと望まざるとにかかわらず、税金、保険料などの形で 強制的に支払いをさせられている。 一方サービスを受けるのは生徒や患者であり、彼らは顧客である。 しかし、顧客は否が応でもサービスを受けざるを得ない。 顧客の欲求から生み出されるサービスではなく、誰もが持つ必要性から 生み出されているのだ。 ドラッカーは、このような特性を持つサービス機関には、成果について 最低限の基準を設けると共に、競争が必要であるとする。 しかも顧客は、複数のサービス機関から選択できることが望ましいとする。 「この種のサービス機関が生み出すものは、欲求の充足ではない。 必要の充足である。 学校や企業内サービス部門は、誰もが持つべきもの、 持たなければならないものを供給する。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」

見た目や快楽だけの女

また子供の尊い命が奪われた。 しかも親が原因である、しかも母親。 近頃の若者は、、という言葉は使いたくない。  しかし目に余る、若い女性の母性、人間性はどこに行ったか、 見た目や快楽だけの女になってしまっている。 自分だけの力では生きていけない、 一生懸命母親にすがる子供だ。 悲しすぎる。

■規制のない独占事業は、顧客を搾取する。■~世論の力に従わざるをえない~

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公的機関が成果をあげる上で必要なものは、”仕組み”であり、 その適用には、公的機関を次の三種類に分けて考える必要がある。 種類1【自然的独占事業】 自然的独占事業とは、電力会社、ガス会社等の民間企業を指す。 これらの企業は、地域独占で、成果に関わりなく利用者からの支払いを受けている。 この様な自然的独占事業に必要なことは、組織構造を単純化することであり、 企業が行っていることをすべて意識的に体系的に行うことである。 しかしドラッカーは、民間企業であってもこのような自然的独占事業には、 国の規制が必要であるとする。 そうしないと、独占企業は、成果も効率もあげられず、ただ”顧客を搾取” するだけとなる。 「規制のもとに置いた民間の自然的独占事業は、 無規制や国有のものに比べ、顧客の不満やニーズに敏感である。 規制機関を通じて表明される世論の力に従わざるをえないからである。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」

■偉大な人物ではなく仕組みが必要■~公的機関の成果~

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ドラッカーは、公的機関が”成功”するための条件について、 自らに課すべき、六つの規律があるとした。 そして、さらにドラッカーは、公的機関の成果について続ける。 成果をあげる上で必要なものは、”偉大な人物ではなく、仕組み” であるとする。 一般企業が、成果と業績をあげるために必要とする、目的に 合致した組織構造やマネジメント体制等の”仕組み”である。 しかし、支払いの受け方が企業と公的機関は異なる。 企業は、成果と業績により顧客から支払いを受ける。 一方の公的機関は、成果に対して支払いを受けるのではなく、 計画と活動に対して支払いを受ける。 このため、”仕組み”の適用の仕方も異なる。 そして、さらにこの仕組みは公的機関を次の三種類に分けて考える 必要があるとする。 「電話や電力等の独占事業」、「公営学校や病院等の予算を受ける事業」、 「政府や地方の行政組織」 「公的機関が成果をあげるうえで必要とするのは 偉大な人物ではない。仕組みである」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」

■失敗よりも害が大きい。■~成功は愛着を生む。~

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ドラッカーは、公的機関が”成功”するための条件について、 自らに課すべき、六つの規律があるとする。 第六規律【目標に照らして成果を監査する】 第五の規律で、活動による成果のフィードバックを行った。 最後の規律は、活動による成果を、当初決定した目標と比較検証し、 その目標が有効であるかについて確認を行うこと。 政治経済状態や、顧客の要求、組織の持っている技量等は目まぐるしく 変化し続けている。 なので、目標を設定した時点とは状況が異なり、その目標が 意味のないものになっている可能性がある。 そういった、目的に合わない目標や、実現不可能になった目標は即時に 中断しなければならない。 そうしなければ無駄な活動のために、一生懸命、時間やお金をかけて しまうことになる。 しかし、ドラッカーは、一旦成功したことを捨てることは、失敗したことを 捨てることより難しいとする。                           「成功は失敗よりも捨てることが難しい。 すでに自負を育てている。 成功は愛着を生み、思考と行動を習慣化し、過信を生む。 意味のなくなった成功は、失敗よりも害が大きい。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」

■成果のフィードバック■~尺度に照らす~

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ドラッカーは、公的機関が”成功”するための条件について、 自らに課すべき、六つの規律があるとする。 第五規律【尺度に応じて成果のフィードバックを行う】 第四の規律で、成果、達成度合いを測定するための、具体的な 尺度を定めた。 次はその尺度に照らして、活動結果が成果を生み出したかどうか について測定、検証を行う。もちろん、成果に向けた作業だ。 やるべきこと、必要な活動、そのための成果の度合いを自分自身で 決めた。 そして、決めたことを活動に移した。 そこで大事なことが活動状況を記録し、成果に対して有効であったか どうかを検証すること。 実際に活動したことでうまく出来たこと、できなかったことを洗い出し 止めること、直すこと、より強く行うことを明確にし今後の活動に 生かしていくための作業であるフィードバックである。 自分で決めたことを自ら目指し、行動し、成果を出すことは本人の責任である。 目標とその成果を”自己管理”することなんですね。 「尺度を用いて、自らの成果についてフィードバックを行う。 成果による自己管理を確立しなければならない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」

■尺度がないと分からない。■~成果を具体的に測る~

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ドラッカーは、公的機関が”成功”するための条件について、 自らに課すべき、六つの規律があるとする。 第四規律【成果の尺度を定める】 第三の規律で、活動の優先順位を定めた。 なにを、どこまで、誰の責任で、いつまでに行うのかを明らかにすることができた。 次は活動による成果を測るための尺度を定めること。 やるべきことができているのか、成果はどうか、目標の達成度合いはどうなのか。 これらを測定するためには、具体的な尺度が必要となる。 ”顧客を増やそう!”とか、”美術をもっと普及させよう!”とか”健康な国民を増やそう!” という目標の達成度合いについての尺度は、 来店者数や、美術館の来訪者数、子供の身体能力測定結果などとなるんですね。 「成果の尺度を定める。 これは、たとえばベル電話会社の顧客満足度や、 日本が明治のころ社会発展の尺度とした識字率である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」

■なすべきことは、資源よりも多い■~活動の優先順位を決める~

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ドラッカーは、公的機関が”成功”するための条件について、 自らに課すべき、六つの規律があるとする。 第三規律【活動の優先順位を決める】 第二の規律で、明確で、実現可能な目標を定めた。 次はその目標を達成するために行う活動についての規律。 そもそも公的機関に限らず、あらゆる組織にとって、やるべき活動は そこにある資源、つまり、人、時間、コストなどより多い。 なので、優先すべきものとそうでないものを見極めることが必要となる。 そうすることによって、まずなにをやる必要があるのか、 それはどこまでやれば成果をあげたと言えるのか、 さら誰の責任でいつまでに行うのかを定めることができる。 やるべきことは沢山ある。 しかし今使える時間、メンバ、能力、財政等ではやれることには 限界がある。 だから、優先順位を決めなければ、結局いずれも未達成 なにも出来なかった、、ってなっちゃうんでしょう。 「なすべきことは、利用しうる資源よりも多く残る。 機会は実現のための手段よりも多い。 したがって、優先順位を決定しなければ何事もなしえない。」 ~P.F.ドラッカー「創造する経営者」

■空腹の根絶ではなく、飢餓の減少■~目標は明確であり、実現可能なこと。~

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ドラッカーは、公的機関が”成功”するための条件について、 自らに課すべき、六つの規律があるとする。 第二規律【目的の定義により目標を明確にする】 第一の規律で、自らの事業とその目的を明らかにした。 次に行うことは、その目的に基づいて、目標を明確化すること。 いかなる成果が、どこで必要か、どの程度必要か、 さらにいつまでに必要か等についての目標を定める。 大切なことは、目標は明確であり、実現可能なこと。 そして、活動の結果が成功であったのか、 失敗に終わったのかの判断が可能であること。 例えば、”飢餓の撲滅”という使命を例に挙げると、 目標としては、具体的で、実現可能なレベルである、 ”飢餓の減少”ということにならなければならない。 ”撲滅”は理想であるが現実的には困難なテーマである。 一方の”減少”はどの程度減ったか、まったく減らなかったのか が測定できるのだ。 「公的機関は、実現可能な目標をもたなければならない。 目標は空腹の根絶ではなく、飢餓の減少でなければならない。 公的機関は実現可能な目標を必要とする。 達成したと言える目標を必要とする。」 ~「イノベーションと起業家精神」

■自らの事業を定義する■~「事業は何か、何であるべきか」~

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ドラッカーは、公的機関が”成功”するための条件について、 自らに課すべき、六つの規律があるとした。 第一の規律【自らの事業を定義する】 まず、行うべきことは、自らの事業が”誰のために”、”どんなことを”、 ”どのように”行うのかなどを定義すること。 マーケティングである。 そしてその際に重要なことは、様々な可能性を考慮し、 矛盾していたり、反対していると思われることについても 徹底的に検討対象としなければならないとする。 「目的に関わる定義を公にし、 それらを徹底的に検討しなければならない。 異なる定義、しかも一見矛盾する定義を採用し、 そのバランスを計る必要さえある。」 ~「マネジメント」

■公的機関成功の条件■~自らに課すべき、六つの規律~

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それでは、公的機関の活動にとって”成功”とはなにか? ドラッカーは、そのための条件について、自らに課すべき、六つの規律があるとする。 【自らの事業を定義する】 この際、異なる定義、一見矛盾する定義なども採用し、そのバランスを計る必要さえある。 【目標を明確にする】 定義した目的についての明確な目標を導き出す。 【活動の優先順位を決める】 最低限必要な成果を決め、期限を設定し、具体的な仕事や責任を明らかにするために 活動の優先順位を決める。 【成果の尺度を定める】 そして、活動の成果についての、評価基準を決める。 【尺度に応じて成果のフィードバックを行う】 成果による自己管理を確立しなければならない。 【目標に照らして成果を監査する。】 目的に合致しなくなった目標や、実現不可能になった目標を明らかにする。 「しかるに、成功は失敗よりも捨てることが難しい。  すでに自負を育てている。  成功は愛着を生み、思考と行動を習慣化し、過信を生む。  意味のなくなった成功は、失敗よりも害が大きい」  ~「マネジメント」

■人は、報われ方に応じて行動する。■~予算を生み出すものこそ成果~

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ドラッカーは、予算型組織に特有の性質について指摘する。 予算型組織の収益は、税金や母体組織の収益から配分されるので、 そこに働く人は、予算をいかに獲得するかが成果であり業績であると 誤解する。 しかし、予算で支払いを受けることは、それがいかに必要であり、 いかに望ましくとも、誤った方向づけにならざるをえない。 そして、ほとんどの場合、この誤った方向づけを皆無にすることは 至難であるとする。 「人は、報われ方に応じて行動する。  それは、報酬、昇進、メダル、ほめ言葉の  いずれであっても変わらない。  予算型組織も、その支払いの受け方のゆえに、  貢献ではなく予算を生み出すものこそ成果であり  業績であると誤解する。」  ~「マネジメント」

■サービス機関が守るべき原則■~近いうちに廃棄すべきもの~

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続いてドラッカーは、公的機関をはじめとする予算型組織の持つ危機について指摘する。 予算型組織の地位や権威は、予算の規模と人の数で計られる。 より少ない予算や、より少ない人間で成果をあげても業績とはならない。 成果に関わりなく、今年の予算を使い切らなければ、次年度には予算が 減らされることとなる。 組織は、優先順位を付け集中することなしに、成果をあげることはできないが、 予算依存は、これを妨げる。 その結果、まちがった目標や、古くなった活動、陳腐化したものの廃棄を 難しくし、無駄な仕事に関わる職員や組織を多数抱えることになる。 いかなる組織でも、現在行っている活動を止めたくはない。 しかし企業は、この活動結果が顧客に受け入れられなければ顧客によって その活動は葬り去られる。 一方、公的機関のような予算型組織は、顧客による洗礼を受けない。 それどころか、公的機関は今行っていることを正当化し、公益に合致することを 前提とする。 このような前提に立つ公的機関にとって、”われわれの事業は何か”との問いは、 常に危険である。 つまり廃棄と優先順位そして、集中して成果をあげることを避ける。 しかし公的機関は自らの活動を正当化しなければならない、そこで国民と自らを あざむかなければならなくなる。 『したがって今日、あらゆるサービス機関が守るべき原則は、 「現在行っていることは永遠に続けるべきものである」ではなく、 「現在行っていることは、かなり近いうちに廃棄すべきものである」 でなければならない。』 ~「マネジメント」

■公的機関と企業は何が違うのか。■~予算獲得こそ 存続のための第一要件~

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ドラッカーは、公的機関の機能不振について三つの誤解があるとした。 では、公的機関と企業は何が違うかのか。 ドラッカーはその違いについて、まず支払いの受け方にあるとする。 企業は顧客が欲しいと思い、代価を払おうと思うものを 提供したときにのみ支払いを受ける。 企業においては、顧客の満足が成果と業績を保証する。 一方、公的機関は成果や業績に対して支払いを受けるのではなく 予算によって運営される。 そしてその予算は、成果に対する支払いではなく、 活動とは関係のない税金から割り当てられる。 ドラッカーは、予算型組織である公的機関にとって、 成果とはより多く予算を獲得することで、 業績とは、今の予算を維持ないし増加させることであるとする。 「したがって、成果という言葉の通常の意味、 すなわち市場への貢献や目標の達成は二義的となる。 予算の獲得こそ、予算型組織の成果を測る第一の判定基準であり、 存続のための第一の要件となる。」 ~「マネジメント」

■事業の定義は、抽象的■~具体的な目標設定~

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ドラッカーは、公的機関の機能不振について三つの誤解があるとした。 【3 目的や成果が具体的でない。】 公的機関の不振理由として、目的と成果が具体的でないというものがある。 ドラッカーは、これも問題の一面しか見ていないとする。 そもそも、公的機関のみならず、企業にとっても事業の定義は、抽象的にならざるを得ない。 「"食"と"健康"でよりよい生活に貢献」とか「良いものを早く、安くお届けする」、 「消費者のための価格破壊」等の定義は具体的でない。 また”魂の救済”という教会の目的は、定量的には把握できない。 同じく、“芸術の街作り”、”子供たちをすくすくと育てる地域”との地域行政の目的も同様に 抽象 的 である。 しかし、教会への参拝者の数や、美術館の来訪者数、子供の身体能力などは測定できる。 ドラッカーは、事業定義は抽象的であっても、具体的な目標を設定し、その結果を測定して、 成果に結び付けることが大事だとする。 「全人格の発達という学校の目的は、定量的にはつかめない。 だが、「小学三年までに本を読めるようにする」との目標は具体的である。 容易に測定できる。かなり正確に測定できる。」 ~「マネジメント」

■スーパーマンや猛獣使いだけではない。■~組織の数はあまりに多い~

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ドラッカーは、公的機関の機能不振について三つの誤解があるとした。 【2 人材がいない。】 優秀な人材がいないから成果が上げられない、、、、これも嘘である。 公的機関に働くマネジメントが、不適格、無能、不真面目、 怠惰である訳ではない。 また、企業の人間が公的機関のマネジメントに任命されたとき、 官僚よりもうまくやれる訳でもない。 問題は、いかに優れたマネジメントであろうが、 公的機関の役職に就くなり、彼らがただちに官僚になること。 「企業と同様に、公的機関もスーパーマンや猛獣使いだけを マネジメントの地位に置くわけにはいかない。 組織の数はあまりに多い。 あらゆる病院の院長が天才や偉人でありうるはずがない。」 ~「マネジメント」

■効率によって成果を手にできない。■~公的機関不振の三つの誤解~

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ラッカーは、公的機関の機能不振について三つの誤解があるとした。 【1 企業のようにマネジメントしていない。】 まず公的機関は、 ”企業と同じようにマネジメントすれば成果をあげられる” という誤り。 公的機関にとって、企業的であるということは、単なる効率、 つまりコスト管理のみを意味することとなる。 競争がなく、コスト管理を外部から強制されることもない公的機関にも、 効率は当然必要である。 ”しかし公的機関に欠けているものは、成果であって効率ではない。 効率によって成果を手にすることはできない。” ドラッカーは、問題は、公的機関がやるべきことを行っていないことにあり、 コスト意識の欠如にあるのではないとする。 「公的機関の問題の根本は、コスト意識の欠如にあるのではない。 成果をあげられないことにある。 公的機関の問題は、なすべきことをしていないところにある。」 ~「マネジメント」