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6月, 2021の投稿を表示しています

■三人によって創設■~マックス・カンターは胡散臭い~

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 おはようございます。 どんよりとした雲がかかる、 川崎の朝です。 今日は曇り、 気温は高くはならないようですが、 湿気の多い一日になりそうです。 明日から7月、 今日で上半期も終わりですね。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 フリードバーグ商会は マックス・カンター、 オットー・ベルンハイム、 アーネスト・フリードバーグの 三人によって創設された、 とした。 そして、その一人マックス・カンターは すぐに辞めたが、 彼には何かしら胡散臭いところがあった、 と続ける。 彼はたまに商会に現れては フリードバーグから 金を借りていたが、 返しに来ることはなく、 色男のつもりで、 黒い毛のかつらをつけ、 口ひげを黒く染め、 白内障で目がよく見えず、 女の子のお尻のつもりで 椅子の背をなでたりしていた、 とする。 「オットー・ベルンハイムは  まだ五〇代だったが、  卒中で倒れたことがあり、  一週間に一度、二、三時間顔を出すだけだった。  ほとんどの時間黙って座っていた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 10章 マーチャント・バンクの世界)

■フリードバーグ商会の創設■~興味津々たる人たち~

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 おはようございます。 小雨の降る川崎の朝です。 雨雲は通過しそうですが、 時々降ることもありそうです。 傘はお忘れなく。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 フリードバーグ商会は 働きぶりを高く評価し、 厚待遇で対応してくれた、 とした。 しかしドラッカー自身は マーチャント・バンクでの仕事が 心底面白いわけでも、 抜きん出て得意なわけでもないと思っていた、 と続ける。 ドラッカーはそれでも、 商会の人たちと 商会へやってくる人たちが、 興味津々たる人たちばかりだったから、 毎朝の出社は楽しみだった、 とする。 「フリードバーグ商会は第一次大戦時、  敵国ドイツの出身であるというだけの理由で  ロンドン証券取引所の会員権を  取り上げられた三人の取引業者、  マックス・カンター、オットー・ベルンハイム、  アーネスト・フリードバーグによって創設された。」 (Ⅱヨーロッパ人々 10章 マーチャント・バンクの世界)

■マーチャント・バンクで働く人間■~間の抜けた鳴き声~

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 おはようございます。 明るい陽が射し込む 川崎の朝です。 梅雨も後半、 紺屋から明日にかけては 雨が降りそうです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 リチャード・モーゼルから、 マーチャント・バンクである フリードバーグ商会で、 アナリスト兼秘書役で いつから働いてもいいよ、 と言われた。 そして翌日から働き始め、 三年後ニューヨークに向けて発つまで 働くこととなったがその三年間、 あの鳩時計はリチャードに 気に入ってもらえず、 ドラッカーの机の脇に置かれたまま、 15分ごとに間の抜けた鳴き声をあげて ドラッカーを悩ませた、 と続ける。 ドラッカーは、 マーチャント・バンクで働く人間として、 上出来に仕事をしたと言ってもらえ、 フリードバーグ商会は そのような待遇をしてくれた、 とする。 そして、ドラッカーが ロンドンを離れる決心をしたときには 引き留めてくれ、 数年のうちには共同経営者にすると 言ってくれた。 「いよいよ辞める段になると、  ニューヨークを最終目的地とする  地中海周遊船の一等船室ペア券という  豪華なプレゼントをしてくれ、  かつ同社の在ニューヨーク投資顧問として  二年間遊ばせてくれた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 10章 マーチャント・バンクの世界)

■アナリスト兼秘書役■~シティで働くモーゼル~

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 おはようございます。 どんよりとした雲がかかる川崎の朝です。 今日はこれから雨、気温もあまり上昇せず 過ごしやすい一日になりそうですね。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 父から頼まれた鳩時計を、 苦労してロンドンの リチャード・モーゼルに届けた。 そして、 このリチャード・モーゼルには 二、三回出会っていたが、 彼について知っていることといえば、 シティのどこかで働いている ということだけだった、 と続ける。 ドラッカーが鳩時計を届けた後、 そのままお昼をご馳走になり、 経歴や将来が話題になり、 その後リチャード・モーゼルは 次のとおり言った。 「君なら、アナリスト兼秘書役ということで  働けるかもしれないよ。  一緒に社に戻ろう。  私を入れて共同経営者は三人なんだが、  あとの二人に反対がなければ、  いつから働いてもらってもいいよ」 (Ⅱヨーロッパ人々 10章 マーチャント・バンクの世界)

■小さなプレゼントの運搬■~海峡では荷役作業まで~

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 おはようございます。 まぶしい陽射しの川崎の朝です。 今日は一日晴れ、 明日からは梅雨空に舞い戻り。 うっとおしい時節、 今日は外歩きが良さそうですね。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 父から、友人の一人に 小さなプレゼントとして、 身の丈近くの大きさの 鳩時計をロンドンまで 届けてもらえないかと頼まれた。 そして、 汽車が混んでいたために、 乗降客が通れるように、 駅に停まる都度、 その大きな鳩時計を 動かさなければならなかった、 と続ける。 またさらにパリでは、 駅から駅へ引きずって いかなければならなかったし、 海峡では荷役作業までさせられ、 ようやくビクトリア駅にたどり着き、 その小さなプレゼントの 受取人であるリチャード・モーゼルに 朝の10時頃電話をかけると、 彼は次のとおり言った。 「それでは、  そのままタクシーに乗って  届けてくれませんか。  改めて届けてもらうとなると  大変でしょうから」、 (Ⅱヨーロッパ人々 10章 マーチャント・バンクの世界)

■5フィートほどの鳩時計■~当てのない職探し~

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 おはようございます。 雲がびっしりと空を覆う、 川崎の朝です。 まだ雨は降ってはいないようですが、 雷雨の可能性もありそうですね。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 今日から「10章 マーチャント・バンクの世界」。 ドラッカーは、 自分自身が今日あるのは、 身の丈近くの大きさの 鳩時計のおかげである、 とする。 そして、 1933年から34年にかけての冬、 ドラッカーはウィーンの実家で クリスマスを過ごし、 そのままずるずると 時を送っていた、 と続ける。 ドラッカーが、 ようやく腰を上げ、 ロンドンに戻って 当てのない職探しをしようと 決心のついたとき、 父から、友人の一人が、 ロンドンで働いている子息のために 小さなプレゼントを贈りたっがているので、 それを届けてもらえないかと頼まれた。 「その小さなプレゼントが、  私の力では持ち上げることも  容易ではなかった  五フィートほどの鳩時計だった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 10章 マーチャント・バンクの世界)

■君は必要ない■~ソ連に力を貸そうと決心~

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 おはようございます。 薄い雲がかかってますが、 明るい陽が射し始めた 川崎の朝です。 天気は段々と下り坂、 雨が降る可能性もあります。 この時期やはり傘が必要ですね。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ノエルにとってアメリカへの旅は 散々なものとなった、 とした。 しかし国では、 もっとひどい仕打ちが待っていた、 と続ける。 彼は帰りの船中、 それまでの丸々二年間の 共産主義者の仕打ちを水に流し、 ヒトラーに対する 連戦連敗という苦難にある ソ連に力を貸そうと決心し、 ロンドンに着くや、 マイスキーに面会を求めた。 マイスキーは彼を三時間待たせ、 ようやく部屋に通されたが、 それまで25年間にわたって マイスキーから 「ノエル」と呼ばれていたにも関わらづ、 この時は「ブレイスフォード」と呼ばれた。 ドラッカーは、 ブレイスフォードからの手紙によれば、 マイスキーは次のとおり言った、 とする。 「ブレイスフォード、  もうここには来ないでくれ。  来ても会うつもりはない。  われわれにはもう君は必要ない」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■心破れた老人として■~目的そのものが霧消~

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 おはようございます。 薄い雲がかかってますが、 明るい陽が射し始めた 川崎の朝です。 今日は全国的に貼れたり雨が降ったり、 雷雨のところもありそうです。 お気を付けください。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 偶々その夏、コネチカットと マサチュセッツの州境近くに、 避暑用の小屋を借りていたので、 ノエルとクレアに、 一緒に七月を過ごそうと持ちかけた、 とした。 しかし、 ノエルにとってアメリカへの旅は 仕事と私的用件の二つの面で 散々なものとなった、 と続ける。 仕事のほうは、 ヒトラーがソ連に攻め入ったために、 共産党を始めあらゆる左翼が 介入論者に衣替えしていたので、 ルーズベルト政権に依頼された講演旅行は、 彼がアメリカに到着する前に 目的そのものが霧消していた。 「さらに私的な用件のほうは  完全な失敗で彼自身が  アメリカに移住してもよい  と言ったにもかかわらず、  クレアは彼の元に帰ることを断った。  ノエルはアメリカ滞在を  二週間で切り上げ、  心破れた老人として国へ帰った。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■その前にすることがあった■~ノエルとクレアと一緒に過ごす~

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 おはようございます。 明るい陽が射す川崎の朝です。 今日は雲は出ますが、基本的に晴れ。 湿度が高く蒸し暑い一日になりそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ブレイスフォードは ルーズベルト政権からの 講演旅行の依頼に喜んで応じた、 とした。 しかし彼にはその前にすることが 一つあった。 それは、 ケープ・コッドに落ち着いていたクレアに、 戻ってくるよう話をすることだった、 とする。 「偶々その夏、私たち夫婦は、  コネチカットとマサチュセッツの州境近くに、  避暑用の小屋を借りていた。  そこで私たちは、  ノエルとクレアに、  一緒に七月を過ごそうと持ちかけた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■ルーズベルト政権の依頼■~講演会の取り消し~

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 おはようございます。 雲は浮かんでますが、 所々に青空がのぞく川崎の朝です。 今日は夏至、昼間が一番長い日、 夏の始まりですね。 暑くなりそうです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ブレイスフォードはアメリカの 左翼知識人に影響力があったため、 彼の共産主義との決別は、 共産主義の敵として非難中傷の的になった、 とした。 そしてまた、 アメリカのある有名大学などは、 ブレイスフォードの講演会を 企画していたところ、 キャンパス内外の 共産主義者とそのシンパからの圧力によって、 招待を取り消さざるをえなくなった、 と続ける。 ドラッカーは、 1941年の春、 大学、マスコミ、知識人などの ニューディール支持層の 孤立主義的傾向に驚いたルーズベルト政権は、 イギリス政府に依頼して、 長年彼らに影響力のあった ブレイスフォードを 講演旅行に引っ張り出した、 とする。 「ブレイスフォードは  喜んで依頼に応じた。  ようやく彼も何かを  できることになったのだった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■独ソ不可侵条約の締結■~ ファシストの手先ブレイスフォード~

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 おはようございます。 薄曇りの川崎の朝です。 今日は少し晴れ間ももありそうですが、 梅雨ですのでね。。 昨日はアワクチン初回接種、 痛みもなく、 息子から贈られた桜肉の刺身も 適度なお酒でおいしくいただきました。 過度な飲酒は副反応を招くのでしょうかね。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ノエル・ブレイスフォードは ドラッカーの処女作 『「経済人」の終わり』の序文で、 はっきりと共産主義は失敗だった と書いた結果、 彼の共産主義との決別も 世の知るところとなると同時に、 共産主義者は彼を 正面切って攻撃し始めた。 そしてその頃には スターリンは、 ヒトラーとの独ソ不可侵条約を結び、 さらに、西側に対する ヒトラーの戦いを支援し、 戦力をそぎ、 アメリカの参戦を阻止しようとしていた。 ドラッカーは、 ブレイスフォードは、 アメリカの左翼知識人に 影響力があったため、 彼は共産主義の敵として 非難中傷の的になったが、 ブレイスフォードの 古くからの友人で、 アメリカの代表的なリベラルの雑誌 『ニュー・リパブリック』の編集者 ブルース・ブリベンが後日 話してくれたところによると 次のとおりであった、 とする。 「軍国主義者、裏切り者、   ファシストの手先ブレイスフォードに   書かせるなとの圧力ほど   強力なものを経験したことは、  後にも先にも一度もなかった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■共産主義は失敗だったと書いた。■~屋根の上から大声を出す~

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 おはようございます。 今にも雨が降ってきそうな川崎の朝です。 これから雨、明日は一旦小康状態、 しかし来週は梅雨らしい一週間になりそうです。 土曜日、良い週末をお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ノエルは、 ドラッカー処女作『「経済人」の終わり』の 序文を書くことによって、 共産主義と堂々と手を切れると思う、 と言った。 ドラッカーは、 それは控えめなやり方であり、 人の本への序文では、 屋根の上から大声を出すのとは 大いに違うが、 明確な意思表示であることに 変わりはなかった、 と続ける。 その序文のなかで、 ノエルははっきりと、 共産主義は失敗だったと書いた。 「数か月後に本が出版され、  とくに彼が予想した通り評判になると、  彼の共産主義との決別も  世の知るところとなった。  同時に、共産主義者は彼を  正面切って攻撃し始めた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■ヒトラーとスターリン■~共産主義と手を切れる~

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 おはようございます。 まぶしい陽射しの川崎の朝。 今日は晴れ、 週末は梅雨らしい天候の予報ですね。 、 このところの東京の新型コロナ感染者数は 前週比増加という中、 政府は緊急事態宣言を解除する見込み。 チグハグ感満載ですが、 五輪有観客開催という強い意志のもと、 なりふり構わずって感じ。 明日は初回ワクチン接種に行ってきます。 女房は昨日接種し、今すごく痛がってる、 止めようかな。。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 処女作『「経済人」の終わり』を 書き上げアメリカの出版社に 出版を検討してもらうために、 原稿を預けてきたところだったが、 編集者は、 ナチスの全ユダヤ人の殺害という見方と ヒトラーとスターリンは手を組むとの予測という 二つの内容について危惧していた、 とした。 そして、 この二つのことは、 当時の西側社会の まともな人たちにとっては、 とうていありうべからざることとして 受け取られるに違いなかった、 と続ける。 その夜、ドラッカーはノエルに この本の話をし、 出版の難しさについて話をしたところ、 原稿を一晩見せてくれないかと言った。 翌朝ノエルは、 徹夜で読んでくれたらしく、 目を赤してかなり興奮し、 これは一級品で、 例のニューヨークの出版社に、 すぐに出版しろと電報を打っておいた、 と話し次のとおり続けた。 「礼など言うに及ばないよ。  その代わり一つ頼みがあるんだ。  序文を書かせてもらえないだろうか。  実は、私が序文を書くつもりだ  ということも電報に書いたんだ。  そうすることによって、  僕も共産主義と堂々と手を切れると思うんだ」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■処女作『「経済人」の終わり』■~二つの危惧~

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 おはようございます。 曇り空の川崎の朝、 肌寒い空気が窓から入ります。 今日も断続的に雨、 雷雨のところもありそうですので、 お気を付けください。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ブレイスフォードは、 ドラッカーには、 いつものように優しく 心遣いをしてくれたが、 自らの近況については 話そうとせず、 ドラッカーの妻や、 関心について話してくれと言った。 ドラッカーは、 処女作『「経済人」の終わり』を 書き上げアメリカの出版社に 出版を検討してもらうために、 原稿を預けてきたところだったが、 編集者は二つのことについて危惧していた、 と続ける。 「一つは、ナチスは、  彼らのいう最終解決、  すなわち全ヨーロッパの  全ユダヤ人の殺害を  本当に実行する気であるとの  私の見方だった。  もう一つは、ヒトラーとスターリンは  手を組むとの私の予測だった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■ノエル・ブレイスフォードの不運■~自らの近況は話さない~

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 おはようございます。 曇り空の川崎の朝です。 未明まで時折雷鳴が響いてましたね。 今日も梅雨の一日、 雷雨の予報も出てますので、 気を付けて下さい。 水曜日、 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 この公的な不面目に加え、 クレアが彼のもとを去るという 私的な不運がノエルを襲った、 とした。 そして、三月の寒風が吹きすさぶ中、 ドラッカーを迎えた ノエル・ブレイスフォードは、 そのような絶望の只中にあった、 と続ける。 しかしドラッカーには、 いつものように優しく 心遣いをし、 かつてのように、 小さいが心温まる楽しみも 用意していてくれた、 とする。 「それは、氷の残る小川の土手に  芽を出した猫やなぎだった。  彼は、自らの近況については  話そうとしなかった。  私に、妻のことや、私自身のことや、  私の関心について話してくれと言った。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■ノエルの公的不面目■~クレアが彼のもとを去る~

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 おはようございます。 雲の多い川崎の朝です。 昨日やっとこちらも梅雨入り、 こうなればいつ降っても おかしくなんでしょうね。 晴れたり曇ったり降ったりの 一日の様です。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ブレイスフォードは、 マイスキーの指導によって、 スペインでの状況を ナチスの宣伝と決めつける 論文を書いた、 とした。 そしてその嘘が 事実であることが 明らかにされていった、 と続ける。 ドラッカーは、 この公的な不面目に加え、 伴侶クレアが彼のもとを去るという 私的な不運がノエルを襲った、 とする。 「すでに、同棲していた  ロンドンのアパートを出ていた。  モンクス・リズボロの別荘には、  ノエルが来ていないことが   わかっている日だけ訪れ、  アメリカ行きのための   荷づくりをしていた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■ソ連共産党コミッサールの粛清■~その嘘はナチスの宣伝~

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 おはようございます。 朝から静かに小雨が降る川崎の朝です。 きょうは一日こんな天気の様です。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 スペインからの報道によると、 共和派はようやく持ち堪え、 防戦一方の状況であった、 とした。 さらにひどいことに、 ソ連共産党のコミッサールが、 共産党以外の民主勢力、 すなわち社会民主主義者、 カトリックのバスク人、 自由主義者のカタロニア人、 あるいは無政府主義者を 粛清していた、 と続ける。 ドラッカーは、 一九三七年についにその実態が スペインの国外に伝えられるや、 ソ連共産党ははっきりと否定し、 あろうことか、 マイスキーの指導によって、 ブレイスフォードが、 その嘘をナチスの宣伝と 決めつける論文を書いたのだった、 とする。 「ところがほとんど同時に、  ジョージ・オーウェル、  アーサー・ケストラー、  アーネスト・ヘミングウェイ、  あるいはアブラハム・リンカーン旅団の  帰還者の一致した証言として、  その嘘が事実であることが   明らかにされていった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■オーストリアの併合■~スターリンの粛清と偽りの裁判~

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 おはようございます。 曇り空の朝、 今日は一日こんな感じのようですね。 日曜日、静かな休日をお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 打ち合わせのために、 大西洋を渡った際、 ノエルがモンクス・リズボロの別荘に 招いてくれたが、 わずか一年二か月ぶりというのに、 10歳も年を取ったように見えた、 とした。 そして、 ドラッカーが船で イギリスに向かっている最中に、 ヒトラーが、 武力による領土奪取の最初の試みとして オーストリアを併合していたが、 イギリスやフランスでは、 ヒトラーとの宥和政策が進行していた、 と続ける。 他方、スターリンの粛清と 偽りの裁判が恐怖の度を高め、 さらにスペインからの報道によると、 共和派はようやく持ち堪え、 防戦一方の状況であった。 「ドイツとイタリアが  フランコのために  武器と兵員を送り込んでいたのに対し、  西側の大国は共和派への  武器の輸出を禁じたままだった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■共産主義と手を切る決心■~10歳も年を取ったように見えた。~

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 おはようございます。 雲がびっしり空を埋めています。 暦の上では昨日が入梅、 関東地方も来週あたりいよいよ 本当の梅雨入りしそうですね。 マスクがより一層 鬱陶しさをあおりそうですね。 土曜日良い週末をお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ブレイスフォードは 悩むことになり、 どうしても誰かに 話をする必要があったが、 左翼の人間と 話すわけにはいかなかったため、 左翼ではないドラッカーが、 自らの考えをまとめる手段として 選ばれたのだった、 とした。 そして、 ブレイスフォードがいよいよ 共産主義と手を切ることを決心したとき、 再びドラッカーが、 そのための手段として選ばれた、 と続ける。 ドラッカーは、 自身がイギリスを離れて一年後、 イギリスの新聞社の在アメリカ特派員 としてのヨーロッパ取材及び、 在アメリカ投資顧問としての イギリスの金融機関との打ち合わせのために、 大西洋を渡った、 とする。 「その最初の週末、  ノエルが私をモンクス・リズボロの別荘に  招いてくれた。  わずか一年二か月ぶりというのに、  10歳も年を取ったように見えた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■ブレイスフォードの悩み■~良心を時代の状況に合わせた~

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 おはようございます。 朝は晴れてますね。 しかし段々雲が増えて、 週末に向けて天気は悪くなりそうです。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ブレイスフォードの強みは、 結果を考えずに良心に従うところにあり それはあらゆる反体制派に共通する強みだったが、 ブレイスフォード自身も自覚していたように、 それが彼らの弱みでもあった、 とした。 そのため彼は、 ついに一生に一度のこととして、 自らの良心を時代の状況に 合わせたのだった、 と続ける。 ドラッカーは、 いかに古くからの友人とはいえ、 もはやマイスキーの言うことを 信じることはなく、 スターリンの宣伝も 共産主義の大義も信じなかったが、 スターリンと共産主義者を批判し、 彼らと公然と絶縁することには 二の足を踏んだのだった、 とする。 「こうして彼は悩むことになった。  どうしても誰かに話をする必要があった。  しかし左翼の人間と話すわけにはいかなかった。  そこで左翼ではない私が、  自らの考えをまとめる手段として  選ばれたのだった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■結果を考えずに良心に従う■~反体制派に共通する強み~

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 おはようございます。 明るい朝日が差してきました。 昨日は猛暑のところもあり、 暑い一日でした。 今日も熱中症には注意が必要です。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ マイスキーは、 ブレイスフォードに対して、 共通の敵であるファシストを 利することを行えば、 ナチスは喜び多くのヨーロッパ人が、 左翼を捨てることになるので、 そのようなことは行わないで欲しい、 と懇願した。 しかしブレイスフォードは、 甘い言葉で動かされるほど うぶではなく、 果てしない粛清や裁判劇についての マイスキーの全面否定や、 モスクワの嘘に騙される程度の ジャーナリストでもなかった、 と続ける。 ドラッカーは、 ブレイスフォードは、 共通の敵を助けたり、 喜ばせたりすることは止めて欲しいとの マイスキーの訴えだけは効いたのだった、 とする。 「ブレイスフォードの強みは、  結果を考えずに良心に従うところにあった。  それがあらゆる反体制派に共通する強みだった。  しかし、ブレイスフォード自身も自覚していたように、  それが彼らの弱みでもあった。」

■難破船として左翼を捨てる■~蒸し返してもしようがない~

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 おはようございます。 まだ雲が空を覆っていますが、 これからは晴れて、 真夏日予報のところもあります。 暑さ対策にご注意を。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 マイスキーの任務の一つが、 ブレイスフォードの良心を 眠らせておくことで、 週に一度はノエルと懇談し、 彼がモスクワの二枚舌や 恐怖政治に動揺する都度、 マイスキーはそれを否定し、 ナチスの宣伝と片付けた、 とした。 そしてやがて、 それらが事実であることを 認めざるをえなくなった頃には、 それらのことを昔話にしてしまい、 ついには、済んでしまったことを 蒸し返してもしようがない というセリフが、 マイスキーの口癖になった、 と続ける。 そのうえマイスキーは、 共通の敵である ファシストを 利することだけは 止めて欲しいと 次のとおり懇願するのだった。 「そんなことであなたの名が出れば、  ナチスがどれだけ喜ぶかを考えてください。  人民戦線の生みの親であるあなたが見捨てたら、  どれだけのイギリス人、いやヨーロッパ人が、  難破船として左翼を捨てることになるでしょうか。  あなたの自己満足のために、  どれだけの害がもたらされるかを考えてください」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■良心を眠らせておくこと■~モスクワの二枚舌や恐怖政治~

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 おはようございます。 明るい日が差しています。 今日は昨日以上の暑さ、 真夏日予報です。 水分補給に注意が必要です。 火曜日今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 マイスキーは、 多数派のメンシェビキに属し、 1917年の総選挙で圧倒的な勝利を収め、 連立政権の一員となっていたが、 ボルシェビキの蜂起によって倒された、 とした。 そして彼は、 メンシェビキの リーダーのほとんどが 処刑されるか収容所に消えていった中で、 ブレイスフォードを始めとする イギリスの社会主義者による、 レーニンおよびトロツキーへの 取りなしによって、 辛うじて生き延びたとのことだった。 やがてマイスキーは、 レーニン後の党内抗争において、 すべてをスターリンに かけることによって階段を昇り詰め、 ついには在イギリスソ連大使の地位まで 得たのだった。 「そしてその任務の一つが、  ノエル・ブレイスフォードの良心を  眠らせておくことだったのである。  彼は、週に一度はノエルと懇談し、  内部情報なるものを流し、助言を求めた。  ブレイスフォードがモスクワの二枚舌や  恐怖政治に動揺する都度、  マイスキーは否定し、ナチスの宣伝と片付けた。、」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■マイスキーの役割■~連立政権の一員~

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 おはようございます。 今朝も曇り空、 日中は時々晴れて、気温上昇、 水分補給に注意が必要です。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 教育ある若者の間で、 知られていた ブレイスフォードのソ連支持は、 いかなる宣伝にも勝っていたため、 在イギリスソ連大使マイスキーは、 彼の離反を防ぐことに 全精力を傾注していた、 とした。 そして、 マイスキーは、 亡命者として第一次大戦前から ロンドンにいたが、 その間にブレイスフォードと 親しくなった、 と続ける。 ドラッカーは、 あるときブレイスフォードが 洩らしたところによれば、 マイスキーは、 ブレイスフォードの口ききで、 『マンチェスター・ガーディアン』から 調査の仕事をもらっていたことがあった、 とする。 「マイスキーは、  レーニンとボルシェビキに対立する  多数派のメンシェビキだった。  一九一七年の総選挙では  このメンシェビキが圧倒的な勝利を収め、  マイスキーは、同年の10月に  ボルシェビキの蜂起によって倒されるまで、  連立政権の一員となっていた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■マイスキーの重要な任務■~離反を防ぐことに全精力を傾注~

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 おはようございます。 朝から断続的な雨、 きょうは一日こんな天気の様です。 静かな休日をお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 共産主義者にとって、 ブレイスフォードは 大事な存在だったと、 とした。 そして、 これはブレイスフォードの重要性の 買い被りかもしれないが、 彼を友人として引きつけておくことが、 マイスキーの重要な任務の 一つであったことは間違いなかった、 と続ける。 ドラッカーは、 ブレイスフォードは、 とくに政治と政治家に不信を抱く 教育ある若者の間で、 その真摯さ、不偏不党ぶり、 無欲さによって知られていた、 とする。 「したがって彼のソ連支持は、  いかなる宣伝にも勝っていた。  こうしてマイスキーは、  ブレイスフォードの離反を防ぐことに  全精力を傾注していたのである。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■ブレイスフォードの友人■~在イギリスソ連大使のポスト~

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 こんにちは 雨が降ったやんだり、 不安定な天候です。 台風が奄美方面から北上中、 注意が必要です。 土曜日、良い週末をお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ブレイスフォードの心は、 あらゆる権力に抗する 良心に戻るべきことを命じたが、 彼のなまじっかの政治感覚が 「敵の敵は味方である」と囁いた、 とした。 そして、 共産主義者はブレイスフォードの 葛藤を知っており、 彼を細心かつ巧妙に扱った、 と続ける。 ドラッカーは、 彼らにとって、 ブレイスフォードは 大事な存在だったとし、 さらに次のとおり、 付け加える。 「それから何年も後、  私は、第二次大戦中に  ワシントンに駐在していた  あるイギリスの外交官から、  マイスキーが長い間  在イギリスのソ連大使のポストにあったのは、  ひとえに、彼がブレイスフォードの友人として  信頼を勝ち得ていたからだったと  解説されたことがある。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■敵の敵は味方である■~こうして悪を宥した。~

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 おはようございます。 雲が空を覆う川崎の朝です。 これから一日雨、 だんだん強くなりそうです。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ソ連により粛清された多くが ブレイスフォードの知り合いだったが、 彼としては、 彼らが裏切ったことも、 自白したとされたことも 信じられなかった、 とした。 しかし、 暗黒の勢力たるナチズムが 力を伸ばしている今、 それに対抗すべき者が 他にいないとき、 ソ連と手を切ることが どうしてできただろうか、 と続ける。 彼の心は、 あらゆる権力に抗する 良心に戻るべきことを命じたが、 彼のなまじっかの政治感覚が 「敵の敵は味方である」と 囁いた。 「こうして彼は悪を宥した。  少なくとも目をつぶった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■粛清の始まり■~多くがブレイスフォードの知り合い~

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 おはようございます。 明るい陽が射し始めた 川崎の朝です。 今日は一日曇り空、 夜半から雨、明日は全国的に大雨となりそうです。 オリンピック開催まで50日、 政府は”安全対策を万全にしてに行う” の一点張りだが、 多くの国民は腑に落ちた説明が なされていないと、不信感を示している。 進むも地獄退くも地獄、 時間は待ってくれないよ。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ブレイスフォードは、 良心の人ではあっても 政治の人ではなかった、 とした。 そして、 数年後にはソ連の農民虐殺は 疑いの余地のない事実として 伝えられたが、 それでも、土地を所有させるとの 共産党の約束を信じたことを 唯一の罪状としての スターリンの虐殺は、 西側ではほとんど信じられなかった、 と続ける。 そこへ今度は粛清が始まり、 知識人、労組のリーダー、芸術家、 科学者、技術者、管理者、 軍人が対象となり、 そして革命を担った者までが粛清された、 とする。 「彼らの多くが、  ブレイスフォードの知り合いだった。  彼としては、彼らが裏切ったことも、  自白したとされたことも信じられなかった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■良心の人でも政治の人ではなかった■~スターリンの農民虐殺~

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 おはようございます。 薄い雲がかかってますが、 ほのかな陽が射し始めた 川崎の朝です。 このまま日中も曇り空ですが、 蒸し暑い一日になりそうです。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ブレイスフォード自身、 ドイツでヒトラーに 政権をもたらしたものが、 モスクワの指示による ドイツ共産党の 民主中道左派への 攻撃だったことを知っていた、 とした。 しかし彼は、 いかに共産主義者といえども、 このドイツでの教訓は身にしみて わかったはずであるとしていたが、 数年後、今度はフランスで、 共産主義者は左翼人民戦線の レオン・ブルム内閣を無力化し、 次いで崩壊させたのだった、 と続ける。 ドラッカーは、 ブレイスフォードは、 良心の人ではあっても 政治の人ではなかった、 とする。 「彼がスターリン礼賛を書いた頃には、  スターリンの農業集団化の特徴だった  農民虐殺の第一報は、  西側に洩れ伝わっていた。  単に、あまりにひどい話であるために、  にわかに信じられなかっただけのことだった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■非共産主義左翼の弱体化■~民主中道左派への攻撃~

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 おはようございます。 明るい陽が射し始めた 川崎の朝です。 今日から6月、 波乱の2021年も 折り返しとなりますね。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 初めてブレイスフォードに会った頃には、 すでに彼はスターリンに疑いの念をもっており、 しかもその疑いは増大する一方だった、 とした。 そして、 スターリンは、 ブレイスフォードの 左翼人民戦線のスローガンを多用したが、 スターリンとその共産党が、 そのスローガンを ブレイスフォードと 同じ意味で使っているのでないことは 明らかだった、 と続ける。 彼らにとってそれは、 非共産主義のパートナーを 完全服従させての共産党独裁を意味し、 ナチズムとの闘いよりも、 非共産主義の左翼の弱体化のほうが はるかに重要なことが 日々明らかになっていった、 とする。 「ブレイスフォード自身、  ドイツでヒトラーに  政権をもたらしたものが、  モスクワの指示による  ドイツ共産党の  民主中道左派への攻撃だったことを  知っていた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)