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■風穴を開けるという野心■~女性の入学は無理~

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おはようございます。 雲がどんよりと空を覆う 川崎の朝です。 今日はこのまま曇り空、 しかし寒さは感じない一日 になりそうですね。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ゲーニアは、 チューリッヒ大学に進学し、 1903年にはドイツ文学で 博士号をとった。 そして、女性の大学進学を拒む オーストリア・ハンガリー帝国の 教育制度に風穴を開けるという野心を抱いて、 ウィーンへやってきたのだった。 「オーストリアでも法律上は  女性でも大学に入れた。  資格試験に受かれば  誰でも入れることになっていた。  だが現実には女性の入学は無理だった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■私生児として生まれ■~女子入学を認めたチューリッヒ大学~

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おはようございます。 曇り空の川崎の朝です。 昨日は予報通りの雪、 霙どころか湿気の多いぼた雪に 驚かされました。 今朝は雪景色もすっかり消えてますが、 気温は低く、 日陰では凍結で滑りやすいところもあるようです。 お気を付け下さい。 今日はテレワークにします。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ゲーニアは、 得意とするものについては 抜きん出ており、 彼女が行なったことは、 むしろヘムよりも偉大であり、 創造的だった、 とした。 ゲーニアは、オーストリア領 ボーランドのロシア国境近くの出身で、 彼女の父親は、ヘムの父親と違い、 豪商ともいうべき材木商だった。 噂によれば、ゲーニアは、 その材木商がポーランド人のメイドに生ませ、 死ぬ間際に結婚してようやく 認知したという私生児だった。 「いずれにしても彼女は、  10代の終わりに膨大な財産を相続した。  彼女は、一九世紀末の当時、  ドイツ語圏の大学としては  唯一女子の入学を認めていた  チューリッヒ大学に進学した。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■ヘムよりも偉大で創造的■~化粧がかえって老けさせた。~

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おはようございます。 寒い雨が降り続く 川崎の朝です。 気温は零度に近づき、 午前中は霙から雪。 咲いたばかりの桜も、 ひっそりと雪化粧ですね。 丁度外出自粛、 ほっこり熱燗で家呑みが良いです。 暖かくしてお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ゲーニアは 目立って歳をとっていったが、 ヘムのほうは歳をとらなかった。 ゲーニアの鍵台に飾ってある 20歳の彼の写真は、 45年後の人生のたそがれ時と ほとんど変わらなかったが、 ゲーニアは老けるのが早く、 しかもこの変化にも過度に反応し、 化粧がかえって老けて見えさせた。 連れ歩く愛人もいずれも年下で、 かえって本人を年以上に見せた。 いずれも大喧嘩で終わり、 ときには、相手に 細君のいたことがわかったり、 細君が彼女のところの 事務員だったこともあった。 「ゲーニアは、  得意とするものについては抜きん出ていた。  彼女が行なったことは、  むしろヘムよりも偉大であり、  創造的だった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■ゲーニアの野心■~頭のよさも仕事の実績も捨てる~

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おはようございます。 雲がどんよりと空を覆う 川崎の朝です。 しばらく暖かな日が続いていましたが、 午後から明日にかけては、 ぐっと寒くなりそうです。 自粛の週末、 自宅で一人酒盛りでもして、 静かに過ごします。 良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘムは、 引退後は家にこもり、 クラシックのレコードを聴いたりし、 ますます無口になっていったが、 たまに口を開けば 相変わらず辛辣だった。 ヘムが角ばっていたのに対し、 妻のゲーニアは 丸味を帝びていたが、 太ってはいなかった。 ヘムが咬みつき亀ならば、 ゲーニアは赤リスで、 背はちょっとだけ低めで スマートではなく、 美人でもなかった。 とはいえ、本人が 気にしなければどうということはなく、 目はあどけない子供の目であり、 とび抜けて魅力的で、 それはあらゆる感情を表した。 髪は赤褐色で美しく波打っていたが、 なぜか学生の頃から短く切っており、 着ているものはいつも細身で、 尻や脚の太さを強調する結果になっていた。 「美しくなれるものなら、  頭のよさも仕事の実績も捨てて  顧みないであろうことは明らかだった。  これらのことは、  年をとるに従って目立っていった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■公の場から姿を消す■~口を開けば相変わらず辛辣~

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おはようございます。 薄曇りの川崎の朝です。 これから雲が増え、 時々雨が降りそうですので、 雨具の準備をお忘れなく。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘムが天下った アングロ・オーストリア銀行は、 その名の通り、 イギリス資本が入っており、 イギリスの銀行が株主になっていた。 そこでイングランド銀行が 清算に乗り出し、 ヘムは60歳前に引退し、 公の場から一切 姿を消すことになったのだった。 ヘムはこれらの成り行きを 淡々と受け入れたが、 彼の唯一の感想が、 クローネ暴落と銀行倒産の 責任をとらなければ、 戦時の財政運営を 誇ることもできなくなる というものだった。 「だが、外見は平静だったものの、  あくまでも敗者だった。  家にこもり、チェスの詰めものを解いていた。  ビリヤードをしたり、  クラシックのレコードを聴いたりしていた。  ますます無口になっていった。  たまに口を開けば相変わらず辛辣だった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■ヘムの挫折■~清算された歴史ある大銀行~

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おはようございます。 薄雲、少し肌寒さを感じる川崎の朝です。 日中は晴れて暖かな一日の様です。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ オーストリアのインフレは、 僧籍の反動政治家イグナーツ・ザイベル師の、 失業を一顧だにすることのない 公共投資への大なたによって、 ようやく制禦された。 その頃、 ヘムはもう一つ大きな挫折をしていた。 大蔵省を辞めたあと、 ウィーンの大銀行 アングロ・オーストリア銀行の 会長に天下ったが、 それは、親友が自殺した 後を引き継いでだった。 噂では、同行が倒産寸前までいったのは、 銀行の会長が、 ヘムのインフレ抑制策の 成功を信じていたためだった。 さらに噂では、ヘムが後を継いだのは、 この親友の汚名をすすぐためだったが、 銀行の再建は、 誰がやってもできるはずがなかった。 「人口6000万の  オーストリア・ハンガリー帝国で活動していた  15近い銀行の全本社が、  人口600万のアルプスの  弱小共和国にそのまま残されていた。  戦後それらの銀行が次々と   整理されるなかで、  最初に清算された歴史ある大銀行が   ヘムの銀行だった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■「資本主義・社会主義・民主主義」■~インフレによって崩壊する~

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おはようございます。 快晴の川崎の朝です。 花冷えが続きましたが、今日は春うらら。 桜も一気に開くような暖かな一日になりそうです。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ シュンペーターは、 何をなすべきかを知っており、 しかも、ヘムのような一高級官僚ではなく、 大臣だったにもかかわらず、 そのなすべきことを できないまま辞任することとなった。 そして、 その後シュンペーターは、 ドイツのボン大学で教授となり、 1929年にはアメリカの ハーバード大学へ移った。 彼が辞任した1922年には、 戦前や戦争直後の時代でさえ 1クローネだったものが、 7万5000クローネになっており、 シュンベーターは、 インフレとの戦いは、 経済理論や経済政策ではなく、 政治的な意思の問題である との確信を得て辞任した。 彼の主著「資本主義・社会主義・民主主義」 の悲観的な結論である、 民主主義は政治的な意思の欠如のゆえの インフレによって崩壊するとの主張は、 このヘムの後任としての、 悲痛な失敗を下敷きにしていたのだ。 「事実オーストリアのインフレは、  僧籍の反動政治家イグナーツ・ザイベル師の、  失業を一顧だにすることのない  公共投資への大なたによって、  ようやく制禦されたのだった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■シュンペーターの登場■~政治は社会主義者の手に~

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おはようございます。 明るい陽射しの川崎の朝です。 昨日は花冷え、今朝も少し冷え込みましたね。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘムは、財政の立て直しに 完全に失敗したまま退任した。 そして、ヘムの後任に、 オーストリア随一の、 あるいはヨーロッパ随一の 経済学者である、 あのジョセフ・シュンペーターが就任したが、 同様に失敗した。 彼は何をなすべきかを知っており、 しかも、ヘムのような一高級官僚ではなく、 大臣だったにもかかわらず、 そのなすべきことを なすことができなかった。 「当時オーストリアの政治は、  社会主義者の手に握られていた。  彼らは、公共投資のカットを拒否した。  そのためシュンペーターも、  就任して一年後には辞任した。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■敗戦後のインフレ■~最後にヘムは挫折した。~

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おはようございます。 高知での連休でした。 今日東京に引き上げます。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 当時のオーストリア・ハンガリー帝国が、 四年もの間戦い抜けたのは、 ひとえにヘムの財政手腕のおかげだった、 とした。 しかし、最後にヘムは挫折した。 敗戦後大蔵省を去って復員庁の長官に転じ、 傷痍軍人の社会復帰に力を入れていたが、 オーストリアの通貨体制が崩壊して、 1921年にクローネが戦前の1000分の1 に減価したとき、 再び大蔵省に呼び戻され、 前にも増した権限を与えられた。 そこで彼は完全に失敗したが、 どうしようもなかったのだ。 「紙幣の印刷を止め、  すでに絶望的な高率に達していた  失業率をさらに高めることなどは、  政治的に許されなかった。  彼は通貨の増発を続けた。  半年後クローネはさらに10分の1に下落し、  ヘムは退任した。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■脆弱、後進、弱体■~ヘムの財政手腕~

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おはようございます。 雲の多い高知の朝です。 三連休最終日、九州地方は雷雨の予報も、 お気を付けください。 良い休日をお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘムは、 第一次大戦の最中に次官補に登用され、 金融財政に関しては、 ほぼ独裁的な権限を握った 当時のオーストリア・ハンガリー帝国は、 十指にあまる民族間の対立と 諸々の制度疲労によって ひどい財政状況にあった。 外貨準備はなく、 工業は脆弱、農業は後進的、 年老いた皇帝を筆頭に、 政治も軍も弱体だった。 「その帝国が四年もの間戦い抜けたのは、  ひとえにヘムの財政手腕のおかげだった。  彼は、増税ではなく、  国債の発行によって財政難を切り抜けた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■いつもヘムが正しかった■~金融財政に関する独裁的権限~

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おはようございます。 薄っすらと雲がかかる高知の空です。 高知らしく朝は冷え込みましたが、 日中は20度近くになりそうです。 ひろめ市場も昨日閉鎖解除、 朝から相変わらず混んでいるんでしょうか。 高知の感染は落ち着いているようです。 三連休中日、気を付けてお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 第一次大戦が始まり、 軍が動員される日まで、 誰もへムの警告を 深刻に受け止めなかった。 しかし、いつもヘムが正しかった、 しかも、見込みがなくとも、 正しいと思ったことには 全力を尽くしていた。 ヘムは、いわゆる平民としては、 記録的な速度で高等官に出世をした。 通常は50歳、貴族でさえ40歳まで 待たされるというのにヘムは35歳で任命され、 かつ、かつて自分のほうから袖にした 大蔵省に財政担当として移った。 「しかも、ヘムが止めようとした  第一次大戦の最中に次官補に登用され、  金融財政に関しては、  ほぼ独裁的な権限を握った。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■へムの警告■~戦争は拡大せざるをえない~

おはようございます。 高知は快晴、陽射しが暑く感じるほどです。 何気に静かな空気ですね。 三連休、良い休日をお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 第一次大戦が始まった際に、 避暑に出掛けていたドラッカー一家は、 早めに引き返すこととしたが、 父親の上司からは、 そのまま休暇を続けても大丈夫だろう、 との返事があった。 しかし、ヘムは、 後ろ循の皇太子がいなくなって 力を失う怖れの出た軍部が、 セルビアへの宣戦を主張するに 違いないと読んだ。 さらにヘムは、セルビア相手の、 リスクのない戦争などありえず、 戦争は拡大せざるをえないことを 知っていたため、 リベラルな非戦論者たちと相談して、 軍部の動きを統制する工作を始めたが、 この工作は実を結ばなかった。 「私も含め、  誰もへムの警告を深刻に受け止めなかった。  実際に、軍が動員される日まで、  ヘムの取り越し苦労だと思っていた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■第一次大戦の勃発■~早めに引き返した~

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おはようございます。 未明の川崎。 東の青空が淡いピンクに染まっています。 今日も、昨日同様暖かな陽が射す一日になりそうです。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは父親に、 小さい頃にアドリア海へ、 避暑に行ったことを覚えているかと、 聞かれうなずいた。 海岸で、妙な水着の母と、 砂の城をつくったことを ぼんやり覚えていた。 しかし、海岸に着いて間もなく、 フェルディナンド皇太子が サラエボで暗殺され、 第一次大戦が始まった。 父は休暇をためていたので 長逗留するつもりだったが、 早めに引き返すこととした。 「皆、衝撃を受けたが、  狼狽したり混乱したりしたわけではなかった。  やっかいなことになったという程度だった。  相談したところ、上司からは  そのまま休暇を続けても大丈夫だろうと  返電してきた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■史上最速の出世■~オーストリアにとって必要な人~

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おはようございます。 未明の川崎の朝、 薄っすら雲がかかってますが、 今日は晴れの予報です。 昨日は午後になり寒くなりましたが、 今日は暖かな一日になりそうですね。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘムは、あの形式的な キリスト教洗礼が廃止されたことに対して、 当局に抗議を行なった。 そして、 ヘムはオーストリアの公務員として、 異例の史上最速の出世をした。 ドラッカーが14,5歳の頃、 このことについて、 父にその出世の速さの理由を 聞いたところ次のとおり答えた。 「オーストリアにとって  絶対に必要な人になっていたからだ。  嫌な仕事、勇気のいる仕事、  複雑で難しい仕事は全部ヘムが処理した。  問題に正面から取り組む力を持っていたからだ」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■あの形式的な洗礼■~ユダヤ精神の放棄~

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おはようございます。 明るい陽射しの川崎の朝です。 朝は少し冷え込んでますが、 段々と気温上昇、一日快晴で 暖かな一日になりそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ このようなヘムの頑固ぶりを、 耳にしていた担当官たちは、 諦めて彼の名を 高等管候補リストから外したが、 その半年後、 ヘムは高等官に任命された。 しかも、ヘムが拒否した キリスト教洗礼が廃止されたのだったが、 そのことについて、 当のヘムが、当局に正式の抗議を行なった。 その抗議の趣旨は次のとおりであった。 「ユダヤ人をユダヤ人のまま  高等官に任命することは  間違いであって、  ユダヤ精神の放棄を要求すべきである」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■異例の出世■~ユダヤ精神は捨てた~

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おはようございます。 明るい陽射しの川崎の朝です。 しかし日中は、突発の雨予報もありますので、 お気を付け下さい。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘムにとって、 出世はとうてい無理な話だったが、 異例の出世を果たそうとしていた。 とはいうものの、いくつかの省では、 幹部はキリスト教徒でなければ ならないとしていたため、 そのような省では、 高等官への就任に当たっては、 形式的な洗礼を受けることになっていた。 そしてヘムは、 大蔵省の高等官に 任命される地位にまで来たが、 彼は、形式的な洗礼を拒否した。 「私のような孔子の弟子である儒教徒には、  形式的な洗礼など意味はありません。  ユダヤ人に見られないようにするための  形式には従いたくありません。  もう大分前からユダヤ人であることはやめています。  学生時代にユダヤ精神は捨てています。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■出世しそうのない者■~辛辣で嫌味な態度~

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おはようございます。 真っ青な空が広がる川崎です。 昨日はまさかの雪、 そんな中、靖国神社で桜が開花。 今日は暖かな快晴 お出かけ日和ですね。、 良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 派閥と嫉妬の渦巻く オーストリアの官界で、 ヘム以上に 出世しそうのない者はいなかった、 とする。 辛辣で嫌味な態度、 ウィーン大学ではなく チェルノヴィッツ大学出身という学歴、 大蔵省ではなく 貿易省に入省したという経歴、 似たような田舎出身のやたら目立つ ユダヤ人女性との結婚、 財産もコネもないという身分、 常識はずれの発言内容、 出会った者全員を敵に回す弁舌、 というヘムにとって、 出世はとうてい無理だった、 と続ける。 「加えてヘムは、  自分で自分が出世できないように  しているかに見えた。  オーストリアでは、  当時すでにユダヤ人でも  要職に登用されるようになっていた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■貿易省とフリーメーソン■~親族との関わりを断つため~

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おはようございます。 重たい雲が空を覆っています。 西日本から段々と雨が北上、 寒い一日になりそうです。 雨具と冬着が要りそうです。 良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘムは、 チェルノヴィッツに入学し、 最短期間で卒業したが、 このときも彼の叔父は、 大蔵省への就職を斡旋した。 ヘムはウィーンで 官職に就くことは同意したが、 入省したのは、 大蔵省ではなく貿易省だった。 オーストリアは保護貿易国だったが、 貿易省は自由貿易派であり、 農業国だったが、 貿易省は工業化を推進した。 しかも貿易省は、 社会奉仕や慈善活動よりも政治活動に 熱中するフリーメーソンと 密接な関係を持っていた。 「ヘムは、その10年後の私の父のように、  政策上の考えがあって  貿易省を選んだのではなかった。  家族や親族との  関わりを断つためだった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■貧しい行商人の末子■~ヘムの選択~

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おはようございます。 春の夜明け、薄雲がかかってますが、 明るい空です。 あちこちで桜の蕾が膨らみ始めてますね。 今年は花見も宴会モードは難しく、 ひっそりと、の様ですね。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ へムは, オーストリア領ポーランドの東端、 ロシアとの国境近くに、 貧しい行商人の末子として 生まれたが、 母親の兄弟の一人が、 勉強してウィーンに出て、 弁護士となり、 ユダヤ人として初めて ウィーン弁護士協会の 会長を務めるほど成功した。 また、ヘムのすぐ上の兄は、 ウィーンに出て、 後日地方裁判所の判事になったので、 ヘムが地元のギムナジウムを 二年飛び級という 優秀な成績で卒業したとき、 その叔父を始め誰もが、 彼もまたウィーンに 出てくるものと考えたが、 ヘムは、ウィーンに出ずに 他の大学に入れる者は 入らないというレベルの チェルノヴィッツ大学を選んだ。 「チェルノヴィッツ行きには皆が反対した。  私の父の話によると、  ヘムの叔父はウィーンに部屋を用意し、  留学までさせると約束し、  その一方で、  言うことを聞かなければ  一切の援助をやめると脅したという。  ヘムは譲らず、チェルノヴィッツに入学し、  最短期間で卒業した。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■へムの生い立ち■~子供たちは慕う~

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おはようございます。 夜明け間近の東の空が 淡いピンクに染まり始めています。 昨日はシャツ一枚でのランチも可能でしたが、 今日は少し下がりそうですね。 でも一日晴れ、暖かに過ごせそうですね。 木曜日、今日もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ あの年の夏、 ヘムは脳溢血で倒れ、 体は回復したものの 頭はぼけてしまっていた、 とした。 そして、大人はヘムを怖がり、 毒舌を嫌い、 人を近づけない態度に怒ったいたが、 同様に子供たちにも 手厳しかった、と続ける。 しかし、その子供たちはヘムを 怖がるどころか彼を慕っていた。 ヘムは七つ八つの子供に囲まれ、 彼らを怒鳴り、また怒鳴り返されてもいた。 「足に障害があった。  子供の頃の事故のせいだと言われていた。  彼自身はそのことに触れなかった。  子供時代や家族のことについて話したことは、  一度もなかった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■ヘムは脳溢血で倒れた■~ピーターから何も言ってこない~

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おはようございます。 薄曇りの川崎の朝、 暖かです。 これから段々晴れて、 快晴の一日になりそうです。 3・11、東日本大震災から9年。 このところのコロナ騒動で 関心が薄れているが、 復興はまだまだ道半ばであることを 忘れてはならない。 この事実を心に刻みつけ、 あらためて、犠牲者の方々のご冥福を お祈りいたします。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ あの年の夏、 ヘムは脳溢血で倒れ、 体は回復したものの頭は ぼけてしまっていた。 正気の日のほうが多かったそうだが、 ドラッカーがウィーンを訪れたときは、 いつもそうではなかった。 しかし、そのような正気の日には、 よくこう聞いていたそうである。 「ピーター・ドラッカーから  どうして何も言ってこないのだろう」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■どんな仕事よりもよい仕事■~ヘムには会えなかった。~

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おはようございます。 今にも雨が降りそうな 雲の多い川崎の朝です。 これから段々と雨、 暖雨と呼ばれるらしく暖かな一日になりそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ヘムに背中を押されるように、 翌日の汽車に乗った。 そして、ロンドンに着いて 六時間後には、 シティのマーチャント・バンクの 共同経営者の秘書役という、 ウィーンで見つかったであろう どんな仕事よりもよい仕事が見つかった、 とする。 ヘムには、言われた通り 葉書も送ったが、 それだけでは済まないような気がして、 長い手紙を書こうと思った。 しかしそれも、センチメンタルだと 笑われるような気がして書けなかったとし、 次のとおり続ける。 「未だに後悔している。  その後ヘムには会えなかった。  ウィーンへは、三年後アメリカへ行くまでは  クリスマスごとに行っていた。  その都度シュワルツワルト家を訪れた。  ゲーニアには会えたが、  ヘムには会えなかった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■咬みつき亀の愛情表現■~私たちのことも忘れないでくれ~

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おはようございます。 夜明け間際には青空が広がっていましたが、 薄暗い曇り空になっています。 しかし、気温は4月並、暖かな一日になりそうです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘムはドラッカーに、 ウィーンは終わった町で、 出ていくと決めたら、 すぐ出ていきなさい、 と言った。 そして、挨拶回りなどせず、 ゲーニアにお別れのキスをし、 帰ってすぐ荷造りをしなさい、 と続けた。 ヘムは、かなり手荒にドラッカーを ドアのところへ引っぱっていき、 階段に向けて背中を押し、 階段を下り終わったのを見て、 大きな声でこう言った。 「仕事のことなど心配するな。  仕事などいくらでもある。  ウィーンよりはるかによい仕事がある。  仕事が決まったら葉書でもくれ。  私たちのことも忘れないでくれよ」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■人と群れないこと■~ウィーンは終わった町~

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おはようございます。 小雨そぼ降る川崎の朝です。 今日は一日雨、気温も10度まで。 暖かくしてお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ シュワルツワルト家の 婦人ゲーニアは ロンドンでの就職口や 結婚の見込みを聞いたり、 ウィーンで見つかりそうな 就職口などについて、 あれこれドラッカーに、 親身になって話してくれた。 そこに主人であるヘムがやってきた。 ほんの数秒耳を傾けていたかと思うと、 ゲーニアに向かい、 一度も耳にしたことのない厳しい口調で、 「彼を放っておきなさい、ゲーニア。 馬鹿なばあさん役をするんじゃない」と言い、 続けてドラッカーに次のとおり言った。 「君のことは生まれたときから知っている。  人と群れないことに感心していた。  ギムナジウムを出てすぐウィーンを離れ、  外国で活躍していた君のことは、  自慢に思っていた。  去年、ナチスが政権をとったとたんに  ドイツを離れたときも、そう思った。  ウィーンにいたくな いという  君の気持ちは正しい。  ウィーンは昨日の町だ。  終わった町だ。 」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■ドラッカーの悪い癖■~親身に話を聞くゲーニア~

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おはようございます。 暗い川崎の朝です。 今日はこのまま一日寒空のままです。 暖かくしてお出かけください。 今日も入社希望の方との面接のために出勤。 お互いの成長のためです、 真剣に向き合ってきましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、仕事の当てはなく、 ウィーンに定住する気もなく、 さらにロンドンにいる 若い女性にも会いたい、 にもかかわらず、 ウイーンの実家で日々を過ごしていた。 その間、このままウィーンに戻れ という話が出たり、 外務省の報道課の仕事など 気楽な仕事を打診されたりしていた。 しかし、ウィーンに住みつきたくない という気持ちは変わらなかったが、 ドラッカーの悪い癖で、 ただぐずぐずしていた。 「しかしさすがの私も、  二月にはウィーンを出ようと思った。  そこで、いわば出発を延ばすために、  知人への挨拶回りを始めた。  その一軒にシュワルツワルト家があった。  ゲーニアは親身になって話を聞いてくれた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■ヒトラー政権獲得の直後■~どれほど一緒にいたいか~

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おはようございます。 日の出が早まりましたね。 青空がピンクに染まる川崎の朝です。 昨日は風が強く、寒い一日でしたが、 段々弱まりそうです。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘムは、 お気に入りのドレスを着た ドラッカーの母を一目見て、 直ぐに着替え、 メイドにあげるように言った。 ドラッカーは1933年のクリスマスに、 久しぶりにウィーンに帰っていたが、 その年の春、ドラッカーはヒトラーの 政権獲得の直後、 それまでいたドイツを離れ、 数か月ロンドンの保険会社で 短期の証券アナリストの 仕事に就いていた。 仕事はクリスマス前に終わっていたが、 次の当てはなく意気消沈もしていた。 といって、ウィーンに定住する気はなかった。 「一四歳のとき以来ウィーンに住む気はなくなっていた。  一七歳でギムナジウムを卒業するや、  すぐオーストリアを離れドイツに行った。  しかもロンドンでは、ある若い女性、  のちの妻と再会していた。離れてみると、  どれほど一緒にいたいかがよくわかった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■痩せた咬みつき亀■~「ゲーニアの娘」~

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おはようございます。 暗い川崎の朝です。 この雲も段々と取れてきそうですが、 寒い北風のため、寒い一日になりそうですね。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘムは、お気に入りのドレスを着た ドラッカーの母を一目見て、 直ぐに着替え、メイドにあげるように言った。 そして、これを聞いた負けず嫌いの母は、 本当に家に帰りドレスを脱ぎ、 メイドにやってしまった。 その母のことをヘムは、 「ゲーニアの娘」と呼び、 娘たちのなかでも、 一番のお気に入りだった。 「この痩せた咬みつき亀が、  ごくたまにではあったが、  熱い愛情を表すことがあった。  殻に閉じこもっていながら、  いつ動くかを知っていた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■母の自慢のドレス■~メイドから借りてきたものに見える。~

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おはようございます。 雲が暗い空を覆う 川崎の朝です。 これから雨、寒い一日になりそうですね。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘムことヘルマン・シュワルツワルト博士は、 いつも口を一文字に結び、 その口を開けて発する言葉は、 いつも辛辣だった、 とした。 ドラッカーの母がパリでドレスを 買ってきたことがあったが、 本人は内心自慢で お披露目の機会を待っていた。 そして、その機会は、 シュワルツワルト家での クリスマス・パーティで訪れたが、 ヘムは母を一目見てこう言った。 「キャロライン、  すぐ帰ってそのドレスを着替えなさい。  メイドにあげなさい。  メイドから借りてきたものに見える。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■二人はあまりに複雑■~空をつかむだけ~

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おはようございます。 今日は季節の節目桃の節句、 川崎の朝は薄曇りです。 これから段々と晴れて、 暖かな一日になりそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 出会った人のうち 最も興味をひかれたのが、 シュワルツワルト夫妻であり、 小説を書くとしたら、 モデルとして使わないわけには いかない人物だった、 とした。 しかし、二人はあまりに複雑であり、 彼らをモデルに人物を描くことなど とうていできないことがわかった、 と続ける。 彼らは、あまりに魅惑的で、 あまりに混乱させられ悩まされ、 つかもうとしても空をつかむだけだった。 「ちょっと見では複雑ではなかった。  一方は一流の政府高官、  一方は一流の教育者だった。  ヘムは痩せて禿げていた。  いつも口を一文字に結んでいた。  口を開ければ辛辣だった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■シュワルツワルト家のサロ■~文筆家としての力量を測る物差し~

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おはようございます。 既に小雨が降る、 川崎の朝です。 しばらくは降り続けそうですね。 月曜日今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 昨日までは、 ドラッカーの おばあちゃんについての エピソードだった。 今日からは ヘルマン・シュワルツワルト博士と その夫人オイゲニア・ シュワルツワルト博士との エピソード。 ドラッカーは若い頃から、 文筆家ならばなれそうだし、 文筆家にしかなれそうにないと思い、 小説こそが、文筆家としての 力量を測る物差しだと思っていた。 しかし小説家にならなかったのは、 このヘルマン・シュワルツワルト博士と その夫人オイゲニア・シュワルツワルト博士、 通称ヘムとゲーニアなる二人の人物が 現実に存在していたおかげだった、 とする。 「私は人に関心があった。  人は育ち、変わり、何者かになる。  ところが、私が出会った人のうち  最も興味をひかれたのが、  シュワルツワルト夫妻だった。  小説を書くとしたら、  モデルとして使わないわけには  いかない人物だった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)

■おばあちゃんが今朝亡くなった■~見知らぬ死体を積んでいたら~

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おはようございます。 今日から三月、 青空広がる川崎の朝です。 春らしく、暖かい空気ですね。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ おばあちゃんが倒れた10分後に 救急車が着いたときには、 動脈血栓で息がたえていたという。 ドラッカーが、 おばあちゃん好きであることを 知っている弟が、 他界したことを 「悲しい知らせだよ。 おばあちゃんが今朝亡くなった」 国際電話で知らせてくれた。 しかし、話を続けるうちに 弟の声はちょっと明るくなり、 70歳過ぎのおばあちゃんを 乗せていたら何と言われるか、 なんてことを言えるのは、 おばあちゃんだけだね、 と言った。 ドラッカーも笑ったが、 こんなことも頭に浮かんだ、 とする。 「七五歳の生きたおばあちゃんを乗せても  評判は落ちないだろうが、  見知らぬおばあちゃんの死体を積んでいたら、  何と言い訳したらよいだろう。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 1章おばあちゃんと二〇世紀の忘れ物)