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■”忠誠”と呼んでいる経験■~存在しているものを否定~

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おはようございます。 雲が寒空を埋める川崎の朝です。 今日は乾燥状態の東京地方に、 久しぶりにお湿りがありそうですね。 折り畳み傘が必要そうです。 今日も一日よろしくお願いします。 - --------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 国というこの”集団”が 存続し続けるためなら 個人が命を落とすことなど 何とも思わない、 といった状況が存在していることが わかっているとする。 このような存在を合理的に説明し、 パンがまったくないよりも その塊の半分でもあるほうがまし、 という目先の考えに頼る状態から、 国を発展させようとする方法もあるだろうが、 こうした方法に頼っていては、 大きな発展など期待できないと続ける。 「確かに、非常に重要な政治的経験、  すなわち私たちが”忠誠”と呼んでいる経験についての  合理的な説明はできないものです。  そうした根源的な経験が存在すること、  そして個を除けば何であれ存在しているものを  否定することはできます。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■国を神話と呼ぶこと■~実体があると実感する経験~

おはようございます。 未明の川崎、 雲が多いようです。 今日は風が少し納まりますが、 気温は低いようです。 暖かくしてお過ごし下さい。 週中日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ここまでは「国の神話」について語るための、 講演の枕として話ししてきたが、 初めて国のことを神話だと語った人たちは、 ここで使っている意味での神話を 理解していなかったとする。 彼らは、国を神話と呼び次の様なことを 言っていたと続ける。 「現実に国といったようなものは存在しない、 存在するのは自分の力で生きている個人だけだ。 そもそも、国があるというのはウソであり、 そのウソよりいけないのは 国というものが存在するように取り繕うことだ」 「しかし国は、私が今まで使っている意味においては、  ”現実”の神話なのです。  ある集団の一員であるという経験  ――つまり、集団が本物である、存在している、  そして確かな実体があると実感する経験――は、  私たちの誰もが持っている経験です。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■神話が表現している経験の解釈■~哲学と論理学によって与えられる~

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おはようございます。 未明の川崎、空は快晴の様です。 昨日の日中は暖かな時間帯もありましたが、 今日はしっかりと真冬の寒さになりそうです。 暖かくしてお出かけください。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 神話は的を射た疑問を投げかけてくるが、 それについて必ずしも正しい答えを 用意しているとは限らない、 とした。 そして、その答えは、私たちが神話を解釈し、 神話が表現している経験を解釈することによって 初めて得られるものだと続ける。 簡単に言えば、答えは哲学と論理学によって 与えられるもので、 このふたつの学術分野はもっぱら、 基礎的な神話の分析、解釈そして 批評に取り組んでいる。 「これらの答えは正しいかもしれませんし、  間違っているかもしれません。  そのどちらになるかは、  哲学者と論理学者の主義主張、  手法そして意図によって決まるのです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■疑問についての判断の産物■~的を射た疑問を投げる~

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おはようございます。 未明の川崎、 夜明けにはまだ30分ほどあります。 雲が多い空模様ですが、 雨の心配はなさそうです。 従って乾燥状態が続きますので、 ご注意下さい。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 神話はただの経験ではなく、 経験の象徴的な表現だ、 とした。 そして、神話はそれ自体、 すでに私たちの意識や理性、信念の産物であり、 言い換えれば、私たちの経験の中で 関係があるのは何か、 そして私たちの経験が教えてくれる 本当の意味とは何か、 という疑問についての 判断の産物だと続ける。 どんな神話も、 実際的なテストである 時間のテストに耐えたのであれば、 価値のある神話になるが、 もし、もっともらしいシンボルを使っても、 人類に共通の経験を表現できなかったとしたら、 そうした神話は生き残れなかったはずだ。 「神話はどんなときにも  的を射た疑問を投げかけてきますし、  常に健全な大論争を引き起こしてくれるのです。  それでも、必ずしも正しい答えを  用意しているとは限りません。  まったく答えがないのが実情です。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■「神話を大切にしよう」■~経験の象徴的な表現~

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おはようございます。 快晴の川崎の朝、 未明の冷え込みも 明るい陽射しが気温を 上げているようですね。 行楽日和の一日になりそうです。 良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 神話のおかげで私たちは 背筋を伸ばして歩けるのだ、 とした。 そして、神話は、人の理性を、 その人の内外にある わけのわからないものに対する 正体不明の恐怖から 解放してくれるものなのだ、 と続ける。 ドラッカーは 「神話を大切にしよう」と言っているが、 その理由を、神話というものは 非常に現実的・本質的で、 説得力のあるものだからだとする。 神話があらゆる社会的習慣や 制度の基盤であるだけに、 それが本物の神話であり、 本当に理解されることが とても重要になるのだ。 ドラッカーがこんな話をするのは、 ウソの神話や間違って理解されている神話こそ、 堕落しきった最も破壊的なしろものだからだが、 どうして神話が真実になったり ウソになったりするのだろうか、 という疑問がわいてくる。 「こうした哲学的あるいは倫理的なことばで  経験をウソだ、真実だと言うのは、  明らかに矛盾する行為ではないでしょうか。  けれども、神話はただの経験ではありません。  それは経験の象徴的な表現です。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■経験から何を学べるのか■~背筋を伸ばして歩ける~

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おはようございます。 曇り空の川崎の朝、 陽射しが少ない分だけ冷えています。 暖かくしてお過ごし下さい。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 神話は経験と理性とをつなぐ架け橋だと 考えられるようになる、 とした。 そして、神話のおかげで理性は、 合理的で意味のある方法により 経験を整理できるようになる、 と続ける。 つまり、神話によって、 社会的習慣が作られるようになる ということであり、 同時に、神話によって、 私たちの理性が経験に対する 自分自身の反応の方向づけと決断を 下せるようになる。 ドラッカーは、 私たちが自分の経験から 何を学べるのかを理解することによって、 迷信に煩わされずに、 理性によって方向づけられた行動が 起こせるようになるのだ、 とする。 「神話がなければ、  私たちはパニックの奴隷になるでしょう。  神話のおかげで私たちは  背筋を伸ばして歩けるのです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■経験と理性とをつなぐ架け橋■~神話は立派な合理の力~

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おはようございます。 冷え込み厳しい未明の川崎の朝です。 このところの厳しい寒さはこの週末も続きそうです。 暖かくしてお出かけください。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 人間を単なる理性の一部としてではなく、 存在している生物として見つめた瞬間、 神話に注目が集まるのだとする。 神話を、存在する生物としての人間を象徴している と考えることによって初めて、 私たちの経験に理性を応用でき、 理性が私たちの経験を理解し、 分析できるようになるだけでなく、 私たちの経験に対する反応を評価し、 方向づけができるようにもなる、 と続ける。 「つまり神話は、  不合理な存在なのではなく、  立派な合理の力であって、  いわば経験と理性とをつなぐ架け橋だと  考えられるようになるのです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■非合理であると共に不合理■~神話はウソ~

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おはようございます。 未明の川崎、雲が多いものの晴れ。 乾燥した一日になりそうです、 火の元、喉元には厳重注意を! 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 デカルト学派の合理主義者や ドイツの観念主義的哲学者の考えでは、 現実、真実そして妥当性というものは、 理性の中でしか存在しないとし、 さらにその理性が対象にできるのは、 理性の中に存在するものだけであった、 とする。 そして、経験というものは非合理の上、 不合理なものであるとし、 さらに神話というものは、 ウソであるゆえに不合理ですらない、 との考えであった続ける。 「どんな神話も、  その神話に理性を働かせられるような形で、  非合理的な経験を伝えようとするものです。  そして、合理主義者や観念論者に言わせれば、  つまり彼らの視点からすれば、  それは最悪の罪なのです。  不誠実であり、そこには理性を隷属させようとする以外、  何の目的も見当たらないからです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■人間性の概念の劇的変化■~経験は理性ではなく、経験。~

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おはようございます。 未明の川崎は今日も快晴です。 今日も一日晴れ、乾燥が続きます、 インフルエンザ、火事に十分ご注意を。、 今日もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 この神話という言葉が 持っている意味に劇的な変化が起こると、 基本的な哲学的概念や信念等の 人間性の概念に劇的な変化が起こる、 とする。 それは、人間を理性だと理解すると同時に、 その残りの存在--肉体、感情、経験--を 幻想や弱点だと理解する哲学から、 人間のすべての面を 一個の存在として理解しようとする 哲学的な立場への移行なのだと続ける。 「神話が対象にしているのは  私たちが知っているものであって、  私たちに推定できるもの、  あるいは証明できるものではありません。  経験は理性ではありません。  経験は経験です。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■経験にまつわる象徴的な表現■~盲信や迷信じみた言い伝え~

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おはようございます。 快晴の、夜明けにはまだ半時間ほどあります。 この未明の時間帯が一番冷え込むと言われます。 昨日は沢山の誕生日メッセージを頂きまして、 御礼申し上げます。 毎年思うことは、 火鉢くらいの暖房しかない自宅で、 この極寒の中で苦労して生んでくれた、 母親に対する感謝です。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 国の神話は節操のない イカサマ師の作り話だと 非難されるとした。 そして、こうしたイカサマ師は、 神話を持ち出して、だまされやすい人、 学のない人、そして頭の悪い人を脅かして服従させ、 財産を巻き上げることを目的に、 神話が悪用されたり 間違って使われたりしてはいけない、 と言っているわけではない、 と続ける。 国の神話が議論されるときには、 何が適切で、何が正しい使い方なのか、 何が煽動的で、反啓蒙主義的で、 独裁者的な間違った使い方なのか、 ということが核心的な問題になっており、 神話にまつわる盲信や迷信じみた言い伝えを 話題にしているのではない。 「私たちが話題にしているのは、  現実のこと、合理的なこと、  そして真実のことです。  それは言い換えれば、  すべての人間が共通して持っている  経験にまつわる  象徴的な表現のことなのです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■国の神話■~ベニントン・カレッジでの講義~

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おはようございます。 未明、まだ漆黒の空が広がる川﨑です。 厳しい冷え込み、 昨日と比べ寒い一日になりそうです。 暖かくしてお出かけください。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 神話というのは、 とても奇妙なことばだとする。 辞書によると、 「物語、作り話。通常、超自然現象を 引き合いに出しながら自然現象を説明しようとする」 などと書いてあるが、 正しいとまでは言えなくても、 少なくとも辞書の定義のあり方としては 適切な表現だと続ける。 しかし、その定義は誇張と教宣的な意図が強く、 神話とはバカげた盲信であり 迷信じみた言い伝えのこと、 と説明されているとする。 「せいぜいそれは、  子どもや疲れ果てたビジネスパーソンの  暇つぶしのための無邪気な空想、飾り物、  そして安物の金ピカの装身具といった程度のものです。  最悪の場合には、  節操のないイカサマ師  ―強欲な聖職者、権力志向の煽動政治家、無慈悲な資本家―  の作り話だと非難されます。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■哲学の強さ■~人が死を迎えられる力~

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おはようございます。 曇り空の川崎の朝、 今日は大寒、 一年で一番寒いという日です。 1月も早下旬入り、あっという間ですね。 良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 この講義を終えるに当たって、 受講生がもっと宗教的経験の本質や、 その経験につながる道や、 信仰そのものについて理解を深めたいなら キルケゴールを読むことだ、 とする。 そして、キルケゴール本人は、 社会を現実であり意味のあるものだ との考えを否定していたにも関わらず、 ドラッカー自身がそうであるとの 主張したことを理由に非難されても 構わないとする。 さらにまた、信仰と社会における存在とを うまく結びつけて話しができなかったとの 辛口のコメントがあっても当然のことで、 今日の講義の目的に関する限りは、 それほど気にはならないとする。 「なぜなら、私はただ、  人が死を迎えられるよう力を与えてくれる哲学を  私たちが手に入れる可能性をお話ししたいだけ、  だったからです。  そうした哲学の強さを過小評価しないでください。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■堅固な意志によって生まれるもの■~”神秘的な経験”ではない

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おはようございます。 ピンクの朝焼けが消え、 青空が広がる川崎の朝です。 今日は一日気持ちの良い行楽日和。 寒さに負けずお出かけしましょう。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 信仰があるからこそ、 社会における存在もまた、 本物の慈善における存在と同じように、 意味のあるものとされていた、 とした。 しかし、この信仰というのは、 ある種独特の呼吸運動、絶食、 麻薬によるものであったり、 目と耳を閉じてバッハの音楽に 長い時間浸るとかいった経験によって 生まれてくるような”神秘的な経験” ではないと続ける。 それは、絶望や悲劇、 長くて辛く絶え間ない苦闘を 経験することによって 初めて得られるものであり、 不合理なものでも、 感情的・情緒的なものでも、 無意識に生まれるものでもないとする。 「それは絶えず考え続け、  学び続けることの結果として、  そしてまた、厳格な訓練、完全な心の平静、  堅固な意志によって生まれるものです。  これができる人 はほとんどいませんが、  誰でもそれを求める努力を傾けることはできますし、  そうすべ きなのです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■偉大で悲劇的な愛■~意味のある絶対的な存在~

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おはようございます。 未明の川崎の空は、 今日も晴れているようです。 各地で台風並みの強風被害が発生しています。 乾燥と相まって、火の元には十分な注意が必要です。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 キルケゴールの『おそれとおののき」を読めば、 彼の内面にある秘密である、 その偉大で悲劇的な愛を象徴的に 扱っていることがわかるだろうとする。 そして、キルケゴールが 自分自身を語ろうとするとき、 アブラハムのことを語るのだが、 この自伝としての意味は、 ただの偶然に過ぎず、 一般的な意味としては、 人間としての存在は信仰があって 初めて成り立つということだ、 と続ける。 「信仰があって個人は普遍的な存在になり、  孤立した存在であることをやめ、  意味のある絶対的な存在になるわけです。  だから、信仰の中にこそ本当の倫理がある、  ということになります。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■神に対する自分の忠誠心■~『おそれとおののき』での問いかけ~

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おはようございます。 曇り空の川崎の朝、 今日も一日晴れ模様、 乾燥が続きます。 火の元、喉元にご注意を。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーが気に入っている キルケゴールの著作は『おそれとおののき』で、 その中でキルケゴールは、 こんな問いかけをしている。 「アブラハムが喜んで自分の息子イサクの命を 神に差し出したことと、 普通の殺人との違いはどこにあるのか」 ドラッカーは、 もしアブラハムが、イサクを犠牲にすることを 最後まで実行するつもりがなく、 常に神に対する自分の忠誠心を 示すことだけを考えていたなら、 アブラハムは殺人者にならなくても、 食わせ者でずるい奴になっただろう、 と続ける。 もしイサクを愛しておらず、 ただ冷淡だったとしたら、 喜んで殺人者になっていたはずだが、 アブラハムは聖人であり、 神の命令は無条件に実行を迫る 絶対的な命令だった。 「アブラハムは自分自身よりも  もっとイサクを愛していた、  と私たちは教わっています。  それでもアブラハムには信仰がありました。  神の手にかかれば不可能を可能になる、  そして自分が神の命令を実行しても  イサクは生きているはずだと信じていたのです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■涅槃に人を送り込むこと■~罪の反対語は信仰~

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おはようございます。 概ね晴れ、厳しい冷え込みではないですね。 日中は風が強く寒い一日になりそうです。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 こうして、人間の手による倫理的に 絶対的なものを構築する立場というものは、 その可能性が完全に否定されたところで 終わりを迎えなければならない、 とする。 それでは、人間としての存在とは 悲劇や絶望の中での存在ではない、 ということになるとしたら、 ニルヴァーナ(涅槃)に人を 送り込むことの中に、 無を見ていることになる。 キルケゴールによると、 人間としての存在は、 絶望に陥っていない存在、 悲劇とは縁のない存在として 成り立つこととなる。 つまり、人間としての存在は、 信仰に身を置く存在として可能になり、 罪の反対語は徳ではなく、 信仰ということになる。 「信仰とは、神の手にかかれば、  不可能が可能になると信じることです。  また信仰は、神の中では時間と永遠はひとつであり、  そして生と死の両方に意味がある、  と信じることでもあります。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■あらゆる存在の終わり■~苦い薬を砂糖でくるむだけ~

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おはようございます。 未明の川崎の朝、 雲が多い空が広がっています。 小正月、関西では今日までが松の内、 連休明け、本格始動です。 今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ストア学派の哲学者にとって、 死はあらゆるものの終わりであり、 あらゆる存在の終わりなのだとする。 そして、キルケゴールはこれを ”個でありたいと望まないことへの絶望” と呼んでいるが、倫理的な立場が ストア哲学並みの崇高で堅実なものへと つながっていくことはない、 と続ける。 それは全体主義という苦い薬を 砂糖でくるむだけのことで、 倫理的な立場は純粋な感傷主義に なってしまう。 つまりそれは、悪は滅ぼすことができて、 喜び、光、善意を広めることによって 調和を構築できると信じている人たちの 立場であり、結局、倫理的な立場は、 必然的に相対主義に成り下がってしまう。 「なぜかと言えば、  もし徳というものを人間の中に見出せるのなら、  人間が受け入れるものはすべて、  徳のあるものでなければならないからです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)