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■行動の動機としての利益■~ブルジョア資本主義の崩壊~

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おはようございます。 快晴の川崎の朝、 暑い一日になりそうです。 年金機構による個人情報の流出問題、 事件発生以来、今日が初めての年金支給日。 なりすましが予想される、 受給者はお気を付けください。 しかし、結果に対する責任が曖昧だ。 8年前の消えた年金問題でも問題になった ずさんな体質が治っていない。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ マルクス主義は、 私的な利益を廃止することによって、 個人の自由と平等な社会が もたらされると期待した。 一方の資本主義は、 私的な利益を行動の規範とすることによって それらがもたらされると期待した。 ”利潤動機”は、 資本主義が発明したわけではない。 利益への欲望が 行動の動機となるということは、 どのような社会秩序のもとでも、 常に個人の動機の一つであった。 そして、今後ともそうであろう。 「しかし資本主義こそ、  自由で平等で理想的な社会を  自動的に実現するための手段として、  利益を積極的に評価した  最初で唯一の社会的信条だった。  資本主義以前の信条では、  私的な利益は、社会的には有害なもの、  あるいは少なくとも中立的なものと見ていた。」 ~『イノベーターの条件』 (2章 経済至上主義は人を幸せにするか)

■本来の機能を遂行する。■~”よき隣人”ではない。~

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ドラッカーは、企業のマネジメントが自らの企業を経営不振に 陥れることは、 単なる無責任であるとした。 そして、社会的責任を果たすためにも、企業のマネジメントは 利益の必要性とその機能について知らなければならないとする。  経営不振の企業は、人々を雇用できないだけでなく、 働く人の能力強化や新しい機会や将来を生み出すことができない。 地域社会への貢献放棄、社会の中での”よき隣人”ではないのだ。  そのためにマネジメントは、現在と将来の活動に必要な利益の 最低限度というものを知っておかなければならない。  しかし、マネジメントが本来の利益の必要性ではなく、 ”利潤動機”のみを求めるとすると、社会的責任について 合理的な意思決定を行うこともできない。  ドラッカーは、自らの組織に特有の機能を危うくしては、 いかに素晴らしい動機や思いによる活動であっても マネジメントの責任放棄というべきであるとする。  「破産する企業は、望ましい雇用主ではない。   地域社会にとっても、よき隣人ではない。 明日の職場や働く者のための機会を生み出すことができない。   同じように、明日のリーダーや専門家を養成することのできない大学は、 いかに多くのよい仕事に携わっていたとしても、   責任ある大学とはいえない。」 ~ P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 17 社会的責任の限界)   <A HREF="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?rt=ss_mfw&ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822%2FJP%2Fken3taka-22%2F8001%2F7c287fd5-2614-448d-be48-af0bc1729d05&Operation=NoScript">Amazon.co.jp ウィジェット&l

■企業は営利組織ではない■~利潤動機は、記録係の天使だけの問題~

ドラッカーの企業に対する、そもそも論について。。。 企業=営利組織という公式は常識として多くの人々が持っているのでは ないか。 しかしドラッカーはこの考えを、”まちがっているだけでなく的はずれ” であると厳しく批判する。 営利とは”利益を目的”にすることを意味するが、この考えは”利益”の 本来の意義を間違ったものにする危険がある。 ”利潤動機”という言葉は、「安く買って高く売る」との言葉を難しく 言いなおしたにすぎない。 ”金銭への興味が活動の唯一の動機”との解釈である。 しかし、利益は、目的ではなく、企業活動を維持するための条件として 必要なものである。 ドラッカーは、たとえ、金銭に対する興味を持たない天使を取締役にしても、 利益に対しては重大な関心を払わざるをえないとする。 さらに、企業は、高い利益をあげて、初めて社会貢献を果たすことができると指摘する。 「利潤動機なるものは、的はずれであるだけでなく害を与えている。 この観念のゆえに、利益の本質に対する誤解と、利益に対する根深い敵意が生じている。 この誤解と敵意こそ、現代社会におけるもっとも危険な病原菌である。」 ~「マネジメント」