■19世紀の合理性という観点■~あまねく慈悲深い神という概念~

おはようございます。

快晴の空、
厳しい冷え込みの川崎の朝です。

寒さと乾燥に注意。

今日も一日よろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬


18世紀の震災被害者は、
災害が与えた被害について、
その恐怖と、”あまねく慈悲深い神”
という概念との折り合いをつけられなかった。


ドラッカーは、
今では、毎日のようにはるかに
大量の殺戮や破壊、飢餓で苦しんだり
虐殺されたりしているたくさんの人たちや、
一晩で完全に崩壊してしまった都市などのことを
聞かされている、
と続ける。


この19世紀の人間の手による大惨事と、
18世紀の震災被害とのどちらを説明するのが
難しいかという比較の話になると、
19世紀の大惨事を説明しようとするほうが、
はるかに難しいであろう。


それでも、多くの人がこの戦争から
恒久的な平和や繁栄が必ず
生まれてくるとの楽観的な考え方が、
このような現代の大惨事によって
揺らいでいるとは思えない。



「確かに、彼らはこうした事実を認識しています。

 当然、それに対して怒りもおぼえています。

 けれども、彼らはそうした事実を大惨事だと

 解釈することを拒否しているのです。」

~P.F.ドラッカー
「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」
(1940年代)






















































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