■社会という体の一個の細胞■~生命自体を無意味にすること~

おはようございます。

曇り空の川崎の朝、
低気圧のせいか、冷え込みはあまり厳しくはないようですね。

三連休、良い休日をお過ごし下さい。


今日も一日よろしくお願いします。
----------------------

∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬


ドラッカーは、
個人は、永遠に存在する
という問題に遭遇したショックから
立ち直れはするが、
本質的に絶望からは逃れられない、
とした。


そして、もし社会が人に対して
社会の中だけで生きる能力を要求するのなら、
社会はその人が死ねるよう努めなければならない、
と続ける。


社会がこれを実行できる方法は、
個人の生命それ自体を無意味に
することしかなくなる。


もし人が樹木の枝についている一枚の葉、
言い換えれば社会という体を構成している
一個の細胞にすぎないとしたら、
その人の死は本当の死というものではなくなり、
全体の生命の一部となる、
と言えることとなる。



「そのときは、あなたの生命もまた

 本当の生命でないのはもちろんです。

 それは、総体的な生命の内部で働く機能の

 一プロセスなのです。

 そこには、総体という観点を除けば、

 どのような意味もありません。」

~P.F.ドラッカー
「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」
(1940年代)






















































コメント

このブログの人気の投稿

■歴史の転換点を眺める■~情報と知識の役割~

■マネジメントの意思決定への影響■~情報技術の動向~

■ドラッカーの学びの原点■~自身の哲学が芽生えた~