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■大学での講義、文筆の世界■~大衆は貧しいまま~

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 おはようございます。 小雨が降る高知の朝ですが、 本格的な雨とはならないようですね。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 高校を卒業して 隣国ドイツの港湾都市ハンブルグで 商社見習いとなり、 一年半で金融都市フランクフルトに移り、 証券会社に就職した。 そして世界大恐慌に遭遇して 新聞記者に転身し、 論説委員を務めつつ、 フランクフルト大学で教鞭をとった後、 ヒトラーの権力掌握に絶望して ロンドンへ移住した。 その後マーチャントバンクでのエコノミストを経て アメリカへ渡り、 企業や政府機関へのコンサルティング、 大学での講義、文筆の世界に入る。 「本来ならば産業革命以降の生産力の増大によって、  人々の生活は大幅に改善するはずだった。  しかしご主人は替わったものの、  大衆は貧しいままに置かれた。」 (『ドラッカー時代を超える言葉』はじめに ドラッカーの問題意識ー経済至上主義の終わり)

■ドラッカーの問題意識■~経済至上主義の終わり~

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 おはようございます。 曇り空の高知の朝です。 これから雨、 あまり強くはならないようです。 早いもので、 半年が過ぎ今日から7月ですね。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ピーター・ファーディナンド・ドラッカーは、 1909年11月19日、 オーストリア=ハンガリー帝国の 首都ウィーンに生まれた。 中部ヨーロッパを500年にわたって支配した ハプスブルグ家が最後に手にしていた帝国が オーストリア・ハンガリー帝国だった。 その帝国で貿易省と 大蔵省でエリートコースを歩み、 若手官僚だったころ ウィーン大学でシュンペーターを見出し、 貿易省事務次官を務めた後、 大銀行の頭取に天下りした 経済学者アドルフ・ドラッカーが、 ドラッカーの父だった。 「第一次世界大戦に負けてハプスブルグ家が滅び、  帝国が分解されて   本体が人口600万の   アルプスの小国になったのが1918年、  ドラッカー8歳のときだった。」 (『ドラッカー時代を超える言葉』ドラッカーの問題意識ー経済至上主義の終わり)