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■第一次大戦のあおり■~社会を支える層の壊滅~

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 おはようございます。 快晴の高知の朝です。 このところ涼しさが続いていましたが、 今日は夏日となりそうです。 寒暖差、服装で上手く調整してください。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 自身が20代はじめで 大新聞社の主筆になったことは、 優秀だったからではなく、 たんに上の世代がいなかったからだ、 とした。 そして、 20代のころには、 30代の人口は極端に少なく、 彼らはフランドル、ベルダン、 ロシア、イゾンツォなどの 墓地に眠っていたのだ、 と続ける。 さらに最近の人々、 とりわけアメリカ人は ほとんど想像できないだろうが、 第一次大戦のあおりにより、 ヨーロッパでは 社会を支えるはずの層が 壊滅してしまったのだとする。 「ドラッカーは仕事で  成果をあげたばかりか、  1931年、  弱冠22歳にして法学博士号を得た。」 (『ドラッカーへの旅 知の巨人の思想と人生をたどる』 エピローグ)

■大新聞社の主筆■~大戦後のヨーロッパの状況~

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 おはようございます。 東の空に雲が浮かんでますが、 上空は晴れてます。 今日は一日晴れ、 気持ちに良い一日になりそうです。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは1929年に、 株式の大暴落が起きたため、 ほどなく失職し、 当地最大の新聞社で金融記者として 勤めることになった。 そしてドラッカーはその新聞社で、 またたくまに頭角を現し、 二年後には海外ニュースや 経済ニュースを担当する 上級ポストに就いた。 ドラッカーは、 このスピード昇進は実力よりもむしろ、 第一次大戦後のヨーロッパの状況を 反映したものだ、 と述べている。 「わたしは20代はじめで  大新聞社の主筆になったが、  これは優秀だったからではなく、  たんに上の世代がいなかったからだ。」 (『ドラッカーへの旅 知の巨人の思想と人生をたどる』 エピローグ)

■怪物と子羊■~新聞社の金融記者~

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おはようございます。 薄曇りの高知の朝です。 これからぽつりぽつりと降り始め、 一日続きそうです。 強くはならないようです。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ クレイムズは、 1932年春ドラッカーは、 フランクフルトを去る決意を 固めていたとする。 そしてそれは、 つぎの年にナチスが政権をとったら、 ドイツがどのような方向へ進みそうか、 見通していたのだと続ける。 ドラッカーがドイツに入国したのは 1927年で貿易会社で働くために ハンブルクへおもむいたのだが、 一年あまりののちにフランクフルトへ移り、 アメリカの金融機関の ヨーロッパ支店に勤務した。 「ところが1929年に  株式の大暴落が起きたため、  ほどなく失職し、  当地最大の新聞社で金融記者として  勤めることになった。」 (『ドラッカーへの旅 知の巨人の思想と人生をたどる』 エピローグ)

■目標であり模範■~厳しいなかにも楽しい~

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 おはようございます。 青空の広がる高知の朝です。 今は冷やっとしますが、 日中はぐっと気温が上がりそうです。 寒暖差にお気を付け下さい。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 自分は収入を必要としていたため、 いずれにしても教職の道に入ることに なったかもしれないが、 エルザ先生とゾフィー先生という ふたりの素晴らしい恩師に出会わなかったなら、 それが実現する可能性は低かっただろう、 とした。 そして、 あのふたりの先生との思い出がなかったら、 自分が教壇に立つことには 抵抗があったと思うと続ける。 先生たちは、 厳しいなかにも楽しさが宿った、 中身の充実した教育は 可能なのだと教えてくれた。 「あのふたりの女性教師は  目標であり模範なのだ。」 (『ドラッカーへの旅 知の巨人の思想と人生をたどる』 エピローグ)

■エルザ先生は「ソクラテス式問答の名手」■~ゾフィー先生は「禅師」~

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 おはようございます。 まだ少し雨が残る高知の朝ですが、 この雨も昼までの様ですね。 週明けの月曜日、 今週もよろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ゾフィー先生は生徒が絵を描けずにいると、 クレヨンや絵筆を手にとり、 非写実的な手法で幾何学模様のような絵を 描いて見せたがそれはちゃんと ネコの絵だとわかった。 いくつもの線やかたちのなかから、 ふいにネコの姿が浮かび上がり、 生徒たちが歓声をあげると、 先生も目を細めるのだった。 ドラッカーは、 先生は生徒を褒めるとき、 ただ笑みを浮かべるだけだが、 褒められたほうにしてみれば 無上の喜びだったとする。 そしてクレイムズは、 先生は何があろうとも、 決して生徒を叱責しなかったとし、 ドラッカーは、 エルザ先生を「ソクラテス式問答の名手」、 ゾフィー先生を「禅師」と呼んだ、 とする。 ついでドラッカーは、 次のとおり驚くべき告白をしている。 「自分は収入を必要としていたため、  いずれにしても教職の道に入ることに  なったかもしれないが、  エルザ先生とゾフィー先生という  ふたりの素晴らしい恩師に出会わなかったなら、  それが実現する可能性は低かっただろう。」 (『ドラッカーへの旅 知の巨人の思想と人生をたどる』 エピローグ)

■言葉ではなく表情やしぐさ■~とても小柄な先生~

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 おはようございます。 小雨が降る高知の朝、 今日は一日雨ですね。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ゾフィー先生は美術を教えており、 その工房はイーゼル、クレヨン、絵筆、 木工具、ハンマー、小さなミシンなどで溢れる 不思議な空間だった。 そして先生は、 たいていのものを生徒たちに 試しに使わせてくれたという。 ドラッカーは、 先生はいつでも手を差し伸べてくれたが、 助言や戒めの言葉はまったくなかったとし、 言葉ではなく表情やしぐさをとおして 生徒を教え導いた、 とする。 生徒たちが絵を描いたり、 工作に取り組んだりしていると、 その様子をしばらく眺めてから、 自分の小さな手 ―先生はとても小柄だった― で生徒の手をとり、 正しいやりかたを 相手が体得するまで教えるのだった。 「生徒が絵を描けずにいると、  先生はクレヨンや絵筆を手にとり、  幾何学模様のような絵を描いて見せた。  非写実的な手法だったが、  それでもちゃんとネコの絵だとわかった」 (『ドラッカーへの旅 知の巨人の思想と人生をたどる』 エピローグ)

■美術を教えるゾフィー先生■~生徒の名前を覚えなかった~

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 おはようございます。 薄曇りの高知の朝です。 これから晴れますが、 夜には一雨ありそうです。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ゾフィー先生は エルザ先生とは正反対に、 生徒自身に大きな関心を持っており、 生徒たちはゾフィー先生のまわりに 輪をつくっていた、 とした。 そしてゾフィー先生のそばには いつも生徒がおり、 何かがうまく行かないと、 いちばん年長の生徒でさえ、 先生のもとへ駆け込むのだった。 ゾフィー先生のもとには 悩みや自慢話が持ち込まれ、 先生は生徒たちの名前を まったく覚えていなかったが、 いつでも彼らを抱きしめたり、 背中をぽんと叩いたりして、 褒め言葉やお祝いの言葉をかけるのだった。 「ゾフィー先生は美術を教えており、  その工房はイーゼル、クレヨン、絵筆、  木工具、ハンマー、小さなミシンなどで溢れる  不思議な空間だった。」 (『ドラッカーへの旅 知の巨人の思想と人生をたどる』 エピローグ)