投稿

■『タイム』の国際面編集者■~ドラッカーへの関心~

イメージ
 ■おはようございます。 未明の須崎の朝、 雲は浮かんでいません。 昨日までは、 ぐずついた天気が続きましたが、 今日から段々回復し、 日中は30度を超えそうですね。 関東地方は台風の影響で荒れた天気、 お気を付けください。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ヘンリー・ルース夫人の クレア・ブース・ルースは、 ドラッカーの本を読んでもいなければ、 読む気もなさそうであり、 退屈な話を止めさせようとしていた。 そして、実はルースは、 『「経済人」 の終わり』に 関心があるのではなく、 ドラッカーに関心があるのだった、 と続ける。 ルースは、 『タイム』の国際面の編集者である レアード・ゴールズボロが、 病気がちな上に、 スペインのフランコに肩入れをしすぎ、 加えて対ナチス宥和論を主張したため 面目を失っていたので、 彼を変えようとしていた。 そして、ドラッカーに次のとおり言った。 「あなたなら適任だと思うんですが。  仕事が合っているかどうか、  二、三週間うちの連中と働いてみませんか。  もし『タイム』の国際面の編集が  合っていなければ、  他のことをやってもらってもいいんですが」 (Ⅲ アメリカの日々  12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■雑誌王からのスカウト話■~経済人から肉体人の番~

イメージ
 おはようございます。 段々と青空が広がり始めた、 須崎の朝です。 涼しい朝ですが、 日中は30度近くになりそう、 体調管理にお気を付けください。 今日はお手伝いしている会社の、 代替わりした新社長の方針発表の場が持たれます。 ここからスタート、楽しみです。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 『「経済人」の終わり』が出版されると、 ヘンリー・ルースから肉筆の手紙が届き、 ニューヨークの洒落たレストランで 昼食をご馳走になることとなった、 とした。 そして、ルースは、 本について突っ込んだ質問をしてきた、 と続ける。 彼は、 かなり丁寧に読んだことは明らかだったが、 夫人のクレア・ブース・ルースのほうは、 本を読んでもいなければ、 読む気もなさそうであり、 退屈な話を止めさせようとして、 ほほえみながらこう言った。 「ドラッカーさん、  経済人が終わった後は、  肉体人の番になるんじゃありませんこと?」 (Ⅲ アメリカの日々  12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■ルースからの肉筆の手紙■~ニューヨークの洒落たレストラン~

イメージ
 おはようございます。 秋らしい雲が空を覆う須崎の朝です。 今日は曇り時々雨、気温も25度まで、 ぐっと涼しくなりました。 この愚図ついた天気も週半ばまで、 来月になれば秋の好天が続きそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 アメリカを報道すべき特派員として、 『タイム』や『フォーチュン』について イギリスの新聞に記事を書くことにしたが、 土壇場になって、 昔からのしきたりに従おうとする イギリスの新聞の編集者たちによって 没にされてしまった、 とした。 しかしドラッカーは、 ヘンリー・ルースには まだ会っていなかったが、 1939年の春、 『「経済人」の終わり』が出版されると、 ルースから肉筆の手紙が送られてきた。 その内容は、 感銘したのでぜひ本について 話をしたいとのことだった。 「こうして彼と、  当時ブロードウェイで最も成功していた  劇作家である夫人の  クレア・ブース・ルースの二人から、  ニューヨークの洒落たレストランで  昼食をご馳走になったのだった。」 (Ⅲ アメリカの日々  12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■アメリカを報道すべき特派員■~土壇場になって没~

イメージ
 おはようございます。 未明の須崎、 雲が空を覆っているようで、 真っ暗です。 今日は一時雨、 涼しくなりそうです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 1930年創刊の『フォーチュン』は、 アメリカの経済ニュースと 企業報道のスタイルを一新していたが、 とくにその会社ストーリーは、 調査報道の先駆けとなるものだった。 そして、 そのグラフィックスと広告は、 モダンな視覚をアメリカ文化に 持ち込んでいた、 とする。 一方、写真誌の『ライフ』は、 ドラッカーがアメリカに到着する 数か月前に創刊していたが、 すでにアメリカの ジャーナリズム史上最大ともいうべき 成功を収めていた。 ドラッカーは、 アメリカを報道すべき特派員として、 これらの雑誌について イギリスの新聞に記事を書くことにし、 そのためかなりの取材をした、 とする。 「ところがこの企画は、  土壇場になって、  マスコミは他のマスコミのことは  報道しないという  昔からのしきたりに従おうとする  イギリスの新聞の編集者たちによって  没にされてしまった。」 (Ⅲ アメリカの日々  12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■絶頂期にあったルース■~唯一の全国報道機関、世論形成機関~

イメージ
 おはようございます。 雲の合間に青空がのぞく須崎の朝です。 今日は一日こんな感じで、 晴れたり曇ったり、 雨の心配はなさそうですね。 FB友達から、 ”しんこ”がこの時期の須崎での おすすめと聞きました。 探しに行こう。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルースから何度か誘いをかけられたが、 話が実を結びそうになると、 常に二人は合わないことが 明らかになるのだった、 とした。 ドラッカーは1937年にアメリカに渡ったが、 そのときイギリスの新聞の 在アメリカ特派員、 およびイギリスの金融機関の 在アメリカ投資顧問としてだった。 ちょうどその頃は、 ルースと彼の雑誌が 絶頂期にあるときで、 『タイム』は創刊15年で、 唯一の全国報道機関、 唯一の世論形成機関になっており、 ライバル誌は現れていなかった。 「一九三〇年創刊の『フォーチュン」のほうは、  アメリカの経済ニュースと  企業報道のスタイルを一新していた。  とくにその会社ストーリーは、  調査報道の先駆けとなるものだった。」 (Ⅲ アメリカの日々  12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■アメリカの日々■~ヘンリー・ルースとの出会い~

イメージ
おはようございます。 未明の須崎、 東の空があかねに染まってます。 今日も快晴の一日、 気持ちのいい秋空が広がりそうです。 土曜日、良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ■アメリカの日々■~ヘンリー・ルースとの出会い~ 今日から「Ⅲ アメリカの日々」、 ドラッカーのアメリカでの活動が始まる。 ドラッカーは、 ヘンリー・ルースと 私的に親しかったことはなく、 家に招待されたこともない、 とする。 そして、同じ食事のテーブルに 着いたことは二度あり、 一度は最初に会ったときにレストランで、 もう一度は30年ほどして 最後に会ったときの 大きな晩餐会でだった、 と続ける。 しかしその間、 ルースとドラッカーとの間には、 何度か恋愛ごっこに似た接触があったが、 いつも誘いをかけてくるのは ルースのほうだった。 「その度に私は心を動かされた。  しかし、話が実を結びそうになると、  常に二人は合わないことが  明らかになるのだった。」 (Ⅲ アメリカの日々  12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■いや、彼女は商会のもの■~ウラジミールが共同経営者~

イメージ
 おはようございます。 未明の高知、 東の青空が少しずつ 明るくなってきました。 今日も晴れ、 気持ちのいい青空が広がる 一日になりそうです。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ フリードバーグはロバートに、 ファーカーソンを ウラジミールのものにしないことが、 どんなに自分勝手なことか よくわかったろう、 と言った。 これに対してロバートは、 でも彼女を愛しており、 彼女は自分のものなんです、 と答えた。 フリードバーグは、 いや、彼女は商会のものなんだと答えた。 「このようなことが一年余り続いていた。  そこへファーカーソン夫人が亡くなった。  三週間も経たないうちに、  ウラジミールが共同経営者になった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 11章 フリードバーグ商会の愛人)