■知識社会における「教育ある者」とは(1)■~学校に対する社会の要求~
おはようございます。
蒸し暑い夜でした。
この時間既に陽射しがきつくなり始めています。
日中は真夏日、
熱中症には気を付けましょう。
水曜日、今日もよろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
~『新しい現実』から
ドラッカーは、
今日、経済的には、
知識が資本となり、
富を生み出す中心的な資源と
なりつつあるとする。
そして、
そのような経済にあっては、
学校に対し、
教育の成果と責任について
新しくかつ厳しい要求が
突きつけられる、
と続ける。
さらに今日、
社会的には、
知識労働者が中心的な存在と
なっており、
そのような社会にあっては、
学校に対し、
社会的な成果と責任について、
さらに新しく厳しい要求が
突きつけられるとし、
さらに続ける。
「学校に対する社会の要求は、
経済からの要求よりも
さらに厳しいものとなる。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』Ⅴ 変化を捉える 4 経済と教育のあるべき姿を探る)
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