■知識社会における「教育ある者」とは(4)■~知識労働者には責任が伴う~
おはようございます。
朝からまぶしい陽射しの高知です。
日中は曇りそうですが真夏日、
熱中症には気を付けましょう。
土曜日、良い週末をお過ごし下さい。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
~『新しい現実』から
上田さんは、
道徳教育が人気がないのは、
道徳教育自体が非道徳的だったためで、
このままでは、
若者は間違った価値観を
持つことになるとした。
そして、
人は必ずなんらかの価値観を持つが、
それは高邁な価値観かもしれないし、
低劣な価値観かもしれないが、
少なくとも、
無関心、無責任、
無感動のいずれかにはなる、
と続ける。
さらに、
知識社会における道徳教育については、
論議も大いにあるが、
教育が道徳を伴い、
かつ道徳を重視すべきもので
なければならないことは
間違いないとする。
それは、
知識と知識労働者には
責任が伴うからである。
ドラッカーは、次のとおり言明する。
「今日、学校と教育が
きわめて大きな変化を
前にしていることは確かである。
知識社会がそれを要求している。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』Ⅴ 変化を捉える 4 経済と教育のあるべき姿を探る)
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