■社会は、とらえどころのない存在■~根なし草には、社会は見えない。~

おはようございます。

レンジャーズを自由契約になった、
藤川球児が故郷高知に帰るらしい。

ファイティングドッグという
四国の独立リーグのチームだ。

高知の桂浜には、闘犬センターという、
土佐犬を戦わせる観光施設がある。

”ファイティングドッグ”とはこの闘犬の意味。
むかし、あの伊良部も一時所属した。


盛り上がるだろうが、一過性ではつまらない、
根付いて欲しい。

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∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬



ドラッカーは、一人ひとりの人間の
社会的な「位置づけ」と「役割」は、
個人と集団の関係にほかならないとした。

個人にとって、社会的な位置づけと役割がなければ、
社会は存在しないも同然である。
なので、個人生活と社会生活の間には、
機能上明確な関係がなければならない。

位置づけと役割をもたなければ、
社会からのけ者となり、
根を生やすべき土壌のない根なし草となる。

彼らにとって、社会は
半分しか理解できない。
半分は暗闇という
予測不能な魔物の世界にすぎず、
自らの意思では、その生活と糧さえ、
どうすることもできない。



「なじみのない部屋で、目隠しをされ、

 ルールを知らないゲームを

 させられているようなものである。

 しかも、そこで賭けられているのは、

 彼ら自身の生計の資、幸不幸、

 ときには命でさえある。」

~『イノベーターの条件』
(1章 社会の存在を当然としてはならない)















































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