■ゼネラリストをつくることではない。■~野卑な傲慢である。~

おはようございます。

快晴の川崎の朝。
ノーベル物理学賞に日本人3人が選ばれた。
青色LEDの発明が評価されたものだが、
エジソンの電球発明から百数十年。

今や”発光”は、ものを明るく照らすという役割を
超えたものを人類に与える。
そのインパクト、イノベーションに対する評価だ。

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∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬



ドラッカーは、専門知識は、
それだけでは断片であり、
不毛であるとした。

必要なことは、広く薄い知識を持った
ゼネラリストをつくることではない。
知識労働者が専門知識を活用して
成果をあげることである。

知識労働者は自らが生み出す断片的なものを
全体の中で、生産的な存在にするために、
それを利用する者に「何を知ってもらい」
「何を理解してもらわなければならないか」
を徹底的に考えることが重要である。



「知識ある者は、常に理解されるように努力する責任がある。

 素人は専門家を理解するために努力すべきであるとしたり、

 専門家はごく少数の専門家仲間と話ができれば十分であるなどとするのは、

 野卑な傲慢である。」

~『プロフェッショナルの条件』(Part2 働くことの意味が変わった  3章 貢献を重視する)







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