■岩崎弥太郎の場合■~三菱の真の興隆と成長~

おはようございます。

快晴の川崎の朝、
窓からは清々しい風が入ります。

昨日は夏のような暑さでしたが、
今日はぐっと涼しくなりそうです。

気持ちに良い一日になりそうですよ。


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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬

ドラッカーは、
マネジメントの存否が
企業の命運を左右した例をあげる。

三菱の創立者、岩崎弥太郎もまた、
フォードやシーメンスとは違う性格の人だった。

彼は、第一級の人物を惹きつけ、
育て、使いこなしたが、
マネジメントというものを信じなかった。

オーナー兼起業家だけが
権限と責任を持つべきであり、
それこそが進歩的で西欧的であるとの
考え方をしていた。

弥太郎は明治維新直後ほとんど一文なしの
武士からスタートしたが、
15年後には、三井、住友という
産業勢力を抜いた。

まさにそのときが、三菱にとって、
フォードの1920年代初頭に相当する時代で、
成長は鈍化し、衰退の兆しさえ見え始めた。

だが三菱にとって幸いだったことに、
彼は50歳でこの世を去った。

側近たちは、家訓を守り、
岩崎家の当主にあらゆる権限を
与えると誓っていたが、
彼の死後、ただちに組織改革に取り組み、
日本でもっとも強力で専門的で自立的な
マネジメント・チームをつくりあげた。




「岩崎家は最大の敬意をもって遇されたが、

 マネジメントからは外された。

 そのときから三菱の真の

 興隆と成長が始まった。」

                  
~「マネジメント【エッセンシャル版】」-第4章 社会的責任 19 プロフェッショナルの倫理-知りながら害をなすな






















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