■ヘムとゲーニアは亡くなった。■~ルーマニアでのユダヤ人粛清~


おはようございます。

朝からまぶしい陽が射す川崎です。

緊急事態宣言が今日、
特定地域を除いて解除され、
地域により、制限活動が異なることとなる。

しかし個人にとって、
そもそも商圏や交通機関に
県境は存在しないので、
いずれであれ引き続き
十分な注意が必要ですね。

木曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。

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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬


ヒトラーの軍隊が、
オーストリアに進駐した頃、
ゲーニアは、
コペンハーゲンの病院で受けた
乳房切除の大手術から
回復しつつあるところだった。


胸のしこりに気付いたゲーニアは、
同地への講演旅行を仕組んで出国し、
そのままチューリッヒへ行き、
そこへヘムが合流した。


すでに引退後15年経っていたが、
ヘムの名はナチスの手配リストに
載っていた。


汚職の尻ぬぐいをしてやったかつての部下、
後にルーマニアでユダヤ人粛清を
大々的に行なうことになったナチス党員が
ヘムを告発していたのだ。




「アネッテが、

 数週間前に亡くなった

 准元帥の父のパスポートを使い、

 へムを出国させたのだった。

 だが、それから一年もしないうちに、

 ヘムとゲーニアは立て続けに亡くなった。」



~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」
(Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)



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