■フロイトは裕福だった■~ロスチャイルド・リッチ~

おはようございます。

曇り空、朝から蒸し暑い川崎です。

今日は時々雨、
気温は30度近くになり
蒸し暑い一日になりそうです。

雨、熱中症、感染予防にお気を付けください。

月曜日、今週もよろしくお願いします。

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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬


ドラッカーは、
フロイトについて、
貧困、差別、無視という
三つの誤解が広がっていた、
とした。


そして、彼は貧困ではなく、
裕福であったとする。


フロイトの生家は、
オーストリアで言うところの
ロスチャイルド・リッチ、
すなわち大富豪ではなかったが、
中流でも豊かな層に属し、
数人の使用人、週に一度の洗濯婦、
月に一度の縫い子、温泉地での夏休み、
ウィーンの森での日曜の散歩、
子供はギムナジウム、
本と音楽を楽しみ、
週に一度はオペラと演劇、
という生活だった。


そして、ドラッカーの父が
事務次官をしていた貿易省の委託で、
貨物運賃についての資料を
まとめたことのある
フロイトの弟アレクサンダーは、
兄が生家の貧しさを言い募ることは、
恵まれた生活をさせてくれた
亡父への侮辱だと怒っていた、
と続ける。




「兄弟は全員大学へ行かせてもらっていた。

 彼に至っては、医学部卒業の後、

 四年近くもパリへ留学させてもらっていた。

 たしかに馬と馬車を所有するほどの

 金持ちではなかった。

 しかし、バーデンやヴェスラウの温泉で保養するときには、

 馬車を借りていた。」



~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」
(Ⅰ 失われた世界 4章フロイトの錯誤とその壮大な試み)

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