■医者の六割がユダヤ人■~何の障害もなかった~

おはようございます。

曇り空、今にも雨が降りそうな
川崎の朝です。

東京地方の梅雨明けは
どうも来週になりそうですね。
雨具はお忘れなく。

木曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。
----------------------

∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬



ドラッカーは、
フロイトは、
人種による差別を
受けていたわけではなかった、
とした。


そして、一九世紀末には、
ウィーンでも商人や職人の間では
反ユダヤ主義の風潮が出てきていたが、
宮廷、政府機関、教養人、
そして何よりも医学界では、
反ユダヤ的な言動は
顔をしかめられるだけのものだった、
と続ける。


しかも、フロイトが活躍を始めた
1880年から1900年頃は、
ウィーンの医学界は、
ユダヤ教徒ではないにしても
ユダヤ人の血を引く者が過半を占めており、
フロイトがウィーンで開業した1881年には、
ウィーンの医者の六割がユダヤ人だった、
とする。

さらに、1900年には
ウィーン大学医学部の医局長の
過半がユダヤ人であり、
軍医総監、皇帝侍医、
皇族産科医もすべてユダヤ人だった。




「繰り返すならば、

 フロイトが神経科の教授になれなかったのは

 反ユダヤ主義のせいではなかった。

 ユダヤ人であることは、

 開業医としての仕事の面でも、

 地位の面でも、

 医学界での認知の面でも、

 何の障害にもなっていなかった。」



~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」
(Ⅰ 失われた世界 4章フロイトの錯誤とその壮大な試み)

コメント

このブログの人気の投稿

■歴史の転換点を眺める■~情報と知識の役割~

■マネジメントの意思決定への影響■~情報技術の動向~

■ドラッカーの学びの原点■~自身の哲学が芽生えた~