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■自ら変化を作り出す”革新”■~変化は後戻りしない~

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”死んでも元気でいてくれ また会おう” 立川談志さんのお別れの会での、石原都知事の追悼の言葉の一節。 他の人ならひんしゅくを買うようなセリフもこの人の口から出ると意味が変わってくる。 普段の石原さんの言葉の背後にあるものは、個人的にはあまり受け入れずらいものがあるがこの度は脱帽した。 さすが文学者です。 ------------------------ ドラッカーは、経営科学の”公準”には前提とすべき 5つの事実があるとする。 5点目:”企業の内外では、後戻りのできない変化が常に起こっている。” 社会や個人の抱える問題や不満やより良いものへの欲求は常に移り変わる。 また、企業は、市場や競合、社内の強みや弱みなどの変化や 経済、自然、政治等々の外部変化から影響を受ける。 そして一旦変化した状況は元に戻すことはできない。 企業は、その新しい状況に適合して問題や不満に対応することは当然のごとく必要である。 しかし、大事なことは、その状況の中に自社の強みを発揮できる領域を見つけ出し、 自ら変化を作り出すという”革新”なんですね。 「企業は、産業社会における変化の主体でもある。 新しい状況に適合する進化の能力を持つと同時に、 周囲の状況に変化をもたらす革新の能力を持つ。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット

■事実ではなく期待に投入すること■~リスクは本源的なもの~

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ドラッカーは、経営科学の”公準”には前提とすべき 5つの事実があるとする。 4点目:”企業にとって、リスクは本源的なもの” 企業の目的は、顧客や市場の”満足”を作り上げること、 つまり”顧客の創造”である。 しかし、顧客はすぐに飽きる、瞬く間に”満足”は”不満足”に変わる。 そこで、企業は顧客の期待を捉え新たな満足を作り出すべく活動するが、 なにが”満足”であるかは明らかではない。 その明らかでない”満足”へのチャレンジにはリスクが伴うが、 そこにしか”顧客の創造”は存在しないんですね。 「経済的な活動とは、現在の資源を不確かな未来に投入することである。 事実ではなく期待に投入することである。 企業にとって、リスクは本源的なものであり、 リスクを冒すことこそ基本的な機能である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット

■抽象的かつ、驚くほど具体的な尺度■~特有のシンボル、すなわち”金”~

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ドラッカーは、経営科学の”公準”には前提とすべき5つの事実があるとする。 3点目:”企業は測定の尺度として金を使う。” 企業活動の大きな側面として経済活動がある。 内部つまり企業活動は、生産、管理、雇用など支出のみを行うコストセンターでしかない。 一方、外部つまり市場では、企業が生み出した製品やサービスを顧客が満足との評価をした段階で、 自らのお金を使って購入してくれる。 これは、企業活動が顧客に受け入れられるかどうか評価、つまり企業の成功度合いの尺度となる。 これら人が満足するということや企業が使命に向かうということは抽象的なものである。 一方その有効性を測る尺度は”金”という非常に具体的なもの。 この表裏一体の事実を認識することは大事なんですね。 「企業は測定の尺度として特有のシンボル、すなわち金を使う。 それは抽象的であるとともに、驚くほど具体的な尺度である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット

■人が価値ありと認める■~見事な設計も廃物にすぎない~

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ドラッカーは、経営科学が意義ある成果をあげるためには、 あるべき姿である”公準”を確定することが必要で、 そこには次の5つの事実が含まれるとした。 2点目: ”企業は、単に物や考えを生み出す存在ではない。” サービス業はサービスを、製造業は製品を作り出しているわけではない 顧客や社会に役立ち、そこに何らかの価値を認められなければならないんですね 「人が価値ありと認めるものを生み出す存在である。 見事に設計した機械といえども、顧客の役に立たなければ廃物である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット

■企業は、社会の下僕にすぎない。■~生態システムの一員~

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ドラッカーは、経営科学が意義ある成果をあげるためには、 あるべき姿である”公準”を確定することが必要で、 そこには次の5つの事実が含まれるとした。 1点目: ”企業とは、社会的、経済的な生態システムの一員である。” 企業とは、その企業活動により、社会に何らかの貢献を行うことで、 社会から認められ、生き残ることができる。 そして、同時にいかに小規模な企業活動であっても、 社会活動の一部として機能していることも事実。 「企業は、最強最大のものであってさえ、 社会や経済の力によって容易に消滅させられる存在である。 それは、社会の下僕にすぎない。 だが最弱最小であっても、社会や経済に直接の影響を与える。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット

■企業とは、人から成るシステム■~誤りを含む事実が対象~

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”経営科学”は、強力な潜在力を持つ道具である。 しかし、あくまで潜在的である。顕在的にならない、理由がある。 ドラッカーは、”経営科学”が真の貢献を果たすつもりであるならば、 まず初めに、その対象を定義しなければならないとする。 その定義には、”企業とは、人から成るシステムである”との理解が 含まれなければならない。 したがってそこには、経営者や、働く人たちが現実に考え、行動し、 誤りを犯すという事実がある。 このことを基本的な事実として、研究と分析を行うことこそが、 経営科学が意義ある成果をあげるために、まず取り組むべきことである。 そのためにはまず、あるべき姿である”公準”を確定することが必要で、 そこには次の5つの事実が含まれるとする。 1 企業とは、社会的、経済的な生態システムの一員である。 2 企業は、人が価値ありと認めるものを生み出す存在である。 3 企業は財務活動として、コストを掛け製品を作り市場に投入し、 利益を生み出し、顧客満足の測定尺度する。 4 経済的な活動とは、現在の資源を不確かな未来に投入することである。 5 企業は、新しい状況に適合する進化の能力を持つと同時に、 周囲の状況に変化をもたらす革新の能力を持つ。 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット

■自ら経営科学者である必要はない。■~医者は医科学を使いこなす~

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これまで、マネジメントに必要な、技能である”意思決定”、”コミュニケーション”、 ”管理手段”について触れてきた。 この章最後のテーマは”経営科学”。 ドラッカーは、線形計画法、損益分岐法等の”経営科学”は組織マネジメントにとって、 強力な潜在力を持つ道具であるとする。 しかしマネジャーは、自ら経営科学者である必要はない。 必要なことはいかにそれを使いこなすかである。 ドラッカーは、マネジメントと経営科学の関係を、医者と医科学の関係に置き換えて 次のとおり説明する。 「マネジャーは、自ら経営科学者である必要はない。 医者が血液化学者や細菌学者である必要がないのと同じである。 だが、経営科学に何を期待でき、いかにそれを使いこなすかは知らなければならない。 それは、医者が血液化学や細菌学に何を期待でき、いかにしてそれを使いこなすかを 知らなければならないのと同じである。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット