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■目的や成果が具体的でない。■~測定可能な目標~

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ドラッカーは、公的機関の機能不振について三つの誤解があるとした。 【3 目的や成果が具体的でない。】 公的機関の不振理由として、目的と成果が具体的でないというものがある。 ドラッカーは、これも問題の一面しか見ていないとする。 そもそも、公的機関のみならず、企業にとっても事業の定義は、抽象的にならざるを得ない。 「"食"と"健康"でよりよい生活に貢献」とか「良いものを早く、安くお届けする」、 「消費者のための価格破壊」等の定義は具体的でない。 また”魂の救済”という教会の目的は、定量的には把握できない。 同じく、“芸術の街作り”、”子供たちをすくすくと育てる地域”との地域行政の目的も同様に 抽象である。 しかし、教会への参拝者の数や、美術館の来訪者数、子供の身体能力などは測定できる。 ドラッカーは、事業定義は抽象的であっても、具体的な目標を設定し、その結果を測定して、 成果に結び付けることが大事だとする。 「全人格の発達という学校の目的は、定量的にはつかめない。 だが、「小学三年までに本を読めるようにする」との目標は具体的である。 容易に測定できる。かなり正確に測定できる。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット

■あらゆる病院の院長が天才や偉人ではない。■~組織の数はあまりに多い~

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ドラッカーは、公的機関の機能不振について三つの誤解があるとした。 【2 人材がいない。】 優秀な人材がいないから成果が上げられない、、、、これも嘘である。 公的機関に働くマネジメントが、不適格、無能、不真面目、 怠惰である訳ではない。 また、企業の人間が公的機関のマネジメントに任命されたとき、 官僚よりもうまくやれる訳でもない。 問題は、いかに優れたマネジメントであろうが、 公的機関の役職に就くなり、彼らがただちに官僚になること。 「企業と同様に、公的機関もスーパーマンや猛獣使いだけを マネジメントの地位に置くわけにはいかない。 組織の数はあまりに多い。 あらゆる病院の院長が天才や偉人でありうるはずがない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット

■効率で成果は得られない■~公的機関に欠けているものは成果~

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ドラッカーは、公的機関の機能不振について三つの誤解があるとした。 【1 企業のようにマネジメントしていない。】 まず公的機関は、”企業と同じようにマネジメントすれば成果をあげられる” という誤り。 公的機関にとって、企業的であるということは、単なる効率、 つまりコスト管理のみを意味することとなる。 競争がなく、コスト管理を外部から強制されることもない公的機関にも、 効率は当然必要である。 ”しかし公的機関に欠けているものは、成果であって効率ではない。 効率によって成果を手にすることはできない。” ドラッカーは、問題は、公的機関がやるべきことを行っていないことにあり、 コスト意識の欠如にあるのではないとする。 「公的機関の問題の根本は、コスト意識の欠如にあるのではない。 成果をあげられないことにある。 公的機関の問題は、なすべきことをしていないところにある。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット

■公的機関不振の三つの誤解■~社会機能の支柱~

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政府や中央・地方行政機関等はサービス機関であると共に、公的機関である。 そこには、組織肥大化、自己消費のための予算増加、財政赤字の拡大等々様々な危機が存在する。 しかし、公的機関は社会機能の支柱として、その存在は必要である。 この危機について、次の三つの事柄が原因とされることが多いが、 ドラッカーは、このいずれも弁解にすぎないとしている。 「1 企業のようにマネジメントしていない。  2 人材がいない。  3 目的や成果が具体的でない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット

■公的機関が果たすべき貢献■~サービス機関の成果~

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ドラッカーは、今日の社会は多元社会であり、その中で、”サービス機関”は、 社会の構造を支える支柱であるとする。 サービス機関とは、組織が行う経済活動が生み出す余剰によってコストがまかなわれている機関、 具体的には政府や病院のような公的機関や企業に存在するスタッフ部門などを指す。 社会や企業が機能するためには、このサービス機関が成果をあげることが必要となる。 しかしサービス機関としての公的機関を見ると、組織は巨大化し、予算は急増し、様々な危機を抱えている状況である。 ドラッカーは、このサービス機関が成果をあげることは、マネジメントにより可能であるとする。 「あらゆる国において、官僚主義への不満が高まっている。 貢献と成果のためではなく、そこにいる者のためにマネジメントしているとの不満さえある。 しかし、公的機関を廃止する可能性も、廃止できる可能性もない。 今日の社会には、公的機関が果たすべき貢献を不要とする考えはない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット

■経営科学とは分析の道具■~問題に対する洞察~

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経営科学について触れてきたが、最期にドラッカーは、 マネジャーの経営科学に対する役割について触れている。 そもそも経営科学とは分析の道具であるので、 その使用者であるマネジャーは、その道具がよくできてさえいれば、 道具の仕組みなど知る必要はないし、かえって知ってはならないとする。 しかし、マネジャーは、経営科学とは何であり、何をなしうるかは 理解しておかなければならない。 そのためには、経営科学に対して次の四つのことを要求しなければ ならないとする。 1 仮定を検証することができること 2 正しい問題を明らかにすること 3 答えではなく代替案を示すこと 4 問題に対する公式ではなく理解に焦点を合わせること  「経営科学の目的は、あくまでも診断を助けることにある。  経営科学は、万能薬でないことはもちろん、処方能でもない。  それは、問題に対する洞察でなければならない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット

■”リスクの最小化”は誤り■~進歩とは、リスクを負う能力の増大~

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ドラッカーは、経営科学のもう一つの鍵は、”リスク”にあるとする。 まず、”リスクをなくそう”とか”最小にしよう”などの試みは誤りであるとする。 そこには、リスクは”非合理的で避けるべきもの”とする考えがあるからだ。 この考えからは、リスクを取らない、リスクのない道を探すといったことしか 導き出されない。 そこにあるのは、”無為のリスク”、”硬直化のリスク”という最大のリスクである。 なにもできなくなる。 必要なことは、正しい種類のリスクを冒せるようにすること。 どんなリスクがあり、リスクを冒したとき何が起こるかを明らかにすることである。 また、よく言われる”リスクの最小化”という言葉には、リスクを冒したり、 リスクを作り出すこと、つまり企業という存在そのものに対する非難の響きがある。 これは、経済活動を、責任を伴う自由裁量の世界として見ておらず、 間違っているというより、最悪というべきであるとする。 「企業活動からリスクをなくそうとしても無駄である。 現在の資源を未来の期待に投入することには、必然的にリスクが伴う。 まさに経済的な進歩とは、リスクを負う能力の増大であると定義できる。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 私のランクは? Amazon.co.jp ウィジェット