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■完全な孤立主義者■~炭鉱労働者へのスト呼びかけ~

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おはようございます。 昨日の午後は予想に反して晴れ、 手結の海も輝いてました。 ホテルのプールも子供連れで賑わい、 露天よさこい温泉も快適でした。 日曜日、今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ルイスはドラッカーに、 アメリカの大統領は、 外国で冒険をしたくなると、 労働者を捨ててまでも、 社会正義を捨て、 生産と利益を追求し、 アメリカを裏切り、 帝国主義者になる、 とした。 そして、一年もしないうちにルイスは、 ルーズベルトと公然と手を切り、 完全な孤立主義者となった。 1939年ヨーロッパで戦争が勃発したとき、 インタビューに訪れたドラッカーに、 ルイスは間もなく大統領は愛国心に訴えて、 労働者に犠牲を要求するだろうが負けないぞ、 と言った。 1943年、ルイスは脅しに成功し、 アメリカは北アメリカで戦い、 太平洋で戦っている中、 戦時生産体制は確立されず、 前線への補給は危険なほどに 不足していた。 「そのような中にあって、  ルイスは、戦時労働局の賃金抑制要請を蹴り、  炭鉱労働者にストを呼びかけたのだった。」 (3 アメリカの日々 15章お人好しの時代のアメリカ)

■中立の放棄と介入政策■~社会正義を捨てる~

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 おはようございます。 朝から雨、涼しい高知です。 今日は一日この雨が 強弱をつけながら続きそうです。 そんな中ですが、 母親を連れてよさこい温泉のある ロイヤルホテル土佐に一泊してきます。 温泉浸かって酒飲むには雨もよろし。 土曜日、良い連休をお過ごしください。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 1937年にルイスは、 労働界のほぼ一致した反対を押し切り、 リトル・スチールと呼ばれる 鉄鋼四社に対するスト突入を決めた、 とする。 そして、彼はこの決定に対して、 政府介入による勝利を期待していたのだが、 ルーズベルトは中立を守ったため、 スト指令の撤回を余儀なくされた、 と続ける。 ルーズベルトが火中の栗を拾わなかったのは、 鉄鋼労働者自身と世論が ルイスのストに反対していたからだったが、 彼は、裏切られたと思った。 そしてルイスが、その原因と見たものが、 ルーズベルトによる中立政策の放棄と、 介入政策の採用であり、 彼はドラッカーにこう言った。 「アメリカの大統領は、  外国で冒険をしたくなると、  労働者を捨ててまでも  経営者に取り入ろうとする。  社会正義を捨てて、  生産と利益を追求する。  アメリカを裏切り、帝国主義者になる」 (3 アメリカの日々 15章お人好しの時代のアメリカ)

■ルーズベルトの大統領候補指名争い■~大量生産労働者の組織化~

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おはようございます。 薄暗い高知の朝、 雨は小康状態ですが、 深夜には雷鳴が轟いてました。 今日の天気は、晴れ、曇り、雨が 入り混じるようですね。 色々お気を付けください。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルイスは孤独であることを嘆いていたが、 その原因は彼自身が対抗しうる者を すべて放逐していたことだが、 他のあらゆることと同様、 責任は外交にあるとしていた、 とした。 そして、より正確にいうならば、 国際主義、介入論に帰していた、 と続ける。 ルイスは、若干の誇張はあったが、 ルーズベルトの大統領候補指名争いと 本選挙での勝利は、 自分のおかげであるとしていた。 ドラッカーは、 ルイスが労働運動の盟友アル・スミスを見限り、 かねがね労働界が金持ち貴族として避けていた ルーズベルトに乗り替えたおかげで、 1932年の民主党大会における 大統領候補指名を辛うじて獲ち取ったことは 事実だった、 とする。 「しかし、ルイスは、  その見返りはルーズベルト政権の  第一期に得ていた。  ルーズベルトは労働組合、  とくにルイスがCIOを通じて行なった  大量生産労働者の組織化を  支援したのだった。」 (3 アメリカの日々 15章お人好しの時代のアメリカ)

■自らの孤独の責任■~外交に帰していた。~

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 おはようございます。 薄暗い雲が空を覆う高知、 蒸し暑い朝です。 今は小雨、日中もにわか雨がありそうです。 湿度が高くても水分補給はお忘れなく。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルイスはローチェがいることに気付きもせず、 注意も払わなかったが、 一声かければ彼女が とんでくることは承知していた、 とした。 そして、1937年にドラッカーが 初めてルイスに会ったとき、 まだ彼は50代後半で、 体は頑健であって、 その後30年生きた、 と続ける。 亡くなったのは1969年、 89歳のときだったが ドラッカーが初めて会った頃には、 すでに孤独であって、 孤独であることを嘆いていた。 「原因は彼自身にあった。  対抗しうる者はすべて放逐していた。  しかし、ルイス自身は、  自らの孤独の責任を  他のあらゆることと同様、  外交に帰していた。」 (3 アメリカの日々 15章お人好しの時代のアメリカ)

■ケント伯が仕えたリア王の如く■~一声かければ彼女はとんでくる~

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 おはようございます。 雲を通してうっすらと日が差し始めた 高知の朝です。 今日は雨の心配はなさそうです。 雲の多い時間が長くても、 30度は超えそうです。 水分補給に心がけてください。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ジョセフィン・ローチェが 最も力を入れたものが、 ルイスの労働組合運動とUMWへの支援で、 これに人生と財産を捧げた、 とした。 そして、ルーズベルト政権時に 財務次官補に任命されたが、 ルイスがルーズベルトと袂を分かった 1937年に辞任した、 と続ける。 彼女は美人で、 ルイスの事務所で 初めて会ったときもきれいで、 彼女がルイスを崇拝していたのは 明らかだった。 ドラッカーは、 彼女は誰とも結婚しなかったが、 ルイスは、まさにケント伯が 仕えたリア王の如く、 彼女がいることに気付きもせず、 注意も払わなかった、 とする。 「しかし彼は、  一声かければ彼女がとんでくることは  承知していた。」 (3 アメリカの日々 15章お人好しの時代のアメリカ)

■ジョセフィン・ローチェ■~石炭会社オーナーの娘~

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 おはようございます。 雲の多い高知の朝です。 蒸し暑い一日、午後には にわか雨の可能性もありそうです。 お気を付けください。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 気づかれることもない 『リア王』のケント伯に相当する者が、 ジョセフィン・ローチェだった、 とした。 そして、このジョセフィン・ローチェは、 ルイスと同年の1880年生まれで、 父親は西部最大の石炭会社のオーナーという、 アメリカでも屈指の金持ちだった、 と続ける。 ルイスの最初の労働争議の相手が、 彼女の父親で、彼女が大学生のときだったが、 彼女は労働者の大義への転向者、 父親の敵の弟子となった。 ドラッカーは、 彼女自身ソシアル・ワーカーとして 将来を嘱望されたが、 父親が遺した石炭会社を立派に経営した、 とする。 「しかし、彼女が最も力を入れたものが、  ルイスの労働組合運動とUMWへの支援だった。  彼女はこれに人生と財産を捧げた。」 (3 アメリカの日々 15章お人好しの時代のアメリカ)

■『リア王』のケント伯■~父親と共に引退~

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 おはようございます。 雲の多い蒸し暑い高知の朝です。 今日は曇り空で湿気の多い 一日になりそうです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ルイスの娘キャスリンには、 権力と虚栄に侵される前の若き父親の、 あの広く知られた人間的な魅力があった、 とした。 そして彼女は、 あくまでも父親を立て、 結婚しようとしたことも何度かあったが、 結局は父親の面倒をみるべく 諦めたとの噂もあった、 と続ける。 彼女は父親が記者に会うときには、 必ず同席したが、 父親が振ってこない限り口を はさむことはなく、 父親が引退すると、 彼女も引退した。 「褒められることはおろか、  感謝されることも、  気づかれることもない  『リア王』のケント伯に相当する者が、  ジョセフィン・ローチェだった。」 (3 アメリカの日々 15章お人好しの時代のアメリカ)