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■ウィーン中を動き回っていた。■~お年寄りのための煎じ薬~

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おはようございます。 未明の川崎、雲が多いようですね。 昨日は雨模様で明日も雨の予報、 今日はまるで梅雨の晴れ間、 傘は不要でしょう。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 わが家の言い伝えによれば、 この簡潔な祝辞に対する 電報料金のあまりの高さに、 おばあちゃんはため息をついた、 とする。 そして、若い頃のおばあちゃんは、 小柄で相当の美人だったが、 残念ながら物心ついた頃には、 その面影はそれほどなかった、 と続ける。 夫を亡くした40歳そこそこの頃、 大病をわずらい、 以来動悸と息切れに悩まされ、 さらには関節炎にもかかり、 耳も遠くなりつつあったが、 後女は柄の太い黒い傘を手に、 大きな買い物袋を引きずるようにして持って 年中電中に乗ったり歩いたりして、 ウィーン中を動き回っていた。 「買い物袋には、  どこそこのお年寄りのための煎じ薬、  ギムナジウムの誰それのための古切手、  仕立屋さんにあげるために  フロックコートから取った  金属製のボタンなどの包みが入っていた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 1章おばあちゃんと二〇世紀の忘れ物)

■おばあちゃんの祝電■~姪御への祝電~

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おはようございます。 未明の川崎、今朝も雲が多いようです。 今日は冷たい雨で気温の上がらないようですね。 暖かくしてお出かけください。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 宿泊したホテル近くの食料品店の 女主人はドラッカーの姪御に おばあちゃんが送った祝電の話をする。 ドラッカーが生まれる前の話しではあったが、 忘れようのないもので彼女の電文は、 次の内容であった。 「電報を送るに当たっては、  最も簡潔たるべきことが  適切なことであるがゆえに、  この厳粛なる日に当たって、  いつまでもお幸せにとのみ  祝辞を贈るものなり。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 1章おばあちゃんと二〇世紀の忘れ物)

■失われた世界■~おばあちゃんと二〇世紀の忘れ物~

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おはようございます。 未明の川崎、雲が多いようです。 昨日は誕生日のメッセージ ありがとうございました。 毎年思うことは、 一年で一番寒いこの時期に、 暖房も整っていない自宅で 生んでくれた母親への感謝の念です。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 1955年、 ドラッカーが講演のために、 18年ぶりにウィーンを訪れたが、 この訪問は1937年にイギリスから アメリカに渡るとき立ち寄って以来 初めてだった。 このとき、到着した翌朝に ホテル近くを散歩中、 妻に頼まれていた あるオーストリア産の酒を買うために、 食料品店に入った。 昔その店に入った記憶はなかったが、 入った途端、レジスターに陣取っていた 女主人が声をあげた。 ここからドラッカーの おばあちゃんの話となるが、 この話をするときに 女主人はくすくす笑い出し、 ドラッカーもつられて笑い出した。 「つい二、三年前も、ハンスおじさんが  名誉博士号をお受けになったとき、  グレタおばさんがいらしたのよ。  失礼かと思ったけどホテルに果物をお届けしたの。  そうしたらご丁寧なお手紙をいただいて。  みんな素敵なご婦人方。  でも、あなたのおばあちゃんにはかなわない。  素晴らしい方だった。それに、変わってらしたわね。  姪御さんのこと、覚えていらっしゃる?」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 1章おばあちゃんと二〇世紀の忘れ物)

■屋根から人を驚かせる■~違う見方をする宿命~

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おはようございます。 未明の川崎、快晴の様ですね。 一日この天気でも、北風が強く、 体感温度は相当下がりそうです。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ”国賊”を賞賛するスピーチを し終わったとき、 一瞬静かになり、 みなきょとんとしていた、 とした。 そして、パーティの 女主人役だった友達のビビは、 その後何年も、ドラッカーのせいで 折角のパーティが 台無しになったと怒っていた、 と続ける。 ドラッカーが話しているとき 部屋に入ってきていた 何人かの大人は、 ほほえんでいたが、 重傷で除隊したばかりだった ビビの父親が、 脇に連れていってこう言った。 「自分の目で見、   自分の頭で考えることはよいことだ。   でも、屋根の上から叫んで   人を驚かせることは感心したことじゃないんだよ」 「これは観察者がよく言われることである。  人と違う見方をすることが宿命だからである。  もちろん観察者の多くはこの忠告に従う。  だが、私自身はあまり気にしたことがない。  本書においても、   ビビのお父さんの忠告には従っていない。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (プロローグ  国賊を賞賛するスピーチ)

■客が期待し、自分が約束したもの■~みなきょとんとしていた。~

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おはようございます。 未明の川崎、冷え込んでます。 今日は大寒ですが日中は10度を超えた 暖かさになりそうですね。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ その時代、戦争は身近な存在で、 子供たちさえ、知り合いの名が 新聞の死亡記事に載っていないかと 覗いていた。 そのようなわけで、 その夜クランツ逮捕の事件の 話になっても不思議なことではなく、 親たちも隣の部屋で話題にしていた。 誰かがドラッカーに説明を頼んだのだが、 自身でも驚いたことに、 国賊クランツを弁護するどころか、 賞賛するスピーチを始めてしまっていた。 「法律を犯したかどうかは  重要なことに思えなかった。  彼は立派なことをしただけだった。  客が期待したもの、自分が約束したもの、  客が支払ったものを提供しただけだった。  話し終わったとき、一瞬静かになった。  みなきょとんとしていた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (プロローグ  国賊を賞賛するスピーチ)

■国賊を賞賛するスピーチ■~戦争は身近だった。~

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おはようございます。 青空が広がる川崎の朝です。 久し振りの好天、お出かけ日和です。 良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 観察者は育ちよりも 生まれつきのようであり、 ドラッカー自らについては、 八歳の頃にはかなりの 観察者になっていた、 とする。 本人がそれを知ったのは、 第一次大戦中の小さな クリスマス・パーティのことで、 その秋、戦時の闇商売の摘発が 連日新聞をにぎわしていた。 そのニュースとは、 食料不足の中、 ホテルとレストランのオーナーであり、 一流のサービスを旨としていたクランツ氏が、 牛肉を闇で仕入れ、逮捕、起訴され 国賊扱いされたというものであった。 クランツ氏は高値で仕入れてはいたが、 高値で提供したわけではなく、 配給切符以上の量を 提供したわけでもなかったが、 検察は、ホテル代とレストランの 席料を高くすることによって、 事実上、闇値で肉を 売ったものとして起訴した。 パーティにいたのは、 九歳以下の上流家庭の子供たちで、 彼らがクランツ事件について話をしても、 さほどおかしくはなかった。 「戦争は身近だった。  親戚や知り合いが出征していた。  どの子の親も、  新聞で戦死者リストを調べる毎朝だった。  子供たちさえ、  知り合いの名が載っていないかと  新聞を覗いていた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (プロローグ  国賊を賞賛するスピーチ)

■自分は観察者だということ■~強制された水溜まり~

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おはようございます。 寒い小雨が降る川崎の朝です。 山沿いでは雪の予報もあります。 外出時にはお気を付け下さい。 良い週末をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは水溜まりが 好きであった。 しかも、デモのその日の水溜まりは、 いつもならばわざわざ入りたくなるような 水溜まりであった。 しかし、ドラッカーは、 その水溜まりは自身が 選んだ水溜まりではなく、 後に続く群衆によって、 強制された水溜まりだった、 とする。 そして、そこで進路を変えようとしたが、 後ろのざっくざっくという大群の足音、 物理的な圧力に圧倒され水溜まりを 通り抜けさせられた、 と続ける。 そのときドラッカーは、 真後ろにいた口髭の生えた女子医学生に 無言で赤旗を渡し、 隊列を離れ帰宅することにした。 帰宅途上ひっきりなしに すれ違うデモ行進に、 淋しくも感じ、 隊列に戻りたくもあったが、 同時に浮き浮きもした。 家に着いたとき、 早い帰宅をいぶかった母が、 「具合でも悪いの」と聞いた。 「「最高だよ。僕のいる所ではないってわかったんだ」と答えた。  11月のあの寒い日にわかったことは、  自分は観察者だということだった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (プロローグ 「僕のいる場所ではない」)