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■時間を超えたところでの存在■~行き着く先は絶望~

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おはようございます。 未明の冷え込みは零下、今期一番です。 暗くてよくわからないですが、 空は快晴の様子、寒い一日になりそうです。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 生命保険は、リスクを分散させる約束であり、 死というものを、人生におけるひとつの出来事と 考えようとする試みの本質を 最も明確に教えてくれるものであった、 とした。 そして、習慣的な手段を使って死後の生命を 操ろうとする試みから心霊主義が生み出されたが、 それでも死がなくなることはありえないため、 死をタブー視し、死を口にするのはマナー違反 というルールを作ったのだと続ける。 そこで、死というものが存在し続けている間、 人間には、現実とかけ離れ、時間を超えたところで 存在していることを示す何かがある、 と考えることとなる。 「死というものから逃れられない限り、  生命についての楽観的な概念、  つまり時間を超越した永遠は実現できる、  そして個人は社会で自己実現ができる  という考えの行き着く先は、  たったひとつしかありません。  それは、絶望です。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■死がもたらす帰結への対処■~リスクを分散させる約束~

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おはようございます。 夜明けにはまだ1時間ほど、 夜の長い季節です。 未明、一層冷え込みを感じます。 暖かくしてお出かけください。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 19世紀の人間の手による大惨事について、 人々はその事実を大惨事だと解釈することを 拒否し回避した。 ドラッカーは、かれらがその悲劇の回避に 成功したとは言っても、 回避できない事実がひとつ残されている、 とする。 それは時代を超えて存在し続ける ”死”という事実で、 それは、個別具体的な事実でありまた、 個人的に起こる事実である、 と続ける。 19世紀には、死を個別及び 質的な側面から解明するために 死を、数量として計測し、 統計的に予測できる数値の上での出来事にした。 つまり、死がもたらすさまざまな帰結を 総合的に整理することによって、 死というものを解釈しようとしたもので、 これが、生命保険の意味であり、 死がもたらす帰結に対処する約束だとした。 「生命保険はおそらく、   19世紀の形而上学を代表する   仕組みの最右翼でしょう。   なぜかと言えば、”リスクを分散させる”約束が、   死というものを、人生の終わりではなく、   人生におけるひとつの出来事と  考えようとする試みの本質を  最も明確に教えてくれているからです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■19世紀の合理性という観点■~あまねく慈悲深い神という概念~

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おはようございます。 快晴の空、 厳しい冷え込みの川崎の朝です。 寒さと乾燥に注意。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 18世紀の震災被害者は、 災害が与えた被害について、 その恐怖と、”あまねく慈悲深い神” という概念との折り合いをつけられなかった。 ドラッカーは、 今では、毎日のようにはるかに 大量の殺戮や破壊、飢餓で苦しんだり 虐殺されたりしているたくさんの人たちや、 一晩で完全に崩壊してしまった都市などのことを 聞かされている、 と続ける。 この19世紀の人間の手による大惨事と、 18世紀の震災被害とのどちらを説明するのが 難しいかという比較の話になると、 19世紀の大惨事を説明しようとするほうが、 はるかに難しいであろう。 それでも、多くの人がこの戦争から 恒久的な平和や繁栄が必ず 生まれてくるとの楽観的な考え方が、 このような現代の大惨事によって 揺らいでいるとは思えない。 「確かに、彼らはこうした事実を認識しています。  当然、それに対して怒りもおぼえています。  けれども、彼らはそうした事実を大惨事だと  解釈することを拒否しているのです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■人間としての存在可能性■~1943年ベニントン・カレッジでの講義~

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おはようございます。 未明の川崎の朝、 昨日は寒空でしたが、 今日は快晴の一日になりそうですね。 今日から仕事始め、頑張りましょう。 今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 どうすれば人間としての 存在は可能になるのかを問う。 まず、欧米の歴史の中で、 二度の世界大戦を経験したこの20世紀ほど、 戦争による悲劇の実態を忘れ去ろうとした世紀は、 ほかに例がないとする。 そして、誰もが、その悲劇を見ないように目を閉じ、 歴史の事実を否定するように仕向けられてきたが、 1755年、ポルトガルを大地震が襲い、 約6万人もの市民がその犠牲になったという 史実をあげる。 この震災の犠牲者数は、 ヨーロッパにおける伝続的な キリスト教の信仰の構造を崩壊させるのに 十分な数であった。 「当時の人たちにはわけがわかりませんでした。  その恐怖と、あまねく慈悲深い神という概念との  折り合いをつけられませんでした。  そうした地震による大災害に対して、  どんな答えを用意すればよいのか  まったくわからなかったのです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■組織と経営というテーマ■~政治と経済の間の暗闇

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おはようございます。 10日ぶり、 ところどころに雲が浮かぶものの、 青空が広がる川崎の朝です。 昨夜の強風の影響もあるのか、 朝の厳しい冷え込みは高知以上でした。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 1946年には、 ゼネラルモーターズで行なわれている仕事を 徹底的に解剖した『企業とは何か』を出版し、 新たな境地に入る。 ドラッカーは同社を単純に、 ひとつの企業としてではなく、 もっと広範なコミュニティーを 背景にして活動を続ける 社会的な存在だと捉えた。 組織と経営をテーマにした、 深い洞察力に富んだこの分析だが、 必ずしも万人受けしたわけではなく、 政治と経済の間の暗闇に落ち込んでようで、 これを評価し検証した人はごく一部にとどまった。 「当時、ある評論家はドラッカーについて   こんなことを言っています。  「その並外れた能力がもっとまともなテーマに   向けられることを願っている」。   ありがたいことに、ドラッカーが   この批評を受け入れることは   ありませんでした。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■著作を貫く確固とした信念■~関心を持つのは人の行動~

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おはようございます。 未明の高知、冷え込んだ朝、 空は晴てます。 一週間余りの帰郷、今日上京します。 来週からは社会復帰、ひと踏ん張りしましょう。 良い一日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーがイギリスに移住し、 ケンブリッジ大学で、 経済学者ケインズの講義を受けているとき、 頭にこんなことがひらめいた。 「突然気がついた。 私が関心を持っているのは人の行動なのに、 ケインズをはじめ、教室の聡明な学生が みな関心を持っているのは、 生産物のほうだった」 そして、1939年、ドラッカーは初めての著書 『「経済人」の終わり』を出版し、 自分が別れを告げたヨーロッパ大陸に見られる ファシズムの台頭に鋭く切り込んだ。 その後、1942年には『産業人の未来』を出版した。 「この著作の中核にあったのは、  現代企業は、個人に対しては  尊厳や意義そして社会的な地位を与えながら、  一方で、その強大な力と権威を  正当化しなければならない、  という認識でした。  これが、それ以降60年間にわたって  ドラッカーの著作を貫く確固とした  信念になったのです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■ドラッカー哲学の核心■~怠れば衰退あるのみ。~

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おはようございます。 青空から、明る陽が差す高知の朝です。 正月4日、今日が仕事始めの方も多いことでしょう。 一年間のスタート、頑張りましょう。 私はもう一日、ふるさとを楽しんで、 明日上京です。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 1940年代の講義。 1940年代に入る前すでに、 後にドラッカー哲学の核心を 形づくることになる出来事が 次々に起こっていた。 ワルツマンは、その中でも特筆すべきなのは、 ドラッカーの初期の著作を焼き捨て 出版禁止にしたナチ政権が ヨーロッパを席巻したため、 1933年に祖国オーストリアからイギリスに移住、 そして1937年にアメリカへ移住したという事実だ、 と続ける。 「知識は絶えず磨かれ鍛えられ、   そして育まれなければならない。   怠れば衰退あるのみ。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (1940年代)

■マネジャーが第一に背負う責任■~決して道をはずすことなかれ~

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おはようございます。 新年三日目、快晴の高知の朝です。 今朝も相当冷え込みました、 川崎よりきつい感じです。 まだ三日、やりまっせ。。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ワルツマンは、本書の編集は、 簡単な化粧直し程度ではすまない 大手術であったとした。 そして、潔癖主義の人たちは、 その手法に不満を感じるかもしれないと考えて、 講義のオリジナル版をクレアモントにおいて開放してある、 と続ける。 ワルツマンは、本書を誰でも読んで 楽しめる書物にすると同時に、 あらゆるマネジャーが第一に背負う責任だと ドラッカーが信じている行動基準に 一貫してこだわって作業を進めたとする。 「これは、あらゆる編集者にとっても  適切なアドバイスになっていると思います。  つまり、  「何があろうと、決して道をはずすことなかれ」  ということです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (はじめに)

■講義からの再構成■~肩の力を抜いて話している姿~

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おはようございます。 雲の多い空にところどころ青空が覗く高知の朝、 正月らしくピッりとした空気です。 三が日、皆さん朝からやってますかね。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ワルツマンは、本書出版に当たって、 書物の形になって出版されたことのない講義を 掘り起こすことを心がけた、 とした。 そして、講義のほとんどは、 教室の中で肩の力を抜いて話している姿を 撮影したビデオから文字に書き起こしたもので、 思う存分、不要な部分をカットし、 文脈の整理をし、新たな構成に仕上げる作業に 取り組むことができた、 と続ける。 「これは大手術でした。  簡単な化粧直し程度ではすみませんでした。  したがって、読者がこれから  お読みになろうとしている講義は、  単なる「講義からの引用」というよりも、  「講義からの再構成」と考えていただいたほうが  的を射ていると思います。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (はじめに)

■書物になっていない講義■~教室ではなく演台で~

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新年明けましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いします。 平成31年元旦の高知は快晴の朝を迎えました。 この一年が皆さんに幸多き年でありますように! 皿鉢の準備が整ったら、始めまっせ。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ワルツマンは、 本書は、最初と最後の講義を含む 31回の講義を選び出したもので、 心がけたことは、書物の形になって 出版されたことのない講義を 掘り起こすことをであった、 とする。 その上で、それぞれの講義について、 私がわかりやすく、読みやすくなるように 手を入れ編集したが、同時に、 取り上げた内容が互いに重複しないように 気を配ったつもりだと続ける。 「したがって、その痕跡が  少しばかり顔を出すかもしれませんが、  はっきりそれとわかる重複は  ひとつもないと確信しています。  取り上げた講義の中には、  教室ではなく、演台に立って行なわれたものも  いくつか含まれています。  というのも、そこでドラッカーは  注目に値する見事な文章を  残してくれているからです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (はじめに)

■非凡で生産的な人生■~刺激的で大いにためになる~

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おはようございます。 今朝は雲が多い高知です。、 いよいよ平成最後の大みそか。 BS-TBSでは朝から酒場放浪記、 一丁行きますか。 それでは、皆様良い新年をお迎えください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ リック ワルツマンは、 このシリーズを読者に興味深く 読んでもらえるとすると、 半世紀にわたる時代の流れを 最初から最後まで反映しているからであり、 言い換えれば、ドラッカーが非凡で、 しかも生産的な人生を送ったことの 証明でもあるのだとする。 そして、 本書で取り上げた半世紀にわたる講義は、 1943年に行なわれたものから始まったが、 当時、ドラッカーは世の中に次のように 喧伝されていた、 と続ける。 「刺激的で大いにためになる」、 「堅実な理論家」、 「平均的なビジネスパーソンでも十分に理解できることばで話す力のある人物。」 「そして、ドラッカー最後の講義が行なわれたのは  その60年後、2003年のことです。  その宣伝文句は60年前と  少しも変わってはいませんでした  (その唯一の例外はドラッカー本人の聴覚だけのようです)。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (はじめに)

■知識を武器に働く人たち■~筋力に代わって脳力を駆使する~

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おはようございます。 快晴、青空が広がる高知の朝です。 今年もあと二日ですね。 今日は日曜市、ひろめ市場、 葉牡丹の強力トリオで土佐を満喫してきます。 良い一日をお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ リック ワルツマンは、 本書を貫いている主題は、 ドラッカーが半世紀にわたる仕事を通して ひたすら取り組んできた ”生産活動から知的活動への歴史的な変化” ではないかとする。 ドラッカーはさまざまな角度から、 肉体の筋力に代わって脳力を駆使することの 意味を探究しているが、 これは1957年に開かれたある国際的な 経営者会議でのスピーチでの、 「知識を武器に働く人たち」という初期の 有名な概念を盛り込んだのがきっかけになった。 本書には、文字通り目新しい識見が豊富に紹介されており、 いわゆるサプライズもひとつやふたつではない。 「ドラッカーは、  筆を持つ手に代わって口を動かすとき、  その調子は著作の文章よりもずっと柔らかくなるようです。  しかも、話をするときには、  妻のドリスや子どもや孫を登場させて、  プライベートで温かい味付けをする場面もたくさんありました。  受講者の様子を見ながら、  それに合わせるように話を進め、  ますます興味深い講義になることもあります。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (はじめに)

■博識ぶりが光る■~ある種の培養皿の役割~

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おはようございます。 快晴の高知、冷え込みました。 高知に来て、今シーズン一番の寒さを感じました。 今年もあと三日、ゆっくりお過ごしください。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ リック ワルツマンは続ける。 ドラッカーは、 数々の講義で様々な語り口を見せるが、 光っているのはなんと言っても、 その博識ぶりだとする。 たとえば、18世紀の政治家や19世紀の小説家を 即興的に引き合いに出すことも珍しくはないが、 荒唐無稽な考えをする人物でもなかった。 ニューヨーク大学での講義後の質問時に、 「とにかく具体的な内容の質問をしてくださいませんか」とし、 そして「というのも、この講義では高尚な概念に あまりにも時間をかけすぎたものですから」と続けた。 ドラッカーの著作をよく読んでいる人たちは、 本シリーズを読み進めるにつれて、 セルフマネジメント、ボランティア活動の重要性、 企業の実践と成果に集中する必要性などなど、 なじみのあるテーマにたくさん出会うはずだとする。 「ときどき、ドラッカーは講義の中で  自分のアイデアの有効性を検証しようとしています。  そして、そうしたアイデアがしばらくたつと  活字になって紹介されるのです。  つまり、教室がその発想を育む、  ある種の培養皿の役割を果たしている、  ということです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (はじめに)

■本書刊行の目的■~ドラッカーの新たな一面~

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おはようございます。 高知の朝は快晴、 厳しい冷え込みですが、 段々暖かな陽射しで気温上昇。 冬の好日。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ リック ワルツマンは、本書刊行の目的として、 次にとおり記す。 生前、ドラッカーの講義を直接聴いた人たちは、 著作には表れないドラッカーの一面を 目の当たりにする機会に恵まれたが、 それができなかった人々に同じ経験を伝えることによって、 読者にドラッカーの新たな一面を発見できる機会を 提供すること。 そして、本書を通読すればきっと、 ドラッカーの半世紀が はっきりと読者の中に浮かび上がってくると続ける。 ドラッカーは控えめに、 「どの話から始めればいいのでしょうね」、 「私の話はうまくないね」といった具合で語ることもあったが、 普段の話しぶりは理路整然としていて、 しかもその口調は自信に満ちていた。 また、 「1950年以降、有効に働いた政策はひとつもありません」と 断言したり、 品質管理のグルであるデミングを「完全に時代遅れ」だと ばっさり大胆になることもあった。 「それでもたまには、  踏み込みすぎることもあります。  たとえば、変化の激しい世界経済について語った  1997年のスピーチでは、  「今後10年以内に、カナダが分裂するのかどうか、  誰もが関心を持っています」と語っているのです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (はじめに)

■ドラッカーの講義■~マネジメント・経済・未来~

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おはようございます。 未明の川崎は、冷え込んでいます。 今日から早めの休暇で、高知に帰省します。 久しぶりの土佐の年越し、楽しんできます。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 本日から、 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (リック ワルツマン編集で2010/12/10発行) を読む。 本書は、1940~80年代にドラッカーが 大学等で行なった講義内容の編纂版で、 本書の他1990~2000年代の編纂版も発行されている。 冒頭で、ドラッカーの講義風景が味わい深く、 リアルに描かれる。 ・・・・・・・ ドラッカーは、大学の階段教室の机の端に ちょっと腰を落としながら、 メガネの厚いレンズを通して学生たちを見つめる。 学生の耳はドラッカーのバリトンのような声での 一言一言に釘付けになり、 オーストリアなまりのザッハトルテのような 濃厚な言葉が響く。 ドラッカーは、講義用ノートを見ることはなく、 ときおり話をやめて自分の考えをまとめる姿は、 まるで大量の情報をダウンロードするコンピューターさながらで、 元の話に戻ると、ダウンロードした情報を 見事に折り込みながら自説を展開していく。 その話は変幻自在で、原価会計から メソポタミア都市国家の話に脱線したかと思えば、 高等教育や医療の歴史などさまざまな話題が飛び出してきたが、 最後には上手にまとめ上げてしまう。 「それは魔術師も顔負けの見事さで、  ドラッカーの手にかかると、  支離滅裂な話も見事な作品に仕上がります。  その講義はどこまでも魅力とユーモアにあふれ、  ある学生に言わせると、  陽気なスタイルのおかげで、  「がらんとして殺風景な階段教室が心地よい空気に  満ちあふれた快適な居間に」変身する、  というわけです。」 ~P.F.ドラッカー 「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」 (はじめに)

■社会が組織の力に依存する■~マネジャーの姿勢、能力にかかる~

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おはようございます。 未明の川崎、冷え込んでいます。 今日はこの調子で、暗く寒い一日になりそうです。 暖かくしてお過ごし下さい。 今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 現代は、組織から成る組織の時代であり、 それらの組織のすべてが、 マネジャーに依存し、マネジャーによって 成果を上げているとした。 そして、そのマネジャーへの依存度は、 増大する一方だと続ける。 それは、 明日を見通し、 計画し、組織し、 資源を配賦し、目標を設定し、 成果を評価し、リードし、 マネジメントし、人を配置し、 やる気を起こさせ、育成する、という 社会の行方に関わることを知っている者こそ マネジャーだからだ、 と本書を結ぶ。 「これから来る乱気流の時代にあっては、  マネジャーへの期待は増大する一方です。  それらの期待が重圧となるか機会になるかは、  マネジャー自身、マネジャーの姿勢、  マネジャーの能力にかかっています。」 ~P.F.ドラッカー 「われわれはいかに働きどう生きるべきか」 (第8章 乱気流の時代を生きる)