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■普遍性をもつ教育ある人間■~相互の尊重へとまとめあげる者~

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おはようございます。 福井高浜原発の稼働さし止めの 司法判断が地裁で下された。 原子力規制委員会が定めた新基準は、 深刻な災害が万が一にも起こらないような 厳格な内容であるべきなのに、 緩やか過ぎて、住民らの人格権、 安全性は確保されないと結論づけた。 今後、政府をはじめ”原発村”の対応に注視したい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ ドラッカーは、教育ある人間が、 ポスト資本主義時代における 社会の代表であるとした。 ポスト資本主義社会、つまり知識社会が まさしく専門知識の社会であるがゆえに、 教育ある人間をその中心に据えざるをえないのだ。 また、様々な側面の グローバル化が加速する中で、 普遍的な存在として必要となる。 この教育ある人間は、 少なくとも現在に影響を与えるために、 自らの知識を役立たせる能力を もたなければならない。   「ポスト資本主義社会においては、  求心力が必要である。  諸々の独立した伝統を、  共有の価値への献身、卓越性の追求、  相互の尊重へとまとめあげる者が必要である。」 ~『プロフェッショナルの条件』 (Part5 自己実現への挑戦  2章’教育ある人間″が社会をつくる)

■ポスト資本主義時代■~知識が中心的資源となる時代~

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おはようございます。 昨日は春の嵐のような天気、 今日も天気の急変にお気を付けください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ ドラッカーは、教育ある人間が、 ポスト資本主義時代における 社会の代表であるとした。 その結果、教育がある ということの意味が変わり、 教育ある人間というものの定義が、 決定的に重要になる。 知識が中心的な資源になるに従い、 この教育ある人間が、新しい要求、 新しい課題、新しい責任に直面する。   「封建時代の騎士が  中世初期における社会の代表であり、   ブルジョワが資本主義時代における  社会の代表であったとするならば、   教育ある人間は、   知識が中心的な資源となるポスト資本主義時代における   社会の代表である。」 ~『プロフェッショナルの条件』 (Part5 自己実現への挑戦  2章’教育ある人間″が社会をつくる)

■転換後の社会■~時の彼方に隠れている。~

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おはようございます。 雲が多く、時折小雨の降る川崎の朝です。 台風8号、沖縄は暴雨風圏を抜けたとのことで、 これからは九州、四国ですね。 スピードが急に遅くなって、影響時間が長くなる恐れもあります。 気を付けましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ これまで人類が経験した転換は西洋のものであった。 しかし、今回の転換は、西洋の歴史も文明も存在しえないという、 根本的な変化である。 転換後の社会とはどういったものになるのか。 ドラッカーは、どのような新しい問題が出て、 どこに新しい大きな問題が存在するかについては、 ある程度知ることができるが、 その変化は誰の想像も超えたものになるとする。 確かにいえることは、これからの社会が、 資本主義社会でも、社会主義社会でもないことであり、 主たる資源が、知識であるということである。 つまりそれは、 組織が大きな役割を果たす社会であるということでもある。 「答えの多くは、いまだ時の彼方に隠れている。  価値、信条、社会構造、経済構造、政治構造、  さらにいえば世界観を含む現在の再編から生まれてくる世界は、  今日誰も想像できないものとなる。」 ~『プロフェッショナルの条件』   (1章 ポスト資本主義社会への転換)