■妥協可能な経済的利害■~「半分の子供」は子供ではない。~
おはようございます。 雲の多い川崎、 今朝も涼しい朝です。 台風の影響も出始めています。 お気を付け下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ ドラッカーは、この経済的利害には 妥協が可能であるとする。 このことは、経済的利害を 政治の基盤に据えることの強みだった。 ”半片のパンでもパンである” しかし、大義に関わる問題の場合は異なる。 「半分の子供」は死体であって 肉の塊である。 子供ではない。 ここに可能な妥協は存在しない。 今日、法律や政府活動を左右するロビイストは、 かつてそうであった、 経済的利害を代表するロビイストではない。 彼らは、自分たちの組織が、 道義的、精神的、文化的に 問題ありとみなす政策について、 推進あるいは反対のロビイングを行う。 それぞれの組織の持つ大義は、 それぞれにとって絶対である。 「パンを半分にすることは、 彼らにとって妥協ではない。 裏切りである。」 ~『イノベーターの条件』 (3章 20世紀の変化の本質は何か)