■利害ではなく、生活文化■~社会的、文化的価値~
おはようございます。 薄明りの空、寒い川崎の朝です。 今日も晴れ、一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ ドラッカーは、 これらの集団に独自性を与え、 統一行動をとらせたものは、 利害ではなく、生活文化だったとする。 それらは、経済的な結びつきというよりも、 社会的な結びつきであったといえる。 彼らは、むかし気質の労働者であったり、 田舎の農民であったり、 町の商店主だった。 それぞれが、自分たちの新聞を読み、 自分たちの教会に行き、 同じ地区に住んでいた。 そして、それぞれの価値観と ライフスタイルを持ち、 自分たちが何者かを意識していた。 それは、マルクス主義の言う 階級意識ではなかった。 マーク・ハナのビジョン以降、 誰も社会の他の階層や階級から 搾取されているとの意識はもっていなかった。 だが彼らは、他の階層とは違う人生を生き、 社会において、違う場所を占め、 違う役割を担っていることを自覚していた。 「マーク・ハナやルーズヴェルトは、 「利害」を合い言葉として使った。 二人がこの言葉によって意味したことは、 社会的な価値であり、 文化的な価値であり、生活文化だった。 二人ともこのことを承知していた。 量的な概念について話すことによって、 実際には、質的な概念について話していた。」 ~『イノベーターの条件』 (Part3 模索する政治 4章「利害による連合」の終わり) Amazonプライム・ビデオ