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■能力と価値観による限界■~価値観を変えることはできない。~

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ドラッカーは、企業のマネジメントが自らの企業を経営不振に 陥れることは、単なる無責任であるとした。 そして、さらに自らに能力のない仕事を引き受けることも、 無責任であるとする。 それは、相手に期待を持たせたあげく失望させるむごい行動である。 企業にはそれぞれ、能力と価値観による限界があるのだ。 企業は、自らが生み出す社会的影響についての責任を果たすうえで 必要な能力は、すべて身につけておかなければならない。 しかし、それ以外の社会的責任の分野においては、 自らの能力が限界となる。 企業にとって、技術や知識は容易に入手できるが、 自らの価値観を変えることはできない。 単に社会的な観点からだけで、自ら価値を感じていない活動のために 十分な資源を費やすことはない。 またそれらの問題について、その全貌を理解することは困難であり 多くの場合間違った結果を生み出す。 企業は、能力のない分野において、価値を見出し敬意を持てるわけはなく、 またそれに対応する能力を持つこともできないのだ。 なのでマネジメントは、”自らと自らの組織”にとって欠けている能力を 知らなければならないのだ。 「組織、特に企業は、自らが及ぼす社会的影響について責任を果たすうえで必要な能力は、  すべて身につけておかなければならない。  しかし、それ以外の社会的責任の分野においては、  行動の権利と義務は自らに固有の能力によって限定される。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 17 社会的責任の限界)     

■自らが社会に与える影響への責任■~高い代価を払わせる。~

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組織の社会的責任は、自らの活動から生まれるものと 社会の問題として生ずるもの、この二つの領域において生ずる。 そして、自らが社会に与える影響は、故意であろうとなかろうと、 組織にその責任がある。これが原則であるとする。 組織は、その影響を取り除き、問題を解決するために 責任ある行動をとらなければならない。 そうしなければ、社会からの報復を受けることになる。 ドラッカーは、一つの例として1940~50年代の アメリカの自動車会社フォードについて触れる。 フォードは車の安全性向上のためにシートベルトつきの車を売り出した。 しかし、販売不振のため、まもなく製造を中止した。 それから15年後、社会に安全意識が広がると、自動車メーカーは、 ”安全車という考えまで捨てた死の商人”との厳しい批判を受けるようになった。 その結果、市民保護を超えた、メーカーバッシングともいえる法律が多く作られることとなった。 責任放棄に対して、高い代価を支払わなければならない形となった。 「組織が社会に与える影響には、いかなる疑いの余地もなく、  その組織のマネジメントに責任がある。  世論が反対していないというだけでは言いわけにはならない。  遅かれ早かれ、社会は、そのような影響を社会の秩序に対する攻撃と見なす。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 16 社会的影響と社会の問題)