■個人の生命は無価値で無意味■~その絶望は全体主義に通ずる~
おはようございます。 薄雲の合間に明るい陽が差す 川崎の朝です。 西日本から、段々と下り坂の天候。 お気を付け下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ キルケゴールが、 100年前に明らかにしたように、 人間の実存を 社会における実存とする楽観主義は、 直接、絶望へと至る。 ドラッカーは、 その絶望は全体主義に 通ずるしかない、 とする。 なぜなら、全体主義は、 人生の無意味さと 個人の不在の確認に もとづくものだからである。 これが、かつての専制と 今日の全体主義の違いである。 こうして、全体主義の教義において 重要な意味をもつものは、 いかに生きるかではなく、 いかに死ぬかということになる。 その死を耐えられるものとするために、 個人の生命は無価値で 意味のないものとされる。 「事実、この世の生活がすべてである とする楽観主義は、 自己犠牲、すなわち人間が 意味ある実存たりうる唯一の行為として ナチスが賞賛した自己犠牲へと 直接つながっていった。 絶望が人生の本質となった。」 ~『イノベーターの条件』 (付章 もう一人のキルケゴールー人間の実存はいかにして可能か)