■二つの絶対、二つの定め■~破局は存在しない。~

おはようございます。

梅雨の合間の晴れというには、
真夏過ぎる天気ですね。

舛添さん報道、
財布を公私混同しセコイがめついという。

そこで、
給与減額、別荘売却で責任を
身を切って示したいという。

やはり、金か。。。

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∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬



時間におけるあらゆる進歩は、
永遠、不変、真理への進歩を意味するという
進歩への信奉において、
二つの絶対、二つの定めの対立などという
悲劇の入り込む余地、
破局の観念の入り込む余地はなかった。

19世紀においては、
悲劇は厄払いされ、
破局は無視された。

ドラッカーは、
その典型が、
ヒトラーの起こした罪を、
精神とは無縁の、適応の間違い、
取り扱いの問題として
説明しようとするここ数年の試みである、
とする。

あるいは、シェイクスピアの
『アントニーとクレオパトラ』
に対するものとしての
ギュスターブ・フロペールの
『ボヴァリー夫人』である。

そこでは、悲劇たるエロスも
セックスとなる。
解決不能な悲劇ではなく、
心理、生理、情欲の問題へと変えられる。

さらに、
共産主義のナチズムについての解釈、
「プロレタリアートの必然的勝利への必然的段階」
を見ればよい。


「ここでわれわれは、

 いかに邪悪なものであろうとも、

 時間において起こるものは

 すべてよしとする教義の純粋型を

 見ることができる。

 破局や悲劇は存在しない。」


~『イノベーターの条件』
(付章 もう一人のキルケゴールー人間の実存はいかにして可能か)







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