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■ 唯一普遍の問いかけ ■~目的は何で、何をすべきか?~

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おはようございます。 薄曇りの川崎の朝、日中は夏日になるとのこと、 暑さ対策お気を付け下さい。 スマホ、夏向け新商品が発表されている。 ここでも大きなターゲットは、シニア層。 ガラケーにやっと慣れたシニア層にとって、 新しい操作を覚えることの障壁は高い。 そこで、各メーカーは、操作に慣れている ガラケーに似た画面や操作方法にすることにより ニーズを捉えようとしている。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、組織のマネジメントにとって必要な問いかけは、 『目的は何で、その達成のために何をすべきか?』であるとする。 そしてこれは、あらゆる職業、組織に普遍的なものである。 もちろん職業や組織が変われば具体的な答えは異なる。 しかし、それぞれ目的を持ち、その達成のためには 何らかの活動を行わなければならないことには変わりはない。 目的を明らかにし、そのための戦略を策定し、 具体的な活動とその優先順位をつける。 ドラッカーは、このことを明確に理解することが、 マネジメントの基本であるとする。 「組織や職業の違いによって変化するのは、その答えだけ --何を目指しているのか、そのために何から手をつけるのか、 そのことの理解なしに、経営はただの一歩も歩みを 進めることはできません。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーの遺言」 (第5章 経営とは?リーダーとは?)     

■生き方は教えられない。■~個人のイノベーション~

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おはようございます。 小雨の降る川崎の朝です。 日本原電が、敦賀原発直下に活断層があるとの結論を出した 原子力規制委員会委員の個人あてに抗議文を送った。 活断層を認めれば廃炉となり、同社の経営は悪化することへの恐れからである。 原子力規制委員会は行政機関である。 その構成メンバー個人あてへの抗議というのは、おかしい。 原電はこれまでも、このような圧力を普通として行い、抑え込んできたのだろう。 こういう体質が、日本の原発問題の本質を示している。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 今我々は、変化の時代に生きているとした。 では、その変化の時代をどう生きるべきか? ドラッカーは、「生き方は教えられない」とする。 大事なことは、個人個人のイノベーション。 自分自身の強みを見つけ、その強みをさらに向上させるために必要な 新しい知識を探す。 そしてそれを組織の成果に結びつける。 そこに止まらず、さらに向上を目指す。 時代の変化に対応するために、個人個人が、 自分自身の強み向上のサイクルを 回し続けなければならないんでしょう。 「先に紹介したように、知識労働が中核をなす「知識社会」の伸展に伴って、  私たち一人一人に強く要求されるようになってきたことがあります。  それがーー、個人のイノベーションです。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーの遺言」 (第6章 個人のイノベーション)     

■ 「現実の変化」の二つの特徴 ■~変化を機会と見る~

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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、社会の変化について、問題重視型の思考では、 今起こっていることが”変化”であることに気づくことができないとする。 未経験の事象は、その影響もスピードも予測が難しく、 現状を乱す”問題”と捉えてしまう。 さらにその問題は”回避すべき危機”として認識される。 未経験の事象が起こっているということは、 変化が起こっているということである。 その変化の特徴のひとつは、前回とは違う結果を生むこと、 もう一つは予想より早く起こること。 ドラッカーは、この特徴を理解することにより、問題を変化と捉え、 その変化に対応することを事業のチャンスと捉える事が可能となるとする。 「現実における変化には、二つの特徴があります。  前回とは決して同じにならないこと。  そして、机上で考える変化より先に現れること、です。  このことを理解しなければ、変化を危機と見誤ってしまうでしょう。  日本に起こっていることは危機ではありません。  --日本に起こっているのは、変化なのです。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーの遺言」 (第4章 日本が進むべき道)     

■学ぶことは自己責任■~真の意味での「生涯教育」~

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おはようございます。 雲が薄く浮かぶ中で、明るさを増してきた曇りの川崎の朝です。 橋下大阪市長の従軍慰安婦発言がマスコミの中ではヒートアップしている。 発言の真実は、本人とその時点に居合わせた人しか知らないので、 誰が正しいか、なにが間違っているのかはわからない。 しかし多くの視聴者は、マスコミの意図した報道内容により 真実を理解したように思ってしまう。 コミュニケーションギャップと言えばそのとおりだが、 そのギャップを感じさせないプロの技に騙されないようにするためには、 まずはこのギャップが存在する、ということを認識する必要があると思う。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 自然環境、政治体制、経済構造は常に揺れ動き、 その中で社会は様々な問題を抱えることになる。 そしてその問題は、新たなニーズを生み、 そのニーズに応じて技術は刷新され、改善され 新しいトレンドが生まれ、文化が変わる。 そのような環境の中で、市場や消費者の持つ満足は 常に変化し続ける。 その変化に対応することは、企業とそこで働く人々の責任にある。 この責任の元で、企業や個人は今必要なもの、 新しい満足を生みだす知識や技術を作り出さなければならない。 そのためには、一人ひとりが新しいスキルを持たなければならない。 しかも社会の変化が永続的であるように、個人の持つべきスキルも永続的に更新させなければならない。 ドラッカーは、これが真の意味での「生涯教育」であるとする。 そしてさらに、この生涯にわたる継続的学習は個人の選択オプションではなく、 自らが成果を上げる上で不可欠な事実であること、 自己責任であるということを一人ひとりが強く認識しなければならないとする。 「いま何を捨て、何を選択し、自己を高めるために何を学ぶべきか」 「知識社会において成果を挙げ得る人間であり続けるためには、  スキルを更新する教育を何度も何度も繰り返し受けることが必要となります。  真の意味での「生涯教育」であり、つねに教育に立ち返るこの姿勢こそが、  個人のイノベーションを促進してくれます。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーの遺言」 (第6章 個人のイノベ

■ チャンスに目を凝らせ ■~「機会重視型」発想を持て~

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おはようございます。 淡い日差しの川崎の朝、今日は雨の心配はない模様です。 週末、ビアガーデンなどにはうってつけの夕刻になりそうです。 日比谷公園でビアフェスタが始まる、天気もいいし、行ってみよう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 東日本大震災後、国内の精密機器や化学薬品メーカーなどが、放射線検知機器や除染剤の開発に力を入れた。 これは放射能汚染という社会的問題の克服にむけた企業の主体的な活動である。 これらのメーカーにとって、この状況は自らが生み出したものではない。 原発が直接的に作り出した社会的影響である。 ドラッカーは、社会機関としての企業は自らが生み出した問題のみならず、 ”社会の問題”を自らの問題として取り組まなければならないとする。 これらのメーカーは”社会の問題”に取り組むことにより、 社会貢献を果たすと共に、この“問題”を事業機会とみなした結果だ。 ドラッカーは、日本人のものの考え方において大きなリスクとなり得る点を 次のとおり指摘する。 「あなたたちの多くが「問題重視型」の思考様式に囚われていて、 「機会重視型」の発想を持っていないことを危惧しています。 問題を放置することは許されませんが、 問題のみに目を向ける姿勢は、過去の悪しき慣習を復活させる行為と 等しいことを理解しておいてください。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーの遺言」 (第4章 日本が進むべき道)     

■ 「生まれついての能力」を信じない ■~”カリスマ”は迷信~

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おはようございます。 うす曇りの川崎の朝、今日は突然のひと雨がありそうですよ。 気をつけましょう。 原子力規制委員会は、福井県の高速増殖原型炉「もんじゅ」の ずさんな管理体制の指摘に続いて、 敦賀原発の地盤が活断層との結論を出した。 この委員会は国策優先、企業寄りの姿勢ではなく、 独立性を保ち客観的に評価・指摘しているように見える。 しかし、この組織は最終的な決定権、命令権は持っていない。 国策として推し進められた原発事業についての、 意思決定には大きなプレッシャーが伴う。 だれも失策の責任は負いたくない、誰が意思決定を行うのだろうか? 誰が行えるのだろうか? ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ マネジメントはそこに働く人たちを組織し、 各メンバーに適切な役割を割り振り、 士気を上げて、一人ひとりを成果を出させる。 そのために、マネジメントは、働く人たちの能力を伸ばすと共に、 より成果をあげるための環境を作り出す必要がある。 個人が成果を出すための能力は、組織の責任として考えるべきで、 個人の天性として捉えてはいけない。 普通の人間をいかに活かすか、ここにマネジメントの責任があるんですね。 「『生まれついての能力』というものを信じません。  偉大なリーダー、カリスマ、スーパー経営者・・・、  さまざまな呼称がもてはやされてきましたが、  すべて危険で馬鹿げた考えです。  ”不世出の存在”など迷信であり、少なくとも私は賛成しかねます。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーの遺言」 (第5章 経営とは?リーダーとは?)     

■社会的機関としての組織■~成果と仕事に関わること全て~

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おはようございます。 うす曇りの川崎の朝、暑い一日になりそうです。 好きな作家の一人である小池真理子の「恋」がTVドラマ化されるらしい。 1995年直木賞作品だ。 かなりセンセーショナルな内容だったような気がする。 秋まで待とう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ 昨年5月11日から『マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則』 第一ページから日記を開始し,今日やっと最終ページにたどり着きました。 ちょうど1年です。 明日からは、しばらくの間、「ドラッカーの遺言 」からチョイスしてご紹介していきたい。 準備でき次第「 創造する経営 者」にチャレンジします。 ------------------------ マネジメントのパラダイムは変わった。 なにが変わったのか? 社会や経済、コミュニティの中心が、 技術や情報、生産性から”組織”に変わったのだ。 組織とは、その活動が成果をあげ、 社会に何らかの貢献をするために存在する社会的機関である。 そして、この組織に成果をあげさせるための 道具、機能、機関がマネジメントである。 そして、ドラッカーはさらに、マネジメントが責任を負うものは、 成果と仕事に関わることすべてであるとする。 「今日の社会、経済、コミュニティの中心は、  技術でも、情報でも、生産性でもないということである。  それは、成果をあげるための社会的機関としての組織である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (附章 マネジメントのパラダイムが変わった)     

■成果は組織の外部にある。■~マネジメントと起業家精神はコインの裏表~

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曇天の川崎の朝、一週間の始まりです。 中国では「男の膝下には黄金がある。」ということわざがある。 また「神や親、年配の親戚など以外には、決してひざまずいてはいけない。」ともある。 自らの非が明らかでも、反省や謝罪をしてはいけないとの教えである。 ごめんなさいを言うと、損すると思うのだ。。。。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ マネジメントのパラダイムの前提には二組ある。 ▲事業経営上の前提 最後  マネジメントの世界は組織の内部にあるか ドラッカーは、マネジメントが組織の内部に焦点を合わせることは、 そもそも組織の本質と機能に反するとする。 組織の内部には、コストしか発生しない。 成果は組織の外部、つまり市場、顧客からしか生まれず、 その市場、顧客は企業の意図に係らず変化する。 企業はこの変化を当然とし、自ら変化を生み出さなければならない。 この変化への対応姿勢こそ、起業家精神である。 このためにマネジメントが取り組むべき仕事は、 成果を明確にし、それを実現するための資源を組織すること。 ドラッカーは、マネジメントの役割は成果をあげることだが、 これはもっとも難しく、もっとも重要な仕事で、マネジメントに 特有の機能であるとする。 「マネジメントを知らない起業家が  成功し続けることはありえない。  イノベーションを知らない経営陣が  永続することもありえない。  企業にせよ他のいかなる組織にせよ、  変化を当然とし、自ら変化を生み出さなければならない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (附章 マネジメントのパラダイムが変わった)     

■国は厄介の種にすぎない。■~経済の実体に規定される。~

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おはようございます。 明るい川崎の朝、今日は暑くなりそうです。 中国での食品偽装がひどい。 単に量をごまかすとか、質をいくらか落とすレベルではく、 利益になれば害毒であろうが使う。 中国では、この食品偽装は、死刑につながる。 しかし、死刑になっても、貧しさはいや。 高度な格差社会の中国、カネの前に「拝金主義」がある。 市場はグローバルである、日本も危ない。 アメリカでは早くから、"China Free"(中国製材料を使っていない)がアピールされている。 国民の命にかかわる、チャイナ・リスクの一例、一人ひとりが気をつけましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ マネジメントのパラダイムの前提には二組ある。 ▲事業経営上の前提 その③   マネジメントの対象は国内にかぎられる。 かって、国の経済と政治の現実は一致し、企業はその中で活動していた。 しかし現在、企業はグローバ経済の下で活動する。 国という単位が、企業にとって戦略上も生産活動上も、 経済の単位ではなくなってきている。                     その中で、国境、国内法の規制等が企業にとって、 厄介の種にすぎなくなったと言える。  故に、マネジメントの対象も国境は一致しなくなった。 ドラッカーは、もはやマネジメントの対象を、 政治的に規定することはできないとする。 「今後前提とすべきは、  国境は制約条件にすぎないということである。  現実のマネジメントを規定するのは、  政治ではなく経済の実体である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (附章 マネジメントのパラダイムが変わった)