■自由と平等の追求■~不逞な石工の妄想~
おはようございます。 昨日とは一変、 梅雨らしい曇り空の川崎の朝です。 韓国でのMARSが収まらない。 感染が疑われ入国した人が6人いたが、 潜伏期間の2週間経過し、 発症がなかったとのことである。 この時代、ウイルスを 完全に国境で防ぐことはできない。 一人ひとりが自己防衛を 考えなければならないんでしょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ 自由と平等の追求 ヨーロッパにおいて 自由と平等は、 二つの基本概念である。 200年にわたって、 キリスト教の秩序からスタートし、 自由と平等を目的とし、 その実現を正統性の根拠としてきた。 ヨーロッパの歴史は、 この2つの概念を 現実の社会に実現しようと企てる歴史だった。 この企ては、 初めは宗教的な領域で求められた。 それは、あの世ではあらゆる人間が平等であり、 あの世の運命は、 準備段階であるこの世における行動と思考によって 自由に選択できるという信条であった。 これは、単に大衆を慰める手段に すぎなかったかもしれないが、 当時の人たちにとっては、 その約束は現実のものだった。 「教会の扉に法皇や司教、 王たちの堕獄を描いた「最後の審判」の図は、 不逞な石工の妄想ではなく、 自由と平等を精神の領域で実現しようとした 当時の真理の表現だった。」 ~『イノベーターの条件』 (2章 経済至上主義は人を幸せにするか)