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■能力と価値観による限界■~価値観を変えることはできない。~

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ドラッカーは、企業のマネジメントが自らの企業を経営不振に 陥れることは、単なる無責任であるとした。 そして、さらに自らに能力のない仕事を引き受けることも、 無責任であるとする。 それは、相手に期待を持たせたあげく失望させるむごい行動である。 企業にはそれぞれ、能力と価値観による限界があるのだ。 企業は、自らが生み出す社会的影響についての責任を果たすうえで 必要な能力は、すべて身につけておかなければならない。 しかし、それ以外の社会的責任の分野においては、 自らの能力が限界となる。 企業にとって、技術や知識は容易に入手できるが、 自らの価値観を変えることはできない。 単に社会的な観点からだけで、自ら価値を感じていない活動のために 十分な資源を費やすことはない。 またそれらの問題について、その全貌を理解することは困難であり 多くの場合間違った結果を生み出す。 企業は、能力のない分野において、価値を見出し敬意を持てるわけはなく、 またそれに対応する能力を持つこともできないのだ。 なのでマネジメントは、”自らと自らの組織”にとって欠けている能力を 知らなければならないのだ。 「組織、特に企業は、自らが及ぼす社会的影響について責任を果たすうえで必要な能力は、  すべて身につけておかなければならない。  しかし、それ以外の社会的責任の分野においては、  行動の権利と義務は自らに固有の能力によって限定される。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 17 社会的責任の限界)     

■マネジメントは召し使いである。■~企業に特有の使命を果たす~

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ドラッカーは、マネジメントにとって最大の役割は、 企業を機能させ、その目的とする貢献を果たさせることとする。 マネジメントがいかに社会の問題について対応できたとしても、 自らの企業を不振に陥れたのでは、単なる無責任である。 企業は社会の機能の一部であるので、それぞれが特有の使命を 果たすことは、社会にとって必要なことなのだ。 社会のしくみの構成要素である個々の企業が、 それぞれ特有の機能を遂行することができなければ 社会全体の機能が損なわれることとなる。 社会的損失である。 ドラッカーは、どのような組織でも、本来の機能の遂行という 最大の責任を果たさないならば、他のいかなる責任も果たせないと 指摘する。 「マネジメントは召し使いである。  主人は、彼らがマネジメントする組織である。  したがって、マネジメントにとって最大の役割は、  自らの組織に対するものである。  すなわち企業、病院、学校、大学の別を問わず、  組織を機能させ、その目的とする貢献を果たさせることである。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (第4章 社会的責任 17 社会的責任の限界) marginheight="0" frameborder="0"> height="60" scrolling="no" border="0" marginwidth="0" style="border:none;" frameborder="0"> <a HREF="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?rt=ss_mfw&ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822%</p> <p>&