■時間と永遠の妥協■~道徳を信仰と混同するとき~

おはようございます。

今朝もどんよりととした
梅雨空の川崎です。

九州地方は今日も
強い雨の虞があります。
お気を付け下さい。

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∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬



しかし、少なくとも人民委員や
行者としての生き方は正直である。
自らの破綻を率直に認めた結果である。

しかし、この問題を
回避しようとする政党や運動は、
行動の基盤として、信仰ではなく
道徳と善意を据えたままでいる。

それらの行動は、善良な人たちによって、
いかに誠実かつ熱心に実践されたとしても、
政治においては行者と同じように無力であって、
精神の世界においては
人民委員のように失敗が運命づけられている。

なぜならば、それらの行動は、
時間における生活と永遠における生活を
妥協させているからである。
 


 
「1930年代に、ヒトラーを評して

 「彼は、少なくとも混浴に反対している」と論じた

 オーストリアのカトリック政党の聖職者幹部こそ、

 政治におけるキリスト教道徳主義の

 恐るべき象徴である。

 しかしこれも、道徳を信仰と混同するとき

 必然となる何ものかを示しているにすぎない。」


~『イノベーターの条件』
(付章 もう一人のキルケゴールー人間の実存はいかにして可能か)










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