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■経営科学とは分析の道具■~問題に対する洞察~

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経営科学について触れてきたが、最後にドラッカーは、 マネジャーの経営科学に対する役割について触れている。 そもそも経営科学とは分析の道具であるので、 その使用者であるマネジャーは、その道具がよくできてさえいれば、 道具の仕組みなど知る必要はないし、かえって知ってはならないとする。 しかし、マネジャーは、経営科学とは何であり、何をなしうるかは 理解しておかなければならない。 そのためには、経営科学に対して次の四つのことを要求しなければ ならないとする。 ◆仮定を検証することができること ◆正しい問題を明らかにすること ◆答えではなく 代 替案 を示すこと ◆問題に対する公式ではなく理解に焦点を合わせること  「経営科学の目的は、あくまでも診断を助けることにある。  経営科学は、万能薬でないことはもちろん、処方箋でもない。  それは、問題に対する洞察でなければならない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (6章 マネジメントの技能  30 経営科学)     

■”リスクの最小化”は誤り■~進歩とは、リスクを負う能力の増大~

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ドラッカーは、経営科学のもう一つの鍵は、”リスク”にあるとする。 まず、”リスクをなくそう”とか”最小にしよう”などの試みは誤りであるとする。 そこには、リスクは”非合理的で避けるべきもの”とする考えがあるからだ。 この考えからは、リスクを取らない、リスクのない道を探すといったことしか 導き出されない。 そこにあるのは、”無為のリスク”、”硬直化のリスク”という最大のリスクである。 なにもできなくなる。 必要なことは、正しい種類のリスクを冒せるようにすること。 どんなリスクがあり、リスクを冒したとき何が起こるかを明らかにすることである。 また、よく言われる”リスクの最小化”という言葉には、リスクを冒したり、 リスクを作り出すこと、つまり企業という存在そのものに対する非難の響きがある。 これは、経済活動を、責任を伴う自由裁量の世界として見ておらず、 間違っているというより、最悪というべきであるとする。 「企業活動からリスクをなくそうとしても無駄である。 現在の資源を未来の期待に投入することには、必然的にリスクが伴う。 まさに経済的な進歩とは、リスクを負う能力の増大であると定義できる。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (6章 マネジメントの技能 30 経営科学)     

■自らが持つイノベーション能力■~変化は後戻りしない~

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ドラッカーは、経営科学の”公準”には、 企業の持つ5つの事実が含まれなければならないとする。 5点目 ◆企業は、進化と革新の能力を持つ。 ”企業の内外では、後戻りのできない変化が常に起こっている。” 社会や個人の抱える問題や不満や、より良いものへの欲求は 常に移り変わる。 また、企業は、市場や競合、社内の強みや弱みなどの変化や、 経済、自然、政治等々の外部変化から影響を受ける。 そして一旦変化した状況は元に戻すことはできない。 企業は、その新しい状況に適合し、問題や不満に 対応しなければならない。 しかし、大事なことは、その状況の中に、 自社の強みを発揮できる領域を見つけ出し、 自らが変化を作り出すというイノベーション能力なのだ。 「企業は、産業社会における変化の主体でもある。 新しい状況に適合する進化の能力を持つと同時に、 周囲の状況に変化をもたらす革新の能力を持つ。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (6章 マネジメントの技能  30 経営科学)     

■未来への資源投入■~リスクを冒すことは基本的機能~

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ドラッカーは、経営科学の”公準”には、 企業の持つ5つの事実が含まれなければならないとする。 4点目 ◆企業は、リスクを冒すことが基本的機能 企業の目的は、顧客や市場の”満足”を作り上げること、 つまり”顧客の創造”である。 しかし、顧客はすぐに飽きる、瞬く間に”満足”は”不満足”に変わる。 そこで、企業は顧客の期待を捉え新たな満足を作り出すべく活動するが、 なにが”満足”であるかは明らかではない。 その明らかでない”満足”へのチャレンジにはリスクが伴うが、 そこにしか”顧客の創造”は存在しない。 「経済的な活動とは、現在の資源を不確かな未来に投入することである。 事実ではなく期待に役人することである。 企業にとって、リスクは本源的なものであり、 リスクを冒すことこそ基本的な機能である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (6章 マネジメントの技能 30 経営科学)     

■驚くほど具体的な尺度■~企業は、コストセンター~

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ドラッカーは、経営科学の”公準”には、 企業の持つ5つの事実が含まれなければならないとする。 3点目 ◆企業は、コストセンターである。 ”企業は測定の尺度として金を使う。” 企業の内部では、経済活動として、生産、管理、雇用など 様々の活動を行うが、それらはす全て経費を支出するのみの コスト活動である。 つまり、企業は”コストセンター”である。 一方、企業の外部つまり市場では、企業が生み出した製品やサービスを 顧客が満足すれば、手に取り購入され、企業に”金”という利益を もたらすこととなる。 これにより、企業活動の結果が顧客に受け入れらたれこととなり、 ”顧客が満足する”、”企業が貢献する”という抽象的なものを 満たしたこととなるのだ。 この利益としての”金”が、企業活動の有効性を測る具体的な 尺度なのである。 「企業は測定の尺度として特有のシンボル、すなわち金を使う。 それは抽象的であるとともに、驚くほど具体的な尺度である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (6章 マネジメントの技能  30 経営科学)     

■人が価値ありと認めるもの■~見事な設計も廃物にすぎない~

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ドラッカーは、経営科学の”公準”には、 企業の持つ5つの事実が含まれなければならない。 その2点目 ◆企業は、価値を生み出す存在 ”企業は、単に物や考えを生み出す存在ではない。” IT企業はITシステムを、医者は医療を、宝石屋は宝石を、 家電メーカーは電気製品を、、作り出しているわけではない。 それらが作り出したものが、顧客や社会に役立ち、そこに 何らかの価値を認められなければならない。 「人が価値ありと認めるものを生み出す存在である。 見事に設計した機械といえども、顧客の役に立たなければ廃物である。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (6章 マネジメントの技能  30 経営科学)     

■企業は、社会の下僕にすぎない。■~生態システムの一員~

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ドラッカーは、経営科学が意義ある成果をあげるためには、 あるべき姿である”公準”を確定することが必要で、 そこには、企業の持つ5つの事実が含まれなければならないとする。 1点目 ◆企業とは、社会的、経済的な生態システムの一員である。 企業とは、その活動により、社会に何らかの貢献を行うことで、 社会から認められ、生き残ることができる。 同時に企業はいかに小規模な活動であっても、 その活動は、社会活動の一部として機能し、 社会や経済に直接の影響を与えることとなるのだ。 「企業は、最強最大のものであってさえ、 社会や経済の力によって容易に消滅させられる存在である。 それは、社会の下僕にすぎない。」 ~P.F.ドラッカー「マネジメント」 (6章 マネジメントの技能  30 経営科学)