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■ユダヤ倫理に反する言動■~高額診療代で効果は上がる~

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おはようございます。 どんより曇り空の川崎の朝です。 西日本は梅雨明け、 関東地方は来週でしょう。 今日はまだ梅雨、 雨具は忘れずに。 金曜日、今日も一日健やかにお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 フロイトがユダヤ人であることが、 開業医としての仕事でも、 地位の面でも、 医学界での認知の面でも、 何の障害にもなっていなかった、 とした。 それどころか、 ウィーンの医学界がフロイトを拒否したのは、 まさに医学界そのものが、 あまりにユダヤ的だったからだ、 と続ける。 ドラッカーは、 やがて、精神分析の支持者さえ 公然と口にするようになったフロイト批判は、 彼の医者としての反ユダヤ性にあった、 とする。 「困窮者への無料診療を  行なわなかっただけでなく、  高額の診療代を払わせてこそ  治療効果は上がると説いていた。  これこそ、ウィーンの医師の多くが  拠り所にしていたユダヤ倫理に  反する言動だった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 4章フロイトの錯誤とその壮大な試み)

■医者の六割がユダヤ人■~何の障害もなかった~

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おはようございます。 曇り空、今にも雨が降りそうな 川崎の朝です。 東京地方の梅雨明けは どうも来週になりそうですね。 雨具はお忘れなく。 木曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 フロイトは、 人種による差別を 受けていたわけではなかった、 とした。 そして、一九世紀末には、 ウィーンでも商人や職人の間では 反ユダヤ主義の風潮が出てきていたが、 宮廷、政府機関、教養人、 そして何よりも医学界では、 反ユダヤ的な言動は 顔をしかめられるだけのものだった、 と続ける。 しかも、フロイトが活躍を始めた 1880年から1900年頃は、 ウィーンの医学界は、 ユダヤ教徒ではないにしても ユダヤ人の血を引く者が過半を占めており、 フロイトがウィーンで開業した1881年には、 ウィーンの医者の六割がユダヤ人だった、 とする。 さらに、1900年には ウィーン大学医学部の医局長の 過半がユダヤ人であり、 軍医総監、皇帝侍医、 皇族産科医もすべてユダヤ人だった。 「繰り返すならば、  フロイトが神経科の教授になれなかったのは  反ユダヤ主義のせいではなかった。  ユダヤ人であることは、  開業医としての仕事の面でも、  地位の面でも、  医学界での認知の面でも、  何の障害にもなっていなかった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 4章フロイトの錯誤とその壮大な試み)

■人種による差別■~反ユダヤ主義~

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おはようございます。 曇り空、今にも雨が降りそうな 川崎の朝です。 沖縄、九州南部で梅雨明け、 いずれも例年より遅い発表。 東京方面は来週になりそうですね。 水曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 フロイトは貧困ではなかった、 とした。 そして、人種による差別もなかった、 と続ける。 フロイトは、ウィーン大学神経科教授の ポストを最初に打診されたときに、 正教授ではなく特別教授を内示されたのは 人種による差別であると言ったが、 事実は、ウィーン大学の正教授職の ポストは法律で定められ、 その変更には議会による 立法措置が必要だったというに すぎなかったのだ。 正教授のポストは、 大学病院の伝統的な診療科目、 内科、外科、産婦人科の 三つの科にしかなく、 他の科目は皆、特別教授であり、 しかも、誰でも一両年後には、 正教授の肩書を 与えられることになっていた。 「フロイトにしても、  大学の申し出を断りさえしなければ  その地位を得たのであり、  反ユダヤ主義のゆえに  正教授職を与えられなかった  わけではなかった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 4章フロイトの錯誤とその壮大な試み)

■神経症医師として繁盛■~「教授」は打ち出の小槌~

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おはようございます。 曇り空、湿気が多く 蒸し暑い川崎の朝です。 今日も雨が降ったりやんだり、 気温は30度近くまで上がり、 蒸し暑い一日になりそうです。 雨具、マスク、水補給をお忘れなく。 火曜日、今日も一日健やかにお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 フロイトは裕福であり、 馬車を所有するほどの 金持ちではなかったが、 温泉で保養するときには、 馬車を借りていた、 とした。 そして、おまけに、 開業後患者に困ったことはなく、 神経症の医師として繁盛し、 ウィーンの医学界でも 若いうちから認められていた、 と続ける。 オーストリアでは、 医師にとって「教授」の肩書は 打ち出の小槌で、 ただちに診療代を三倍、四倍に することができたが、 一般的にこの肩書は、50代も 終わり近くにならなければ もらえることはできなかった。 「公立病院や困窮者の診療に  時間を取られることに対する  いわば所得補償として、  大病院の医局長クラスにだけ  与えられる肩書だった。  ところがフロイトは、  公立病院で働かず、  開業医として有料患者しか  診ていなかったにもかかわらず、  四〇代でこの肩書を得ていた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 4章フロイトの錯誤とその壮大な試み)

■フロイトは裕福だった■~ロスチャイルド・リッチ~

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おはようございます。 曇り空、朝から蒸し暑い川崎です。 今日は時々雨、 気温は30度近くになり 蒸し暑い一日になりそうです。 雨、熱中症、感染予防にお気を付けください。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 フロイトについて、 貧困、差別、無視という 三つの誤解が広がっていた、 とした。 そして、彼は貧困ではなく、 裕福であったとする。 フロイトの生家は、 オーストリアで言うところの ロスチャイルド・リッチ、 すなわち大富豪ではなかったが、 中流でも豊かな層に属し、 数人の使用人、週に一度の洗濯婦、 月に一度の縫い子、温泉地での夏休み、 ウィーンの森での日曜の散歩、 子供はギムナジウム、 本と音楽を楽しみ、 週に一度はオペラと演劇、 という生活だった。 そして、ドラッカーの父が 事務次官をしていた貿易省の委託で、 貨物運賃についての資料を まとめたことのある フロイトの弟アレクサンダーは、 兄が生家の貧しさを言い募ることは、 恵まれた生活をさせてくれた 亡父への侮辱だと怒っていた、 と続ける。 「兄弟は全員大学へ行かせてもらっていた。  彼に至っては、医学部卒業の後、  四年近くもパリへ留学させてもらっていた。  たしかに馬と馬車を所有するほどの  金持ちではなかった。  しかし、バーデンやヴェスラウの温泉で保養するときには、  馬車を借りていた。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 4章フロイトの錯誤とその壮大な試み)

■フロイト的錯誤■~トラウマの病理現象~

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おはようございます。 小雨の降る川崎の朝です。 今日は雨が降ったりやんだり、 気温は30度。 蒸し暑い一日になりそうです。 健やかな休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、フロイトの 貧困、差別、無視という 三つの想像の産物については、 知りつつ嘘をついたということは ありえなかった、 とした。 しかし、この想像の産物が 事実でないことをまったく 知らなかったということは ありえなかった、 と続ける。 ドラッカーは、それらのことは、 当時のウィーンでは フロイトの脅迫観念として有名であり、 答えは、彼自身の理論にいう フロイト的錯誤以外にありえなかった、 とする。 「それらの嘘は、  自らに厳しいフロイトさえ  直視することのできなかった  トラウマの病理現象だった。  そして、フロイト的錯誤を  軽視してならないことは、  フロイト自身の説くところでもあった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 4章フロイトの錯誤とその壮大な試み)

■欠くべからざる思い違い■~不満と自己憐憫を嫌う~

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おはようございます。 朝から小雨の降る川崎です。 今日は時々雨、涼しい一日になりそうです。 良い週末をお過ごしください。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、フロイトの 境遇についての三つの間違いは、 彼の理論とは関係のないことであるが、 それらの間違いは、 フロイト自身がつくり上げ広めたものだった、 とした。 そして、彼はそうすることによって、 自らの不安を取り除くことができたのであり、 つまるところそれらの思い違いは、 彼にとって欠くべからざるものだった、 と続ける。 それはなぜか。 ドラッカーは、 フロイトは、不満と自己憐憫を嫌い、 自ら心身の苦痛に耐える力を持っており、 いかなる悩みにも強かった、 とする。 「しかし彼自身の  貧困、差別、無視という  三つの想像の産物については、  愚痴ばかりだった。  フロイトはあらゆることに率直だった。  自己分析も冷徹だった。  自己満足を許さなかった。  したがって、知りつつ嘘をついたということは  ありえなかった。」 ~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」 (Ⅰ 失われた世界 4章フロイトの錯誤とその壮大な試み)