■知識社会における「教育ある者」とは(3)■~道徳教育自体が非道徳的~
おはようございます。
どんよりと曇った蒸し暑い高知の朝です。
これから、
雨が降ったり曇ったりの一日になりそうです。
金曜日、今日もよろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
~『新しい現実』から
ドラッカーが、
学校に対して行う二つの要求、
その二。
知識が中心の社会では、
知識ある者が
リーダー役を務めることとなるが、
ということは、
リーダー役を務める者には、
知性と、価値観と、道徳観が
要求されるということ。
上田さんは、
今日、道徳教育は人気がないが、
それは、これまであまりにしばしば、
思考や言論を抑圧するために濫用され、
権威への盲従を教えるために
使われてきたせいであるとする。
「つまり、道徳教育自体が非道徳的だった。
しかしこのままでは、
若者は間違った価値観を持つことになる。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』Ⅴ 変化を捉える 4 経済と教育のあるべき姿を探る)
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