■知識社会における「教育ある者」とは(2)■~デカルトの「方法序説」~
おはようございます。
むし暑い高知の朝です。
雲の多い一日になりそうですが、
30度をける蒸し暑い一日になりそうです。
木曜日、今日もよろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
~『新しい現実』から
ドラッカーは、
学校に対する社会の要求は、
経済からの要求よりも
さらに厳しいものとなる、
とした。
そして、
学校に対して
二つの要求を行う。
第一に、
肉体ではなく知識が中心の
社会となったからには、
知識の変化が急であり、
与える知識の更新を
図っていかなければ、
急速に時代遅れとなる、
ということ。
しかし、
いかなる学校といえども、
必要とされる
すべての新しい知識を
与えることは不可能であり、
そこで必要となるのが、
学習の方法を教えることである。
「方法論、自己啓発、ハウツーを
ばかにしてはならない。
近代合理主義はデカルトの
「方法序説」から始まった。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』Ⅴ 変化を捉える 4 経済と教育のあるべき姿を探る)
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