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■第8章 政治の変容 (2)■~世俗の信仰への恐れ~

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 おはようございます。 薄曇りの高知の朝です。 日中は曇り空、 夜には一雨ありそうです。 夏日にはならないみたいで、 過ごし易いようです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ~『ポスト資本主義社会』 ドラッカーは、 モダン前の最後の哲学者、 ゴットフリート・ライプニッツは、 キリスト教世界の再統一という 不毛の試みに、 人生のほとんどを費やしたとする。 彼は、 超自然の存在である 神に対する共通の信仰が 存在しなければ、 世俗の信仰が 台頭するであろうことを恐れた。 「ライプニッツは、  世俗の信仰は、  その本質からして虐政たらざるをえず、  個人の自由を抑圧せざるをえないと確信していた。」 (『歴史の哲学』 第8章 政治の変容 )

■第8章 政治の変容 (1)■~唯一の「正しい答え」~

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 おはようございます。 薄い雲を通して、 明るい陽が射し始めた高知の朝です。 今日はこれから雲が取れて、 真夏の気候になりそうです。 熱中症にご注意を。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ~『新しい現実』 今日から「第8章 政治の変容」 ドラッカーの著書 『新しい現実(The New Realities)』は、 社会・政治・経済の構造が根本から変わる 「転換期」を捉えた書 この中でドラッカーは、 冷戦の終結や国家の枠組みの変容が始まり、 従来の政治手法は通用せず、 社会を牽引するのは、 脱工業化の主役である 「知識労働者(ナレッジワーカー)」と 「非営利組織(NPO)」であるとする。 そして、 過去の延長線上でモノを考えるのではなく、 今起きている「新しい現実」を直視し、 自らの知識を更新せよと説く。 「今や社会そのもの、  さらには社会活動、  社会問題のすべてが、  あまりに複雑である。  唯一の「正しい答え」が  あらゆる問題に通用するはずがない。」 (『歴史の哲学』 第8章 政治の変容 )

■第7章 経済至上主義の破綻 (18)■~経済的な平等が可能になるとき~

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 おはようございます。 朝から小雨が降る高知です。 今日はこんな感じで、 小雨が断続的に続きそうです。 土曜日、良い週末を過ごし下さい。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ~『経済人の終わり』 ドラッカーは、 我々は、 人間の本質および社会の基盤としての 「経済人」の理念を放棄して、 人間の本質および社会の目的についての  新しい理念を基盤として、 自由で機能する社会を  つくりあげなければならない とした。 そして、 宗教が社会の基盤でなくなったとき、 初めて宗教上の自由と平等が実現され、 経済が社会的な認知と満足の基盤となったとき、 初めて民主的な自由と平等が可能となったとする。 「同じように、  経済的な平等は、  それが社会にとって最も重要なことではなくなり、  新しい領域における自由と平等が  新しい秩序のもたらす約束となったとき、  初めて可能になる。」 (『歴史の哲学』 第7章 経済至上主義の破綻 )

■第7章 経済至上主義の破綻 (17)■~新しい理念を基盤とする社会へ~

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 おはようございます。 空は雲が覆ってますが、 日差しが強く射し込む高知の朝です。 このまま雲が多そうですが、 真夏に迫る気温上昇、 蒸し暑い一日になりそうです。 金曜日、 今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ~『産業人の未来』 ドラッカーは、 経済的な領域を 社会の中心的な領域とすることをやめる ということは、 人間は「経済人」であるとする理念、 経済的な成功と 経済的な報酬によって 人間の自己実現は図られるとする信条を 捨てることを意味する、 とした。 そして、 もはや我々は、 人間の本質および社会の基盤としての 「経済人」の理念を 維持することはできないとする。 「我々は、   人間の本質および社会の目的についての   新しい理念を基盤として、   自由で機能する社会を   つくりあげなければならない。」 (『歴史の哲学』 第7章 経済至上主義の破綻 )

■第7章 経済至上主義の破綻 (16)■~経済至上主義からの訣別~

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 おはようございます。 朝からまぶしい陽が射す高知です。 夕方に雲が出るまで カンカン照りみたいです。 気温も上がり真夏日近くまで到達しそうです。 木曜日、 今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ~『産業人の未来』 ドラッカーは、 経済的な成果を 数多くの価値の一つにすぎないものと 見るようになるということは、 経済活動をあらゆる社会的活動の基盤として 扱うことをやめるということである、 とした。 そして、 経済的な領域を 社会の中心的な領域とすることをやめる ということは、 大な意味をもつとする。 「それは、  人間は「経済人」であるとする理念、  人間の自己実現は経済的な成功と  経済的な報酬によって図られるとする信条を  捨てることを意味する。」 (『歴史の哲学』 第7章 経済至上主義の破綻 )

■第7章 経済至上主義の破綻 (15)■~経済発展を価値の一つと見るということ~

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 おはようございます。 曇り空の高知の朝です。 今日も一日曇って、 厳しい陽射しがないだけ 過ごし易そうです。 休肝日明けの水曜日、 今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ~『産業人の未来』 ドラッカーは、 ファシズム全体主義は、 資本主義と社会主義の いずれをも無効と断定し、 それら二つの主義を超えて、 経済的要因に依らない 社会の実現を追求する、 とした。 そして、 我々はすでに、 経済発展が、 いかなる場合においても、 当然のこととして 最高の目的であるという 信条を捨てていると続ける。 ドラッカーは、 経済の成果を絶対視せず 数ある価値の一つとみなすことは、 経済活動をあらゆる社会活動の基盤として 扱うのをやめることであるとする。 「しかし、  経済的な成果を最高の価値とすることをやめ、  それを数多くの価値の一つにすぎないものと  見るようになるということは、  つまるところ、  経済活動をあらゆる社会的活動の基盤として  扱うことをやめるということである。」 (『歴史の哲学』 第7章 経済至上主義の破綻 )