■絶頂期にあったルース■~唯一の全国報道機関、世論形成機関~
おはようございます。
雲の合間に青空がのぞく須崎の朝です。
今日は一日こんな感じで、
晴れたり曇ったり、
雨の心配はなさそうですね。
FB友達から、
”しんこ”がこの時期の須崎での
おすすめと聞きました。
探しに行こう。
日曜日、良い休日をお過ごし下さい。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
ルースから何度か誘いをかけられたが、
話が実を結びそうになると、
常に二人は合わないことが
明らかになるのだった、
とした。
ドラッカーは1937年にアメリカに渡ったが、
そのときイギリスの新聞の
在アメリカ特派員、
およびイギリスの金融機関の
在アメリカ投資顧問としてだった。
ちょうどその頃は、
ルースと彼の雑誌が
絶頂期にあるときで、
『タイム』は創刊15年で、
唯一の全国報道機関、
唯一の世論形成機関になっており、
ライバル誌は現れていなかった。
「一九三〇年創刊の『フォーチュン」のほうは、
アメリカの経済ニュースと
企業報道のスタイルを一新していた。
とくにその会社ストーリーは、
調査報道の先駆けとなるものだった。」
(Ⅲ アメリカの日々 12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)
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