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■少数派の意思も国民の意思■~議会主権と多数派政府~

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おはようございます。 快晴の川崎の朝。 東京地方は紅葉の見頃、 絶好の行楽日和ですね。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ ドラッカーは、ヒトラーナチスの台頭を見て、 一時期イギリスに移り住んでいた。 そのイギリスに自由をもたらしたと されているものが、 議会主権と多数派政府である。 しかし実際には、 19世紀のイギリス政治制度の核心は、 議会主権と多数派政府、少数派支配を 制限したことにあった。 この制限を可能としたものが、 野党を政治に組み込む二大政党制であり、 内閣制であり、官僚機構だった。 ドラッカーは、 若干の誇張かもしれないと前置きし、 イギリスの憲法は、政府が存在しなくとも 野党が存在すれば機能したとする。 これは常に政権交替可能な野党が 存在することを意味する。 これには、決定的な意味があった。 「イギリスの政治では、  野党たる少数派の意思は、  与党たる多数派の意思と同じように、  国民の意思とされた。  それゆえ、多数派の意思は  最終的意思でも絶対的意思でもなかった。」 ~『イノベーターの条件』 (Part3 模索する政治  2章 改革の原理としての正統保守主義) Amazonプライム・ビデオ

■反全体主義的な存在■~植民地時代にルーツをもつ。~

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おはようございます。 快晴の川崎の朝です。 愚図ついた天気が続いた 東京地方ですが、 週末は回復しそうです。 しかし、強風が吹く模様です。 また北日本、日本海側では 暴風のおそれ、 お気を付け下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ アメリカのボランティア組織は、 植民地時代にルーツをもつ。 19世紀に自然発生的に 力を発揮し始めた組織は、 1776年のアメリカ独立宣言の 理念に基づいて発展していた。 もちろん、それら教会、 商業会議所、ロータリークラブ、 PTAなどには、自分たちが 政府などの公的機能を果たしている 意識はない。 それらに参加する会員も、 コミュニティの統治に 自らが参画しているという 特別な意識はない。 しかし彼らは、事実上 アメリカに特有の機関を通じて、 コミュニティの一員としての機能を果たし、 コミュニティとしての世論を 形成し行動を起こしている。 イギリスの小さな町へ弁護士や医者、 事業家などとしてやってきた者は、 地元の地主や紳士と接近しないと、 やりたいことは何もできない。 ドラッカーは、 現在、それらアメリカの ボランティア組織は、 世界でもっとも反全体主義的な 存在となっているとする。 「ヒトラー以前のドイツでは、  判事、警察署長、町長など  土地の役人の同意をとりつけなければ  ならなかった。  これに対しアメリカでは、  新しくやってきた者はロータリークラブ、  商業会議所、教区の教会に入る。」 ~『イノベーターの条件』 (Part3 模索する政治  2章 改革の原理としての正統保守主義) Amazonプライム・ビデオ

■ボランティア組織のルーツ■~とらえどころのない伝統~

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おはようございます。 雨の川崎の朝です。 普天間基地移設問題で、 国が沖縄県を訴えるという 異常な裁判が始まった。 政治の基盤を地方民意におく、 アメリカではありえないだろう。 翁長さんは民意を主張するが、 国は、中央集権による、 権限を主張する。 政府は、民意を生かして 地方を活性化するという政策を掲げるが、 いかがなものか。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ アメリカにおいて、 自由の守り手となった もう一つの制度が、 政治的な権力と 社会経済的な権力との分離だった。 職業政治家は腐敗し、 まともな人物が政界入り しなかったという事情はある。 紳士が政治ではなく、 企業経営の道に入っていったことは、 政治の腐敗の結果ではなく、 むしろ原因だった。 とはいえ、政治という職業の 社会的な地位と評価の低さが 政治と社会の分離を招き、 その結果いずれの側をも 絶対の支配階級にしなかったことに 変わりはない。 「アメリカの自由は、  あのとらえどころのない伝統、  自治の精神によるところが大きい。  アメリカでは政府機能の少なからぬ部分が、  地方の自然発生的なボランティア組織によって  担われている。」 ~『イノベーターの条件』 (Part3 模索する政治  2章 改革の原理としての正統保守主義) Amazonプライム・ビデオ

■絶対主義化を阻む機関■~国にありながら、政府のものではない。~

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おはようございます。 未明の川崎は雲が多く、 なおさら暗い朝です。 今日午後から、明日にかけ 東京地方は雨模様です。 傘をお忘れなく。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ アメリカでは、イデオロギーや 絶対主義に基づくプログラムではなく、 伝統、自治、党組織を基盤として 二大政党制が発達した。 これらはヨーロッパの政党と違い、 国家権力をめざす集権的体質をもたなかった。 アメリカにおける全国政党は、 自分たちの縄張りに影響が及ぶ範囲で 国政と選挙に関心をもった。 彼らの権力と関心は、 あくまでも自らの基盤とする地方にあった。 しかし、彼らの綱領も地方間の妥協を 考慮せざるをえないため、 白黒のはっきりしたプログラムに コミットすることができなくなる。 反面、反イデオロギーであるため、 ほとんどあらゆる政治信条を 受け入れる余地がある。 しかもイデオロギーから自由である という性格から、 必要であれば、どんな政策をいつでも 取り入れることができる。 人気のある政策は、 およそ何でも取り入れる。 このことにより、 政治の急激な変化は未然に防がれたり、 緩和されることとなる。 「要するにアメリカの政党は、  反中央、反権威、地域志向、反教条主義  という意味において保守的な機関であるだけでなく、  政府の絶対主義化を阻む  もっとも有効な機関となっている。  アメリカの政党は、国にありながら、  政府のためのものではない。」 ~『イノベーターの条件』 (Part3 模索する政治  2章 改革の原理としての正統保守主義) Amazonプライム・ビデオ

■制度なる名の拘束衣■~自由な社会と自由な政府の理念~

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おはようございます。 快晴の川崎の朝です。 今日から師走、 内臓と懐に厳しい時期。 心して乗り切りましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ ドラッカーは、法制度だけでは 社会に秩序をもたらすことは できないとした。 事実、アメリカの建国の父たちは 制度を通じて実現すべきことについて 憲法や法律を使おうとしなかった。 これは卓見といえる。   しかも彼らは、あえて新しい制度を つくりあげようとはしなかった。 「彼らは、制度なる名の拘束衣によって  後の時代を縛ることを嫌った。  日々の問題を解決していく過程において、  自由な社会と自由な政府の理念を発展させ、  しかも後世がよりどころとすることのできるものを用意した。」 ~『イノベーターの条件』 (Part3 模索する政治  2章 改革の原理としての正統保守主義) Amazonプライム・ビデオ

■アメリカの保守主義■~万人の認める基本理念~

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おはようございます。 雲がいくらかかかる川崎の朝ですが、 日中は晴れてきそうです。 11月最終、明日からは師走。 何かと気ぜわしい季節になりますが、 体調維持して、健康に乗り切りましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ アメリカでは、1776年の独立宣言と 1787年の合衆国憲法制定を、 合法的な側面から意味あるものと 解釈されている。 しかし、それらの偉業の意味は、 法的な側面ではなく 法の枠外でのさまざまな制度の 発展の基礎を築き、 制度の持つべき理念や、 進むべき方向、めざすべき目標を 明らかにしたところにある。 現実の社会や政治では、 それら法の枠外の制度が、 少なくとも憲法そのものと 同じように重要な意味をもつ。 「憲法は法的な骨格であって、  それ以上のものではない。  それは、政治権力の限界を定め、  その施行の手続きを定める。  だが、それだけでは社会に  秩序をもたらすことはできない。」 ~『イノベーターの条件』 (Part3 模索する政治  2章 改革の原理としての正統保守主義) Amazonプライム・ビデオ

■相対する二つの絶対主義■~万人の認める基本理念~

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おはようございます。 まだ雲の多い川崎の朝です。 急に朝が冷え込みだしたな、 って思ったら明後日からは 早師走なんですね。 残りひと月で2015年も締め、 こころして過ごしましょう。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬ ヨーロッパ大陸では、 リペラル政党は、 理性主義であると共に、 絶対主義であり続けた。 そして、それらは 真の自由を否定するものだった。 保守政党も、理性主義、絶対主義であり、 反動主義であるにすぎなかった。 19世紀にヨーロッパ大陸が 手にした自由は、 相対する二つの絶対主義が 相手を支配しきれなかったときに、 一時的にもたらされるものだったのだ。 アメリカとイギリスでは、 自由は当然のものであり、 政党間に共通する基盤となっていたが、 ヨーロッパ大陸では、 自由は消極的な存在であって、 単に圧政下にないことを 意味するだけだった。 自由が存在できたのは、 二つの陣営が、相手方と組むよりは 自由と組んだほうがまし というときだけだった。 「自由は、万人の認める  基本理念にはならなかった。  それは、同じくらい強力な  二つの全体主義による  武装休戦の副産物にすぎなかった。」 ~『イノベーターの条件』 (Part3 模索する政治  2章 改革の原理としての正統保守主義) Amazonプライム・ビデオ