投稿

■西洋ならざる西洋■~南北対立の到来~

イメージ
 おはようございます。 今季一番の冷え込みの川崎の朝です。 段々陽射しが強まり、 日中は暖かい一日になりそうです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーが、 ポランニー家の 次男アドルフに会った時には、 すでに80歳という高齢に達していたが、 疲れを知らぬ語り手で、 ビジョンの人だった、 とした。 そして、 アドルフは、 次から次へと人名と地名を挙げ、 ビジョンを語り、 世界を論ずる様は、 中国の軍閥の名を唱えていた ウィーン時代のカールそっくりだった、 と続ける。 当時アドルフ・ポルは、 少なくとも世に10年は先駆けて、 主として白人から成る先進国と、 主として非白人から成る 途上国との間の、 南北対立の到来を危惧していた。 「彼もまた夢破れた人だった。  もはや、ブラジルが  未来の社会となることに  期待はしていなかった。  『ブラジルは日本のようになる。  西洋ならざる西洋、マイアミの郊外になる』  と言っていた。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■疲れを知らぬ語り手■~ビジョンの人だった。~

イメージ
 おはようございます。 薄曇りの川崎の朝です。 冷え込みましたが、日中も寒そうです、 暖かくしてお過ごし下さい。 日曜日、良い休日でありますように! ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ポランニー家の次男アドルフは、 第二次大戦後、近代ブラジル絵画、 文化と芸術の一大爆発を ブラジルに引き起こした、 とした。 ドラッカーは、 このアドルフ・ポルには、 ニューヨークのコロンビア大学近くの、 カール・ポランニーのアパートで 何回か出会った、 と続ける。 アドルフもポランニーから ポルに改姓しており、 1950年代にあった時には、 すでに80歳という高齢に達していた。 「ニューヨークには  何か持病の治療のために来ていたが、  そのままニューヨークで  一年ほどして亡くなった。  しかし、当時でさえ、  彼は、疲れを知らぬ語り手であって、  ビジョンの人だった。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■ブラジルの大陸的使命■~新しい文明の創造の可能性~

イメージ
 おはようございます。 快晴の川崎の朝、 一段と冷え込みました。 来週は早くも師走に突入、 最後まで落ち着かない一年になりそうですね。 土曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ポランニー家の次男アドルフは、 ブラジルに魅せられそのまま永住した、 とした。 そして、彼をブラジルに引き付けたものは、 ヨーロッパの衰退する 資本主義とは違う新しい社会、 白人、黒人、原住民が一体となって、 近代的でありながら部族的、 自由でありながら個を尊重するという 新しい文明の創造の可能性だった、 と続ける。 彼は、第一次大戦後、 政治家、社会学者、小説家、 音楽家、画家の中心となって、 新たな文化を目指す 新生ブラジル運動を起こしたが、 この運動が、 第二次大戦後、近代ブラジル絵画、 近代ブラジル音楽、 近代ブラジル建築という、 文化と芸術の一大爆発を ブラジルに引き起こした、 とする。 「ブラジルの大陸的使命なるものを説き、  ヨーロッパと無縁の内陸奥深くに  首都を建設すべきことを説いたのも、  アドルフだった。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■次男アドルフ・ポルと新生ブラジル運動■~社会発展のための道具~

イメージ
 おはようございます。 雲の合間から明るい陽が射す川崎の朝です。 雲が多く寒い一日になりそうです。 暖かくしてお出かけください。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ポランニー家の次男アドルフも、 父親と同じように技術者で、 鉄道家になり、 第一次大戦の前、 ブラジルで鉄道建設に携わった、 とする。 そして彼は、 ブラジルの地に魅せられ そのまま永住したが、 技術コンサルタントとして 鉄道、港湾、発電所、工場の建設に携わり、 その彼の関心も、実は経済と社会にあった、 と続ける。 「アドルフにとっても、  鉄道、港湾、発電所は、  社会の発展のための道具の一つにすぎなかった。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■夢破れた一老人■~ムッソリーニへの失望~

イメージ
 おはようございます。 未明の川崎、 まだ冷え込んでいますが、 日中は20度近くになり、 ぽかぽかの一日になりそうです。 木曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 オットー・ポランニーは 相当の資産家になっていたが、 政治的には 熱烈なマルクス主義者で、 ムッソリーニを共同体国家主義、 古代共和制の復活に向かわせた、 とした。 そして、 カールはオットーのことは あまり話したがらず、 一家全員も、 オットーがファシズムと かかわりを持ったときに縁を切っていた、 と続ける。 しかしカールは、 1930年代の半ばに 一度だけオットーに 触れたことがあった、 とする。 「オットーはムッソリーニに失望し、  今では軽蔑さえしているが、  ムッソリーニのほうからも  忘れられた存在、  夢破れた一老人に  成り果てたとのことだった。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■ムッソリーニの転向■~古代共和制の復活~

イメージ
 おはようございます。 曇り空の川崎の朝です。 関東地方は、 昨日からの曇天を引きずり、 にわか雨のところも。 水曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 オットー・ポランニーは 1910年には、 イタリアの財界人として 相当の資産家になっていた、 とした。 ところが政治的には 熱烈なマルクス主義者となり、 社会主義の新聞『アヴァンティ』を創刊した、 と続ける。 加えて、マルクス主義者より さらに過激な社会主義者、 ベニート・ムッソリーニを 同紙の主筆に据え、 第一次大戦によって 社会主義者としての夢を打ちくだかれた後も、 ブルジョワ社会に代わる社会を追い求めた。 「戦傷から回復しつつあった  ムッソリーニを社会主義から転向させ、  資本主義でも社会主義でもない共同体国家主義、  古代共和制の復活に向かわせたのが、  他ならぬこのオットー・ポルだった。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)

■長男オットー・ポルとファシズム■~実業家としての成功~

イメージ
 おはようございます。 未明の川崎、空は雲に覆われているようです。 三連休明けの今日は一日曇り空、 気温も下がる予報です。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 カール・ポランニーの兄弟たちは 個性溢れる卓越した若者へと育っていった、 とした。 そして、 1870年代はじめに生まれた 長男のオットーは、 父親と同じ工学を専攻し、 若くしてハンガリーを離れ スイスとドイツで働き、 機械の設計者となり、 やがて実業家として成功した、 と続ける。 オットーは、 1895年にイタリアへ渡り、 倒産寸前の機械メーカーを手に入れ、 その後、設立されたばかりの フィアットを納入先とする ブレーキ、ハンドル、その他、 自動車部品のメーカーとして 再建に成功した。 「名前もポランニーからポルに変えた。  こうして1910年には、  イタリアの財界人として  相当の資産家になっていた。」 (Ⅰ 失われた世界 6章ポランニー一家と「社会の時代」の終焉)