∬ちょこっと、P.F.ドラッカー∬ ■ 形式的な課題と本質的な課題 ■
「我々は、未来について二つのことしか知らない。
一つは、未来は知りえない。
二つは、未来は今日存在するものとも今日予測するものとも違う。」
~「創造する経営者」(P.Fドラッカー)
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尖閣ビデオ問題の急展開があった。
テレビでの様々な議論を見ていて、以下3点が混線しているように感ずる。
■情報管理がずさんであったこと
■公務員の守秘義務に反した行為があったこと
■政府がビデオを公開してこなかったこと
これらはそれぞれ別の問題として考えないと堂々巡りになる。
公務員の守秘義務については、内容のいかんを問わず、
公務員が業務上入手した情報をU-TUBEにアップすることは
違反になるだろうが、その内容とか設定されているセキュリティ
レベルとかによって違反の”重さ”は変わるとは思う。
今回はこのセキュリティレベルが低い段階で容易に入手できた映像を
”義憤”で公開ルートに乗せたということなので、まづ情報管理の
プロセスに問題があるだろう。
セキュリティレベルの判断及びどのような内容であれ、容易に持ち出し
可能であるという点である。
保安官が公開したという行為は、守秘義務に反しているだろう。
しかしながら、利益や妨害などの目的でない限りその罪はさほど問われる
ことも少なく、見過ごされることもあるぐらいだろう。
多くの議論は、国がこれまで公開してこなかったことを問うている。
形式的な問題である情報ガバナンスの瑕疵と守秘義務違反はこれはこれで
整理すべきだろう。
しかしこの”事件”の裏にある本質部分、中国に対する国の微妙な対応への不満と、
たまりかねた現場の”義憤”、さらにその”義憤”を多くの国民が支持している
とするマスコミ情報があることなどについては簡単な問題ではないと思う。
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