■ お人好しの時代のアメリカ ■ 〜ブルックリン訛りの係官〜
おはようございます。
大型連休初日の昨日は、
予想通りの雨の一日でしたが、
打って変わって今日は仁淀川沿いで、
快晴の朝を迎えました。
かんぽの宿伊野は、
母親が開業時から通う常連で、
付き合って年に何度か訪れるようになった。
我が家の奥座敷。
温泉は無味無臭だが、
露天風呂が気持ち良い、
どの部屋からも仁淀川ビューが楽しめる。
最近経営主体が郵政から
マイステイズグループに変わったが、
相変わらずのサービスを期待したい。
良い休日をお過ごしください。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
■ お人好しの時代のアメリカ ■
〜ブルックリン訛りの係官〜
ドラッカーが1938年のはじめ、
六週間のヨ ーロッパ取材旅行の
出発に際して、
再入国の許可申請を行ったとき
提出した所得証明を一目見た
移民局の係官が
「すると、あなたの去年の年収は1800ドルだったわけだ」
と言った。
そしてさらに、
「随分少ないね。外国語 もしゃべれるんだったら、移民局なら五割は余計にもらえるよ。ここは給料が いいんだ。有給休暇三週間、残業手当、健康保 険、勤続30年で年金ももらえる。ちょっと待ってて」
と言って何か書類を一式持ってきた。
彼は「今記入していけば、今日中に上役のサインをもらっておくよ。靴屋を一緒にやっていたんだ。ヨーロッパから帰って来たときには勤められるようになっているよ」
と言ったが、
ドラッカーは書類を記入しなかった。
「しかし私は、
アイルランド系の顔をした
このブルックリン訛りの
中年の係官のことは、
1930年代末の不況と
ニューディールの時代のアメリカ、
お人好しの小春日和の
アメリカを象徴するものとして、
今でもよく覚えてい る。」
(3 アメリカの日々 15章 お人好しの時代のアメリカ)
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