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■ブロンクスビルの自宅に招待■〜妙なことばかり考えていた。〜

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 おはようございます。 東の青空に茜に染まった小さな雲が浮かぶ 高知の朝です。 大晦日、今日も晴れの一日の様です。 この一年は慌ただしい年で、 公私共に新しいステージに入りました。 来年は地固めの年にしたいと思います。 一年間ありがとうございました。 来年もまたよろしくお願いします。 よいお歳を!!! −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 テクノロジーとは、 人間の生産物に影響を与えるだけでなく、 人間そのものを規定し、 人間が自らをいかに見るかを規定するものだった、 とした。 そして、 そういうわけでドラッカーは、 マーシャルをニューヨーク市郊外の ブロンクスビルの自宅に 立ち寄るよう招待したのだった。 やがて彼は、ブロンクスビル、 次にバーモント、そして1949年以降は ニュージャージー州モンクレアの家を 頻繁に訪れるようになった。 ドラッカーは、 彼はいつも自分の考えていることだけに 夢中になってはいたものの、 楽しい客だったが、 20年以上に及ぶ付き合いの中で、 一度たりとも、 ドラッカーが何をしているのかを 尋ねたこともなければ、 說明を聞いたこともなかったと思う、 とする。 「彼もまた、  彼自身のことについては  一度も話したことはなかった。  いつも、彼は考えていることについて話した。  いつも、妙なことばかり考えていた。」 (3 アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■仕事についての抽象的コンセプト■〜人間そのものの規定〜

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 こんにちは おはようございます。 よく晴れた高知の朝です。 オミクロン株がじわじわと足元に広がり始めている。 感染症は人の動きに連動するものだが、 年末始の移動ラッシュが平時並みに近いという。 オミクロンは感染力は強いが、 症状は軽いといわれるが、 感染者数が増えれば医療資源は枯渇に向かう。 油断は禁物。 今年も後2日、少し身辺の整理でもします。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 組み立てラインは道具であるが、 それは人間組織のあり方と 社会自らの社会観に 重大なかかわりを持ち、 産業社会とよばれるに至ったものの 基盤となった、 とした。 そして、 組み立てラインとは、 仕事についての一つの 抽象的なコンセプトである、 と続ける。 しかも、新しい現実として 受け入れられはしたものの、 ものづくり全体から見るならば 小さな部分の一つにすぎず、 事実組み立てラインで 働く者の数はごく一部にすぎなかった。 ドラッカーは、 テクノロジーとは、 教養人やテクノロジストが 考えてきたほど簡単なものではなかった、 とする。 「すなわちテクノロジーとは、  人間の生産物に影響を与えるだけでなく、  人間そのものを規定し、  あるいは少なくとも、  人間が自らをいかに見るかを規定するものだった。」 (3 アメリカの日々 12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■組み立てラインは道具■〜テクノロジーと文化の関係〜

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 こんにちは 四国山脈の上空には、 雲の合間に青空がのぞいています。 見渡す頂にはまだ積雪はないようですが、 高知平野のど真ん中は津々と冷え込んでます。 休肝日明けの水曜日、 今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 活版印刷がグーテンベルクの発明ではなく、 そのはるか前から 中国で使われていたことを知っていたので、 マクルーハンの言うことは理解できなかった、 とした。 ところが中国では、 マクルーハンの言ったことの 何一つ起こってはおらず、 活版印刷なる新しいメディアは、 文化、学問、認識に 何らの影響ももたらさなかった、 と続ける。 中国では、 昔ながらの筆写を陳腐化させることもなく、 いわんや知識、教授法、教授内容、学習内容の いずれをも陳腐化させなかった。 しかしドラッカーはその頃すでに、 テクノロジーと社会、 そしてテクノロジーと文化の関係に関心を 持ち始めており、 あのもやし野郎の言うことには、 何かがあると思った、 とする。 「たとえば、  組み立てラインは道具である。  しかしそれは、  人間組織のあり方と社会自らの社会観に  重大なかかわりを持つ。  それは、産業社会とよばれるに至ったものの  基盤となった。」 (�V アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■メディアはメッセージなり■〜グーテンベルクの発明ではない〜

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こんにちは 晴天がすがすがしい、南国市の昼下がりです。 今朝は久ぶりに須崎の夜明けを迎えました。 昨晩は、会社メンバーでの初吞み会。 盃が飛び交う土佐の宴、 人の交わりはやはり、こういった場面から始まるなぁと、 実感しました。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 40年前のあのときマクルーハンは 「メディアはメッセージなり」 とは言わなかった、 とする。 そして、当時はまだ、 メディアという言葉には、 コミュニケーションの伝達手段としての 意味はなかった、 と続ける。 しかし、明らかに あの頃、 すでに彼は、「メディアはメッセージなり」 と信じていたに違いなく、 少なくとも、 メディアはメッセージを 規定すると信じていたに違いなかった。 「私もあの英文学部の学部長と同じように、  マクルーハンの言うことは理解できなかった。  私は、活版印刷がグーテンベルクの発明ではなく、  そのはるか前から中国で使われていたことを知っていた。」 (�V アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■知識とすべきものを規定した■〜あのもやし野郎〜

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 おはようございます。 未明の高知の朝、 天気予報通りの厳しい冷え込みです。 日中も冷え込んだ真冬の一日となりそうです。 月曜日、今週も一週間よろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ マクルーハンは、 モダンの世界観をもたらしたのは、 コペルニクスやコロンブスではなく、 活版印刷だったと論じた。 彼の発表が終わると、 聞いていた学部長クラスの一人が、 活版印刷が大学の教授内容に 影響を与えたのかと聞いたところ、 そうではなく、 活版印刷は知識とすべきものを 規定したのだと答えた。 質問者は「そんな馬鹿な」と言ったので、 議長が大急ぎで次の発表者の名を呼び上げることとなったが、 論文発表会が終わって会場から出て行くとき、 先の質問をした某有名大学の 英文学部の学部長が、 連れにこう言うのが聞こえた、 とする。 「あのもやし野郎が  大学について話をし出したときには、  来年採用しようかと思ったんだよ。  でも、どこかの工業大学に譲ろう」 (�V アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■グーテンベルクの新しいテクノロジー■〜印刷本が教授内容まで変えた〜

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おはようございます。 快晴の高知の朝、 まぶしい日が差し始めました。 今日は、高知交響楽団の演奏会で、 生の音源を堪能してきます。 ムゾルグスキーの”展覧会の絵”が楽しみです。 日曜日、よい休日をお過ごしください。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 マクルーハンとという、 至って平凡に見えた英語教師が、 変なことを言い出した、 とした。 そして、中世の大学は印刷本のおかげで 陳腐化したと言ったまでは、 常識として受け取れたが、 彼は進んで、 印刷本が教授法と表現法だけでなく 教授内容まで変えたために、 近代大学が生まれたと論じた、 と続ける。 この男は、学問の新展開は、 ルネッサンス、ギリシャ・ローマの再発見、 天文学の発展、地理上の発見、 新たな科学とも、 ほとんど関係がないと言っているようだった。 「逆に、それら人類の知的な発展こそ、  グーテンベルクの  新しいテクノロジーがもたらしたものだと言った。  モダンの世界観をもたらしたのは、  コペルニクスやコロンブスではなく、  活版印刷だったと論じた。」 (�V アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)

■マクルーハンなる人物がそこにいた■〜カナダ訛りの英語

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おはようございます。 薄い雲が東の空を覆う高知の朝、 昨日の雨はやんだようです。 これから気温が下がり、 年末に向かって厳しい寒さが襲ってきそうです。 土曜日、よい週末をお過ごしください。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 マクルーハンとは、 ある学会の会合で 二人とも論文発表者として、 同席したが、 私自身のテーマが何であったかは 覚えていない、 とした。 そして、 ドラッカーがはっきり覚えていることは、 マーシャル・マクルーハンなる人物が そこにいたということだけだったが、 カナダ訛りの英語で彼が発表を始めたとたん、 退屈させられるであろうことを覚悟した。 と続ける。 背はひょろりと高く痩せ、 論文は、近代大学のカリキュラムについての、 あまり興味を引く題目ではなかった。 「次年度の教員採用の目星を付けに来ている  学部長たちを前に行なう論文発表の常として、  彼の論文も当たりさわりのないものに思われた。  ところが、この至って平凡に見えた英語教師が、  変なことを言い出した。」 (�V アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)