■組み立てラインは道具■〜テクノロジーと文化の関係〜
こんにちは
四国山脈の上空には、
雲の合間に青空がのぞいています。
見渡す頂にはまだ積雪はないようですが、
高知平野のど真ん中は津々と冷え込んでます。
休肝日明けの水曜日、
今日も一日よろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
活版印刷がグーテンベルクの発明ではなく、
そのはるか前から
中国で使われていたことを知っていたので、
マクルーハンの言うことは理解できなかった、
とした。
ところが中国では、
マクルーハンの言ったことの
何一つ起こってはおらず、
活版印刷なる新しいメディアは、
文化、学問、認識に
何らの影響ももたらさなかった、
と続ける。
中国では、
昔ながらの筆写を陳腐化させることもなく、
いわんや知識、教授法、教授内容、学習内容の
いずれをも陳腐化させなかった。
しかしドラッカーはその頃すでに、
テクノロジーと社会、
そしてテクノロジーと文化の関係に関心を
持ち始めており、
あのもやし野郎の言うことには、
何かがあると思った、
とする。
「たとえば、
組み立てラインは道具である。
しかしそれは、
人間組織のあり方と社会自らの社会観に
重大なかかわりを持つ。
それは、産業社会とよばれるに至ったものの
基盤となった。」
(�V アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)
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