■メディアはメッセージなり■〜グーテンベルクの発明ではない〜
こんにちは
晴天がすがすがしい、南国市の昼下がりです。
今朝は久ぶりに須崎の夜明けを迎えました。
昨晩は、会社メンバーでの初吞み会。
盃が飛び交う土佐の宴、
人の交わりはやはり、こういった場面から始まるなぁと、
実感しました。
火曜日、今日も一日よろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーは、
40年前のあのときマクルーハンは
「メディアはメッセージなり」
とは言わなかった、
とする。
そして、当時はまだ、
メディアという言葉には、
コミュニケーションの伝達手段としての
意味はなかった、
と続ける。
しかし、明らかに あの頃、
すでに彼は、「メディアはメッセージなり」
と信じていたに違いなく、
少なくとも、 メディアはメッセージを
規定すると信じていたに違いなかった。
「私もあの英文学部の学部長と同じように、
マクルーハンの言うことは理解できなかった。
私は、活版印刷がグーテンベルクの発明ではなく、
そのはるか前から中国で使われていたことを知っていた。」
(�V アメリカの日々12章ヘンリー・ルースと『タイム』『フォーチュン』)
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