■「機会の平等」か「結果の平等」か■~正義の否定、社会の罪~

おはようございます。

この時間の川崎の朝は、
既に明るくなっています。

今朝も冷えています。
一日寒いようですね、
お気を付け下さい。


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∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬



結果の平等、特に所得の平等こそ
真の平等であり、機会の平等なるものは、
それ自体はなはだしい不平等である
とする考えもむかしからあった。

その考えによれば、
卓越した能力もまた、
偶然の結果にすぎず、
遺産や身分や人種と同じようように、
より高い報酬を約束するもの
であってはならないという。

この平等主義は、ハーバード大学の哲学者
ジョン・ロールズが主張したものである。

機会の平等は、所得の平等をもたらさないかぎり、
幻影にすぎず、これまで道徳哲学や
宗教が正義としてきたものは、
実は不正義であり、能力や成績への
報酬(あるいは罰)にすぎない。

正義とは、能力や気力など、
生来の資質が欠けるために、
結果の平等を手にしていない人たちに対し、
代償を与えることであるとする。


 
「社会は、結果として完全に平等たるべきであり、

 そのためには意図して不平等な者に

 味方しなければならない。

 先天的な無能は社会のせいでは

 ないかもしれない。

 しかし、そこから生ずる不平等は

 正義の否定であり、社会の罪である。」


~『イノベーターの条件』
(Part3 模索する政治 6章 高齢者が政治を動かす)






















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