■異端というべき少数派■~一人ひとりの人間の犠牲~
おはようございます。
ほのかに陽が射す川崎の朝です。
今日は憲法記念日、施行から73年、
様々な行事は当然のことながら自粛。
新型コロナ対応で、憲法には限界がある、
と発言する改憲論者がいるが、
ステージが違う、惑わされてはいけない。
優先順位に関わる意思決定が正しく行われていない、
としか見えない。
やるべきこと、やらなければならないことは
山ほどある。
日曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ゲーニアは、
企業グループと労働組合が
一触即発となった時に
根回しして回り、
両者を交渉の場につけさせ、
解決案まで用意してのませたが、
どこからも感謝されなかったどころか、
逆に原則の放棄を強要されたと
恨まれた。
そこで「ゲーニアの娘」の一人と
結婚していた若い記者が
ゲーニアにインタビューして、
原則の放棄について質問した。
ゲーニアの答えは、
「人に犠牲を強いる原則など無用です」だったが、
ユートピアの実現のために、
あるいは最大多数の最大幸福のために、
教育、心理、環境、経済、政治、人種の
すべてについて、
一人ひとりの人間の犠牲のもとに
唯一絶対のものを求めた
二〇世紀という世紀においては、
このゲーニアの考えは
異端というべき少数派のものだった。
「だが、いかに異端であろうとも、
このゲーニアの考えこそ、
軽々に扱うべきものではなかったのである。」
~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」
(Ⅰ 失われた世界 2章シュワルツワルト家のサロンと「戦前」症候群)
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