■母の持っていた詩集■~1911年のウィーン会議~
おはようございます。
青空の合間に雲が浮かぶ川崎の朝です。
これから段々と雲が増え、
秋晴れの空は見えない模様です。
火曜日、今日も一日健やかにお過ごし下さい。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
トラウン伯爵は、
ドラッカーのお母さんなどは
人気の的だったから、
随分献呈された詩集を
持っていると思う、
と言った。
たしかにドラッカーは、
母の持っていた詩集を
何冊か見かけたことがあった。
トラウン伯爵は、
そういった連中とは
違う者たちがいたが、
それが、今言った私たちであり、
とえばマルセル・レイと奥さんのスザンヌで、
スザンヌはアナトール・フランスの娘さんだ、
と続ける。
彼女は、
ジャン・ジョレスにアプローチして、
1911年のウィーン会議を招集させた、
とする。
「社会主義政党の他の政治家と同じように、
ジャン・ジョレスも、
ウィーンでの会議開催には乗り気でなかった。
政権の獲得があまりに間近に思われたので、
愛国心のほうを疑われることを恐れたのだった。
でもスザンヌは説得してしまった」
~P.F.ドラッカー「ドラッカーわが軌跡」
(Ⅰ 失われた世界 5章トラウン伯爵と舞台女優マリア・ミュラーの物語)
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