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■スターリンへの疑い■~悪意に満ちたファシストの嘘~

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 おはようございます。 薄曇りの川崎の朝です。 曇り時々晴れ、日照が少ない分だけ 昨日より涼しいようです。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ブレイスフォードは、 良心の人であり、 先駆けの人だった、 とした。 そして彼のソ連礼賛は 一大センセーションを巻き起こし、 彼の知られた真摯さと純粋さが、 世論に重大な影響をもたらした、 と続ける。 ドラッカーは、 あの分析力と不屈の良心で知られる ブレイスフォードが スターリン主義を認めているからには、 世論にとっては、 ソ連の恐怖政治も、 強制収容所も、秘密警察も、拷問も、 農民虐殺も、粛清の嵐も、 悪意に満ちたファシストの嘘に決まっていた、 とする。 「一九三四年に  私が初めて会った頃には、  すでにノエルはスターリンに  疑いの念をもっていた。  しかもその疑いは増大する一方だった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■良心の人であり先駆けの人■~ソ連とスターリンを賞賛~

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 おはようございます。 薄い雲がかかってますが、 明るい陽が射し始めた 川崎の朝です。 午前中は晴れ、午後から段々と雲が増え 夕方には俄雨もありそうです。 日曜日、良い休日をお過ごし下さい。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ブレイスフォードは、 自由主義者と社会主義者に対し、 共産主義者とパートナーシップを 組むべきことを訴えた。 そして彼は同時に、 共産主義者に対し、 思想的な潔癖さにこだわることなく、 ナチズムとの戦いという 共通の目的のもとに 参集することを求めた、 と続ける。 ドラッカーは、 ブレイスフォードは、 ソ連とスターリンを 賞賛することまでしたが、 それは、 フェビアン協会のウェッブ夫妻や、 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの ハロルド・ラスキなどの、 後のスターリン礼賛者のものほどには 全面的なものではなかった、 とする。 「しかし彼は、  ウェッブ夫妻ほどの政治力はなくとも  良心の人であり、  ラスキほどの鋭さはなくとも  先駆けの人だった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■反ナチズムの共同戦線結成■~共産主義者とのパートナーシップ~

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 おはようございます。 薄い雲がかかる川崎の朝です。 朝は涼しく感じますが、 日中は30度位にはなりそうですね。 この週末は好天に恵まれそうです。 アメリカバイデン政権が初の予算教書を出したが、 第二次大戦後最大の660兆円規模。 コロナ後を見据えた中間層向け支援策を 手厚くした内容となっている。 全体のパイが大きいので動きもダイナミックに見えるが、 一貫したリーダーシップはうらやましく感じますね。 土曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ブレイスフォードは、 ナチズムの伸張を見るにつけ、 ソ連の共産主義を 唯一の拮抗勢力と みなすようになっていった、 とした。 こうして、 かつてツァーの ロシアとの同盟を 批判することによって名を挙げた 同一人物が一九三〇年代には、 スターリンのソ連との同盟を提唱し、 一九三二年には、 その後進歩的文化人による ソ連礼賛の呼び水となった本まで書いた、 と続ける。 ドラッカーは、 それは自由主義者、社会主義者、 共産主義者による反ナチズムの 共同戦線結成の呼びかけだった、 とする。 「ブレイスフォードこそ、  左翼人民戦線の構想とスローガンの  生みの親だった。  彼は自由主義者と社会主義者に対し、  共産主義者とパートナーシップを  組むべきことを訴えた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■ナチズムに対する拮抗勢力■~スターリン主義への嫌悪~

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 おはようございます。 昨日の名残の様に雲が残る 薄曇りの川崎の朝です。 段々陽射しが増し日中は気温上昇模様。 このところ日毎に10度近くの気温差、 体調管理にお気を付けください。 金曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ブレイスフォードは、 頭にこびりついて離れることのない 自らの最大の関心事である大問題について、 左翼の人間とは話ができなかったから、 自分と付き合ったのだと思う、 とした。 それは、ソ連共産党との関係だったが、 ブレイスフォードは、 自分の考えをまとめるためにも 誰かに話をすることは必要だった、 と続ける。 ドラッカーは、 プレイスフォードが 共産主義に心を動かされたことはなく、 ましてスターリン主義に 魅力を感じたことなど 露ほどもなかった、 とする。 「その教条主義、画一主義、  秘密警察、恐怖政治、  神学論争のすべてを嫌悪していた。  しかし彼は、  ナチズムの伸張を見るにつけ、  ソ連の共産主義を唯一の  拮抗勢力とみなすようになっていった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■左翼でもリベラルでもなく■~頭にこびりついた大問題~

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 おはようございます。 雲が多く薄暗い空模様の川崎の朝です。 昨晩も結局雲が引かず、 スーパームーンは現れてくれず、 しばらくお預けのようですね。 それまで生きてるかな。。 木曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ブレイスフォードは、 1931年に労働党が 連立政権に参加して保守化すると、 かつての仲間と縁を切り、 知的な反体制運動である 左翼ブッククラブ運動の 推進役を果たした、 とした。 そして、これに対して、 ドラッカーが 左翼だったことは 一度もなく、 リベラルでさえなかった、 と続ける。 ドラッカーは、 ノエルとクレアの友人のうち、 ごく稀な、 左翼ならざる人間だったために、 彼はドラッカーと付き合ったのだと思う、 とする。 「なぜなら当時、彼は、  自らの最大の関心事、  頭にこびりついて離れることのない  ある大問題について、  左翼の人間とは  話ができなかったからだった。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■左翼ブッククラブ運動■~ますます左傾化していった~

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 おはようございます。 まぶしい日が射しこむ 川崎の朝です。 今日は一日好天のようですね。 昨晩はきれいな満月が出ていましたが、 今日はスーパームーンが見られそうですね。 月曜日、今週もよろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 イギリスへ来て一年足らずの頃には、 あらゆる種類の、 「社会による社会の救済」に 懐疑的になっていた、 とした。 そして、ブレイスフォードは、 この「社会による社会の救済」の 根っからの信奉者だった、 と続ける。 ドラッカーは、 彼の先祖がキリストによる 福音を信じたように、 社会による救済を信じ、 ますます左傾化していっていた、 とする。 「一九三一年に労働党が  連立政権に参加して保守化するや、  かつての仲間と縁を切っていた。  その頃彼は、知的な反体制運動、  左翼ブッククラブ運動の推進役を  任じていた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)

■社会による社会の救済■~根っからの観察者~

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 おはようございます。 明るい陽が射し始めた川崎の朝です。 今日は曇り時々晴れ、 気温は夏日、上着なしでも良さそうですね。 火曜日、今日も一日よろしくお願いします。 ---------------------- ∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬ ドラッカーは、 ブレイスフォードが ドラッカーたちと親しくなったのも、 会話すべき肝心の問題があったためだった、 とした。 そして、ドラッカーが 初めてプレイスフォードに 会ったのは24歳のときだったが、 彼は36歳も年上だった、 と続ける。 その頃ドラッカーは、 イギリスへ来て一年足らずの時で、 小さなマーチャント・バンクで アナリスト兼秘書役に なったばかりだった。 ドラッカーは、 ブレイスフォードは、 すでに名のある一流のジャーナリストであり 一流の文筆家だったが、 ドラッカーは根っからの観察者、 ブレイスフォードは運動家だった、 とする。 「私の政治、社会、経済へのアプローチは、  ブレイスフォードのそれと正反対だった。  すでにその頃には、  私は、あらゆる種類の、  「社会による社会の救済」に  懐疑的になっていた。」 (Ⅱヨーロッパ人々 9章 反体制運動家ブレイスフォードの挫折)